その一 威なければ人従わず
その二 徳なければ人敬せず
その三 愛なければ人育たず
【その一について】
威は威厳のことです。権威を誇示して威張ることでも服従させることでもありません。その人固有の人間性が輝き、自然に付き従う人間力のことです。もちろん言動も大切な要素ですが、どこまでも人格であり、重厚味のある存在感です。
完璧であることは困難な事です。それぞれの歴史と環境が異なり個性性があって当たり前ですから、完璧という一律のゴールは無いからです。
それはそれとして、上に立つ者はその「道」に熟達していることは勿論、成果を上げ、更なる発達進化を為すには健全な統率力が不可欠です。それが人間力であり存在の威厳です。
それを具える方法は、第一に「目的」を忘れぬ事であり、第二に「今」を失脚しないことであり、第三は「己を怠慢にしない」ことです。第四は、「目的」と「人の道」に対しては己にも他にも厳しいことです。
このような人の一言は、自ずから天下の則と成るのです。慎んで聞き、且つ従わざるを得ないのでは。これを以て威厳と為すべきものか。
【その二 について】
徳なければ人敬せず、と昔から言われています。其の一と連ねて「威徳」と称しています。「威厳」だけでは権勢が優位となり、独善傲慢に陥る危険があります。信頼と尊敬が得られなければ真の「威徳」になりません。孔子聖人曰く、「己に勝ちて礼を履むを仁と言う」と。
人物時を大切にし、自らの安心と自信を養うために、自ら立てた目標とする人間像を目指して精進努力して居る人は虚偽なく、崇高な信念に貫かれているものです。その人には自ずから侵しがたい威徳が備わっているものです。
加えて、何事も率先垂範し、謙譲明朗に加え、ユーモアとサービス精神があれば人皆敬せざると言うこと無しです。
【その三 について】
愛は生物的愛と、慈悲なる愛があります。両者は雲泥の差が有りつつ同一性も沢山あり、一括りにすると大変危険な言葉です。形而上的考察は抜きにして、真の情愛は感応道交し、人の心を喜ばしめ安心を与え、努力心を啓発し報恩感謝に導く原動力です。
上司に対しても部下に対しても、勿論誰に対しても温容誠実にして、自信と謙虚さに満ちた心で語れば、人悉く信じ敬うものです。何となれば、誰も皆愛と安らぎと自信、そして喜びを欲しているからです。
同時に、恐怖を与えたり、自尊心を傷つけたり、嫌な思いをさせるような人物を避けるのは生物として自然な事です。このような人間には絶対成りたくない筈です。真情は人間にとって最も価値ある精神要素です。性善であれば信じざるを得ないのです。
企業に於いて成果を上げるための手段は沢山あります。最も効率良く、愉しくてスマートに実績を上げる「道」は、一人ひとりが誠実に精進努力するだけで事足りるのです。そのリーダーが上司であり先輩達です。
担当部署を爽やかにし、活気に導くことが第一です。その方法は、一人ひとりに感謝を忘れず、精進努力を讃え、新しい想像力を生み出す土壌を育むことです。
人間力の源は親であり上司でありリーダーです。「威徳」と「真情」を携えたリーダーであれば部下は幸せであり、その部署も会社も必ず発展します。何故なら、部下を信じ、手柄に成るよう助勢し指導することができるからです。親の如く師匠の如く従い敬うところには必ず感謝と信頼があり、自然に人物が育つからです。
そこに虚偽や裏切りがあろう筈が無く、愛社精神と結束力が健全な永続と発展をもたらせるのは当然です。この労働環境力こそ総合的人間力であり、良きリーダーを獲得配置することが一番手っ取り早くて効率的な解決策です。
【総括】
抑も人間と言う存在は何なのか? 単細胞より人間に達する間、その膨大な経過時間に於いては弱肉強食の連続であった。生命維持の為の戦いと、安心して児孫を育むための場所選びと巣作り、そして育児は生物本来の獰猛性と献身性、つまり自己保存の固執性と安心安全確保の二面両極性を保持した存在なのです。
即ち、素の人間はこの動物の本来性を誰もが内在しているという大前提を無視して、教育や改革制度を語ることは本質的では無いと言うことです。
人間の特性は何と言っても高度な精神性にあります。精神作用は「知性・感性・意志」の三要素に大別できます。この三位を語れば長くなるので、結論から話します。
悪人の知性は悪の為に駆使されるので、知性絶対視の教育はとても危険なのです。特に避けるべきは、恐怖心や不安感、警戒心や攻撃心を煽るような環境です。もし幼少期にこのような状況を与えると、保身のために動物本来の冷徹で獰猛な精神を刺激誘発することになり、無自覚無意識に非道徳性を引き出す要因となるのです。三つ子の魂百までです。
話題が飛躍しますが、「威徳」と「真情」無き国家や企業、又家庭は皆滅びに向かうのです。人類の繁栄と存亡の必須条件は、ただ道徳律を基調とした人間力に拠るのです。この人間性を如何にして育むかが大課題と言えます。
良きも悪しきも親やリーダーや環境に拠ることが大きいことは分かっています。即ち精神の神聖さを育み、全人類の将来を俯瞰する理性を堅持して、健全で美しい将来を創造し実行するような人間を育てるのが本来の教育ではなかろうかと。
井上希道 合掌
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