少林窟道場の祖師方をご紹介いたします。
釈迦牟尼仏しゃかむにぶつ
大恩教主本師釈迦牟尼仏です。
この尊像は、釈尊大悟の後、初めてカビラ城を訪れられた時、父王が絵師に命じて描かせたものとも、またイギリスがインドを植民地にしたとき、持ち帰った釈尊像を撮影したものとも言われ、大英博物館に所蔵されていると伝えられています。
少林窟開山
大顕欓隠老大師だいけんとういんろうだいし
老大師七十歳の時、当地で撮影された尊像です。
東大医学部を次席で卒業。医師として勤務。流行を極めたコレラの治療に従事する因み、人生の無常を感ずる。安芸国仏通寺・香川寛量老師に参じ、たちまち一隻眼を具す。その後、医業のかたわら南天棒に師事する。南天棒に印可されるも、尚、足れりとせず、只管打坐し、四十歳の時、虎渓山にて大悟徹底。臨済、曹洞をまたにかけて令名を馳せ、「菩提心居士」と称されました。その後、六十歳を機に原田祖岳老師を授業師として出家得度し、大法を担って立たれました。
少林窟道場は、老大師菩提心の結晶です
少林窟二世
春翁欓文老師
しゅんおうとうぶんろうし
教職のかたわら欓隠老大師に参じ、熱烈なる菩提心をもって修行されました。老大師が病に倒れられたのを機に出家得度し、少林窟主としてその重責を担って立たれました。しかし、僅か2年の後、昭和10年に遷化されてしまいました。老大師に先立つこと2年でした。
少林窟三世中興開山
洞天義光老師
とうてんぎこうろうし
広島・国泰寺僧堂の後堂として活躍されていた時、欓隠老大師と出会う。老大師が少林窟道場を建てられるや、すべてを投げ打って助化に当たられました。
老大師遷化に際して、第三世を依嘱され、昭和33年、当地に少林窟道場を開単され、化を敷かれました。
「明州」は老大師より与えられた号です。玄魯義衍老師は実弟に当たります。
少林窟四世
照庵大智老尼
しょうあんだいちろうに
欓隠老大師の無二の法友であった自照居士の娘にして、若くして老大師に師事されました。その熱烈なる菩提心は老大師直系のもの。老大師遷化に際し、死をも辞せざる猛烈なる只管のぶっ通しにより大悟。老大師の仲介により義光老師と結婚し、接化を助けられました。昭和43年、老師遷化により、四世として立たれました。その境涯は険峻にして老大師を凌ぐものがありました。
その直指端的の法は不朽の輝きを持っています。
少林窟五世
井上希道老師
いのうえきどうろうし
昭和15年、勝運寺に生まれる。義光老師は伯父に当たります。
愛知県豊橋市・全久院に小僧として10年間安居。愛知大学哲学科卒業後、少
林窟道場に安居し、義光老師、大智老尼に22年間師事されました。
京都フォーラム、将来世代国際財団と深い関わりをもち、
大乗精神を掲げて世界各地を飛び回っておられました。その様子は「参
禅まんだら」「地球サミットから始まるもの」に詳しく記されています。