参禅記「参禅まんだら」 井上希道

これは入力途の粗打ち草稿をそのまま出力したもので、未だ人様に読んで頂ける代物ではない。しかし、恥を忍んで敢えて勧めるには止まれぬ心情がある。書店の宗教・哲学のコーナーには無数の書が林立していて、いずれも贅沢な仕上で人の手に渉る瞬間を待っている。手にして見ると知識の切り売りと自己の哲学的見識の披瀝に留り、宗教としての絶対価値の確立と言うべき、大歓喜・大安心・大慈悲心に達するための切実な導きの書は遂に一冊も発見することは出来なかった。大小の書店、汗牛充棟の書籍中一滴の真愛玉涙無しとは。思えば恐ろしくも悲しき限りならんや。

こうした中で世界的な動きの一つに注目すべき事がある。機械論的認識と発想は今日の文明を築くには大変役立ったまではよかったが、根本には飽くなき欲望追究に外ならず、結果的には浪費型個人主義から人格頽廃人間へと導かれ、生命の母体であるこの星の破壊が急速にして複合的に進み、なお加速してとどまるところを知らない。そもそも自然と資源は無限であると言わんばかりの発想であった産業革命からの大量生産大量消費経済システムを拡大させている自己一人々々の欲望追及は、もうこのくらいにしておかねばならないと気付いてきた。人間は最後まで馬鹿ではない。ようやく自然との絶対調和が必要であると言う自覚が起こり初めたことは救いである。一つの地球に生きる有限性の自覚と共に子孫への愛情と心配の高まりと言えよう。そのことは生命観が自然を母体とした地球一体運命共同という根源的存在観へと高まってきたことを意味している。人間の気持ちは、何時の時代に於いても自己の拡大成長確立安定への限りない要求が働いている。この自覚と要求は極めて自然な事柄であるが、いわゆる一般の対立的に発動機能する原始形精神のままでは、常に自己中心に働くため、殆どが外的条件の追求即ち欲望となりあらゆる悪も悉く存在し続ける。幾ら百般の文化が進んでもである。


結局精神の改革以外に抜本的解決策はないと気が付かなければならないし、ならばどのようにしたらそれが可能なのかという大問題がここに浮かび上がって来なければならない。まさに、このテーマこそ根源であり総てに優先すべきテーマなのである。もともと人間を取り巻く条件が問題ではなく、永久に人間そのものが問題なのである。そのことは教育こそ総ての始りであり根源であるということなのである。更に言えば、価値の高い人間の徳性豊かな人生観や人格を培うためには真の宗教なしには在り得ないのである。されば注目すべき事とは、東洋の大乗仏教こそ今必要な叡智であり、取り分け坐禅という行法に秘められた絶対救済の道を求める世界的風潮がそれである。釈尊滅後二千五百余年にしてようやくといった感ではあるが。そもそも学校教育だけを教育だと思っている我が国の教育意識は国際的にも未来的にも大問題なのだ。


七百五十年前、杓に残った半分の水を水量豊かな元の川へ返された永平寺の開山道元禅師は、返された理由に、未来の百千億万の人類が使う大切な水であるからだと。つまり自然は有限であると看破していたのだ。有限なる自然の資源に対して、無限なる人類の継続を心から願う慈愛の切なる働きである。真に限りない人類存在への慈愛は、己れの欲望を越え、ために無常の道理とあいまって、自然は因縁の限りの有限的存在でしかないことをさとし、深遠にして広大なる真理を体得させるためには、ただ只管打坐して身心脱落の消息を得ることしか無い事を教えているのである。これぞ仏法であり諸仏の真髄である。


極度に進んだ上に更に加速して行く今日の文明と、飽くなき大量消費社会がもたらす総ての結末は容易に推測出来るが、それを救うには並み大抵の事ではない。しかし、たった自己一人の精神改革を確実にすれば、確実に未来型の健全な生活を可能にする。のみならず過去に拘って相恨む愚の民族感情等を解消する手立ては、ただ自己意識の底流を為す自我を越え大乗の器になる事でしかない。本当にそれを可能ならしめるにはこの法しか無いのである。正師に従って正しい修行をし大生命観に目覚めれば、教育・医療・政治・経済・マスコミ等に携わる方々が主軸となり、生活者一人々々も、慈悲からの叡知で健全化され、社会は自然に自浄して行くのである。そうすればやがて国家の概念が飛躍し、国境の概念も大いに変革して行くだろう。この法が全世界を覆うた時、秩序の基に感謝と信頼と慈愛に包まれた心の豊かな楽園として私たちの地球が輝く時なのだ。


この様な世界的な危機に直面し切実に精神の根源解決を願う今日、切実な要望とは相反して、林立無数の禅書を求め、どんなに真剣に読み素直に実行しようとしてみても、大海に浮かぶ舟に羅針盤無くレーダー無く帆無くスクリュウ無きに等しい禅書ではどうすることも出来ない。真剣に行じ仏祖の真骨頂に迫って来た者からは放って置けない、いや見殺しに出来ない一大事である。


これはこれ、真箇学道の様子である。指導の側から見た学人の様子などは、或いは無用かもしれない。だが無為自然そのものに気が付くための単純化はそう簡単なものではないところに、方法と指導の困難さがある。自然とは自己以前の様子である。即ち観念や概念以前の始めも終わりも無い、限りない世界である。そこへ導く事がどんなに困難な事か。又そのことの大切さを知って貰いたいのである。

先の『参禅記・坐禅はこうするのだ上・下』は学人の吐露である。向上変革して行く様子を実際体験にもとづいて実践者が述べたものであるら、後輩にとってはそのまゝ具体的な指南書となっている。学人の立場からでは、時々自分が変革していく様子を立体的に知ることは全く出来ない。自分が実践している方法がどのような結果となるかが分からないということである。従ってその方法が果たして正しいものかどうかの判定が出来ないから困るのである。根本理由は一寸先きも分らない無限大の世界に突入して行く事にある。自分では見えない世界であるから師の導きに依って行ずるしかない。それは何処までも素直に従う事であるから、師の正邪をもろに承ける宗教の大変危険な一面がある。


その弊を阻止せんがために、殆ど室内秘中の事として公にされて来なかった所のものを天下に晒して、学人自らが師の正邪を見分ける手がかりを差しのべたいのである。師がどんなにして学人を導いているのか、師から見た学人の様子がどんなものであるかが分かれば、解脱を目指す者にとって自分を的確に見ていない師は一大事の眼無しと結論付けることが出来る。一年ほど素直に従い且つ勇猛精進して、平生の生活に平安の兆しが全く見られず、五年の努力にも拘らず即念に気づかなければ、その方法とそれを授けた師を大いに疑わなければならない。さもなければ、求道の熱勢ただに徒労と化し恨みと変ずるのみであろう。


とにかく自我である染みついた心の癖を取るためには、知識や分別や概念や観念に向かって訓練してみても、結果自然という世界に遠くなりはしても近付くことはあり得ない。自然に帰るためには、ただ自然であることしかない。自然には理屈も捉われも恨みも何も無い[只の世界]である。我々自体が本来それである。それは体と心の一つなる自然の様子に任せて、体を通じて体を忘れ、心を通じて心を忘れ、そのものになり切って隔てが脱落した即心是仏・如法の那一刹を深く練ることしかない。これが真実の禅修行である。それが純熟した結果、一大自覚の一大事因縁が起る。大自然に目覚めた証であり、煩悩が菩提であったことの確信である。大乗の法とはこの事である。これを得んがために命懸けの修行をするのである。目的と方法は是の如くはっきりしているのだ。問題はただ師と菩提心だけである。


何時の時代でも、文明が幾ら発達しても、人間の確立とは自ら菩提心を起こして、自らをこゝにまで導き高める以外にはない。いよゝゝ心の時代となり、心の導き精神の浄化にかゝってきた。どうあれ人間の徳性なくしては人間らしい世にはならない。この簡単な道理が通るようにしなければ何にも浄化されては行かないのだ。また命の母体であるこの星を救うためにも時代の正常化のためにも、この大乗の法に依って思想を浄化し、根源に目覚めるより道はないのである。そのためには参禅者自身が師の真偽を厳しく点検するの眼を具すことが今こそ必要なのである。のみならず宗教及び宗教家としての存在価値がそろそろ問われなければならないし、もっと自分の人生を大切にして貰いたいと願うものである。

この祈りを常に抱いている吾人の正義感に似た性癖的行為から、この出来損ないの原稿を一日も早くと思い同士に送るものである。願わくは一読了解勇猛精進賜らんことを。

                                        合 掌 

   平成二年七月十七日
                                        希 道 識 

参禅記 参禅まんだら 少林窟道場主 井上希道著

仙 台 居 士
                 篇
賀 数 居 士

 昭和六十四年も正月七日にして終わる。激動の日本を高潔な人格と優れた知性で支えられた大帝として、我が民族が続く限り尊崇敬愛されるであろう。

  南無高徳昭和裕仁天皇大菩薩    献香百拝

 二月に入って三日目、仙台の大平居士より二度目の電話が来る。どうしても参禅したいから指導して欲しいとの再度の願いであった。三月には二人の参禅を承けているのでそれに便乗させたかったが、三月まではとても待てぬとのこと。
 世に出して間も無い『参禅記』を読んで、憤然とやる気を出したからであろう感動と着眼が定まった心境を電話で知らせて来たのは昭和天皇崩御より一週間も経っていなかった頃である。その時既に、直にでも参禅したい程の熱烈なる求道心からであった。
 このところ毎年寒行が途中から出来なくなって、禅僧としての面目を失墜させているので、これ以上用向きが増えてしまったら、又々だらしのない事になってしまうのでやむなく断った。が、結局は我が寒行も四日しか出来なかった。私の人生は年と共にこうして行も侭なら無い事になって行くのか。何とか方向を見出さなければならない。

「今大変忙しいからとても出来ない・・・二月になってまだやる気があったら電話して下さい・・・」
 この手で断った御仁が何人になるだろうか。二月に入って『普勧坐禅儀一茎草』の印刷に追われている時、こうして断った御仁からの電話が入る。弱々しい声である。世間に就いて行くのが苦しいらしく今無職だとのこと。どうも坐禅に救いを求めることは一様であっても、自己自身からの求道心ではなく、一般の社会生活に就いて行けないから坐禅によってパワーアップしようと大きな期待を掛けて来る者は、その後皆駄目になっている様子を目の当たりに見ているので、この手はあまり気乗りがしない。断るか、そうでなければ「尊い道を求めるのだ、少々の苦難は元より覚悟の上だ、世間の事は問題にせず働けばいい」と言った処まで目的意識を向上させてから引き受けるべきだと思っている。


 こうした考えに立っているので、当然器を計るべく色々と探りを入れて見る。大変真面目で気が弱い。一口に言って自分を支える力が虚弱なだけである。このタイプは自尊心が可成り強く、一面的に解釈したり思い込んだりしてそれに毒され、自分が融通がつかなく成っている場合が多い。自分の取り込んだデーターを状況や条件に常に改善して適応させるという知的作業が健全でないのだ。しかもまずいのは、自分の意見やデーターを出して一個人の一意見として他人の見解や自分の別の角度の分析を自由に注ぎ込むことが出ないところにある。その理由は、自分の考え意見が自尊心に裏打ちされているので、他人に批判されたりすると自分が否定されてしまうというものである。一意見として導き出す知性の精神部分と、世間の自尊心となる存在観即ち感性の感情部分とがまだ未分化なのである。精神のどちらかに動揺が有れば常に両方が乱れているので辛いし続かない。複雑な人間関係の社会への適応力が弱いという結果になるのであるが、自分が著しく傷つき被害者になったり自信喪失になったりするので、笑ってすませるには少し気の毒な感がする。


 彼がこの通りとは断定できないが、当たらずとも遠からずだろう。自分に突き当っている者は自分が大なり小なり苦しんでいるので、それに対する努力の歴史があるものである。無いことはない筈であるが、思惟して行くのに大事な根幹とそうでない末端的な部分との区別が付けられないと、自分の問題が自分で整理できない。言わば空回転してしまう。従って自分のいい処へも自信が持てず、又改良部分も共に見えないことが多い。「だからここをこのようにして自分をはっきりさせたいのだが、そのための手立てが分からない、そこを禅に求めたい、それを是非教えて頂きたい」とこういう具合にちゃんと治められる人は根本に自分を導くレールが敷かれて居り、自分を牽引して行く力がある。こういう具合になれない者は大抵禅を自分のものにしていない。自分を牽引する力が無いから継続できないという決定的な欠点による。ただ坐禅をすれば信念が定まり意志も強くなるだろうと漠然と大きな期待をしてしまうものだ。その後の挫折と言うか期待外れによる当惑は必ずと言っていい程自分を元とせず、相手が悪いとする意識しかなく、批判と悪口が常習になっているものだ。

『参禅記』を読んで禅に興味を持ち、参禅の志を抱いたことはまことに嬉しいことであり、私の目的がそこにあっただけに喜びの前に責任を感じてしかたがない。是非なしに救いの手を差し伸べるのが義務である。こちらの都合で相手を選ぶなぞ傲慢の限りであり、禅をどう生かすかはこちらの世界ではない。無駄になったとしても私の責任ではなくその人のしからしむるところだ。
 しかし、とくる。こうした手合いは後日「坐禅したが何にもならなんだ」と言うことが多い、となると何のためにしたのかとなる。法を憚る人間にしたことにもなり罪作りである。私はとなると、そこから先は本人次第だし、それなりの御布施を置いていったからといってそれで総て済むというものではない。
「折角大事な禅の急所をつかませたのだから、これを見失うことなくずっと頑張ってくれよ」と心は何時もその人に就いていく。
「ここを継続さえしていけば必ず深い拘りから救われるから、いいね、どこまでもやるんですよ」と、折々にその人を目前に呼出して声なき声で激励をする。しかし結果は大概裏切られて終わり。

 同情や承認を求める訳ではないが、無駄矢を放つ程私は暇人でない処に自然に贅沢を言いたくなる。忙しいのを理由にして此の度も再度信念を確かめることにした。直にでもして欲しいむきではあるが、もう一ヵ月引き延ばして三月の七日からなら引き受けることにした。この日にしたのには理由があった。
 一月二十八日より二月一日まで四日間の忙しい旅をしていた間に、広島から電話があった。
「『参禅記』を読んだ、どうしても会いたい・・・」「何日まで居ない」ということで、私が帰るや否や電話があった。彼はその日の内に飛んで来た。
 どれ程の会社かは知らぬが社長であった。本堂正面から上がるや御本尊へぬかずき、額が付かんばかりの礼拝は完璧であった。そして私と対峙した時の姿には紳士のりりしさと、あか抜けたセンスが全体に漲っていて、一流の国際人に見えた。自信ともなっている筈の落ち着きがあり、さすが間髪を入れずして行動を起こすだけの御仁ゆえ求道心も確かなものであった。彼の一連の動作には無駄が無いばかりか、自分を投げ出して懺悔する姿には充分な清潔感があった。自分の心の空洞化が不安で、それを補強するため安住の地をずっと求めて来た過去の遍歴の披瀝とが全く一致していて、それが彼の繊細さと高貴性を培って来たのだろう。色々な話の中で仙台の大平居士のことが出ると、
「当然でしょう、先生が仙台でしたら私は仙台まで行きます。とにかく自分のそこだけはどうしようもないので、先生のご指導で手がかりを得たいのです。どうしてもお願い致します」と大の男が下問を恥じず、純粋な努力心の総てを掛けて頼まれて、これを断る程私は変人ではない。それが三月七日であった。
 こうした三人三様の熱烈な士が集い、私の気に入る修行をしてくれたら、その空気は物凄いものになって行くだろうけれど、大平居士がそれまで待てぬとはこれもしたたかな者だ。

 仙台から参禅に来るということは顔を合せた十楽、小積、嵩の各居士に話た。一様にその熱意に感動し、麗しき君子の争いとでも言うのか後輩となる同士に相応しい気迫を燃やした。心に鋭く銘記するものが突きささっただけで、気持ちの全域に渡って喝が入る。少なくても少林窟道場や海蔵寺或いは私の前だけであったとしても、深く安定した修行になり隙が無い。自然世俗の話などは起こって来ないから法ばかりである。こういう時は気持ちが非常に整理されているものだ。それは価値観の序列がはっきりしているのでもたつきが無いからである。別から言えば使命感や自尊心や目的意識が一点で融合燃焼しているために、価値観が極めて高く、目的以外の物事は今自分にとって価値なしとして切り口も見事に裾切りされてるということである。

 約束通り電話が入ったのは二月十一日午前十時ごろであった。
「大平ですが、今からそちらに伺わせて頂きますので宜しくお願い致します」微塵の躊躇もない。
「今何処から?」
「忠海駅からです」
「ああ、もうそこまで来ているのかね。遠くからよく来たね。大した菩提心だ」
 昨夜の内に神戸まで来ていたというから早いはずだ。駅から真っ直ぐ山手に向かって細くなっても直線に進み、突き当ってしまえばいいのだから、五分ばかりの道順の説明には二つ三つの言葉で済む。
「君は何しにここまで来たのじゃ?」
「はい、修行するためです」
「何の修行だ?」
「はい、禅の修行です」
「よろしい。禅の修行は今に徹することじゃ。修行はもう始まっているのだぞ。今の一瞬の一歩を見失うことなく、一心不乱に只歩いて来なさい。分かったね」
「はい、分かりました!」
 間もなく髪の短い長身の主がノッシとした歩き振りで現れた。旅慣れた感じである。
「やあ、本当によく来ましたね」と言って本堂から手を上げたら、実に爽やかな笑みを見せた。玄関で家内が何時もの様に出迎え、言葉少なに長い長い挨拶を交わす。私は襖越しの隣の部屋で彼を迎えた。既にこたつには御茶の用意がしてあったので、彼は御本尊に挨拶もせずいきなり私と対した。格調高い順序と言うか礼儀を知らないらしい。こういう時は何かで前後したとしても目前に有る御本尊に敬虔なる合掌低頭ぐらいはしなければいけない。彼の場合は今そんなことを教える必要は全くない。私の意図するところまで心境が進めば自然にどう有るべきかが分かって来るからだ。月並みの言葉を呈しながら御茶をすすめる。
「何故こんなところまでやって来たのかね?」
「はい、今まで二十四・五人の御坊様に会って来ました。このところ五箇寺の参禅会に出ていますが、『普勧坐禅儀』の[心意識の運転をやめ、念想観の測量をやめ]と示されていることは坐禅の修行の最も大切なところだろうと思いますし、それが出来なければ三昧も得られないと思いますし、仏法も分からないと思いますし・・・
 老師方が無我になれと言いますが、じゃ、どうすればそれが出来るようになるのかそれが聞きたくて、何度も何度も、そこを教えて欲しい、どうすれば心意識の運転をやめ、念想観の測量をやめることができ、静かに只管打坐ができ、無我になれるのか? と尋ねても皆いい加減なことばかり言って、ちっとも得心のいく指導が貰えないんです。仕舞いには、お前はしつこすぎるんだ、と嫌われて・・・」
 と続く。
 いきなり『普勧坐禅儀』の修行の中心の部分を引っ張り出してくれるとは嬉しくなる。しかし、これをあびせかけられたお坊さんは悲劇であったろうし、真面目な人であったら自責で心が痛んだであろう反面、真実に求道の士が居ることを知って気色が悪くなり恐ろしくなったに違いない。心では彼の来ないことをどんなにか祈っていたことであろう。
 たまたま『参禅記』を見て、具体的で明快な方法を知り驚いたという。さも有りなん。「禅の本や解説書を一生懸命あさって読んだですよね。ところが解説書は修行をしていない学者が書いているので、肝心な処は皆哲学の言葉でごまかしているんですね。こいつはいかんと思い、道元禅師の『正法眼蔵』を夢中で読んだですが・・・さっぱり歯が立たないんですよ。」
 まことに正直である。修行の仕方も手に入って居らぬ者が分からなくても当たり前だ。『正法眼蔵』は歴史的にも稀な潔癖性と天才の道元禅師が、言葉を駆使した法書である。「どこをとっても肝心なことが分からんのですよね。[谿声山色の巻]なんかですね、・・・文字づらは読めてもさっぱり本質が分からなくて・・・」
 彼の勉強ぶりというか読書量と努力心に感心せざるを得ないが、専門の僧に出会う度に落胆し煩悶の深さを増していく気の毒さ加減に同情してしまった。そんなこと一般の住職の手の負える代物ではないのに、禅坊主であれば誰もが皆知っている者だと思っているようである。たまたま参禅会など開いているからそう思われてもしかたがないが、高く評価しているのはいいとしても『正法眼蔵』全巻を一度でも読んだ住職が何割居るであろうか。だのに一生懸命嫌われるまで聞込む様子を想像するまでもなく、夏の蝉に冷たい氷の説明を求める方が、彼が真面目なだけに滑稽の感がしてしまう。得られ得べくもないからだ。
 時を惜しむ私と道を求める彼との問答は、「どうしてもやらねば駄目だ」という結論に達するまでそう長くは掛からない。腰を上げ、腰を下ろした所はいわずもがなの道場である。
 暖かいと言っても冬である。冷え冷えとした禅堂は、毛布の二枚や三枚ぐらいの防寒で事足りる筈はないけれども、そこはあれだけの距離をものともせずにやって来た求道心の熱で吹き飛ばしているのだ。この熱が無い者がここでの坐禅に耐えられる筈はない。隙だらけの彼が少し治るのも、相当の努力の後の事である。
 入った切り五時間ぶっ通しで頑張っていたという事は、中身を問題にしなければ確かによく坐っていたことになる。ここは時間が問題ではない。中身である。それが夕方には、「呼吸に一つになって居れる」という。そんな馬鹿な話はない。緊張感による感情の静まりがそんな感じ方にしているだけであろう。
 彼の様な意識の回転力を具えた者が、一呼吸に焦点が合せられるところまで漕ぎつけることは、ちょっとやそっとの努力で出来るものではない。こういうのを感情悟りとか感情三昧とか言って、イミテーションにもならないいかものが九割九分である。

 明くる朝、調子が崩れたと言い、一呼吸が分からなくなったと言う。当然である。もともと単純化しようとすればするほど、却って複雑化してしまうタイプであるから、一点に置くということは彼にとってそう簡単なことではない。夕食後「サルトルと道元」を書いた森本和夫が或る本の中で、川端康成の言った「日本人はもとゝゝ自然を大切にして生きて来たので、道元禅師が歌った、『春は花、夏時鳥、秋は月、冬雪さえて凉しかりけり』も、自然の季節感を新鮮にとらえたものだと言ったことに対して、森本和夫は違うと言うのですね。つまり道元禅師は自然と一体になって、それを歌ったものだと言う訳です。それで・・・」
「じゃ、私が道元禅師の心を言おう」
「ちょっと待って下さい。自分にもう少し喋らせて下さい・・・」
 とあいなる。頭が重すぎてこれではなかなか一つことに静かに居ることは無理だ。昨夜の自信も静けさも何にもない。こいつは大変な難産をするだろう。がまだ本当の着眼が分かっていないために、修行になっていないということだけは充分理解している。その程度の修行だから本当の苦しみも知らない。所々に笑いが出て来るのも一点に収っていないからである。一点上での雑念との戦いをしていたらこうした過去の雑物が私の話より優先して出て来るものではないし、自分の思いにのめり込むことはない。「そう言う雑念が災いをし自分を苦しめているのだから、そこから脱出しようと努力するのであれば、今それを切捨てろ!」と普通の者にはいきなり急所に持込むのだが、彼の場合自分の主張が出始めると、それを自分で始末が付けられないタイプである。精神構造としては、情報の回転が、何時も感情との深い絡みがあり、完全抽象としての思考ではなく、体ごと感情がらみだから、常に力が入っているという状態である。従って短兵急に否定とかすると不満がたちまち飽和状態になってしまう。必ず「あの・・・」と続き「ですが・・・」の反論となって抵抗して来る。切る段には徹底切てやらなければ返って災いになってしまう。切り方を間違えて、「黙って私の言う侭に修行しなければそこからは一歩も進まないぞ!」と理屈で征服したりしたら、返って怒りへと感情がエスカレートして行くのでなお厄介になる。ここがこの手の難しいところである。

 三日目に入る。でっかい頭と即念との戦いは文句なしに頭の圧倒的な勝利である。だから手元は抜けっぱなし。食事にしてもその都度その物に成り切って行くよう注意をするのだが、さっぱり自分の今していることが把握できていない。生活習慣による動きに支配されていて、今のそのことの事実を上滑りしてしまっている。
 このままだと眼耳鼻舌身意が総て過去の支配によってしか作用して来ない。実際には眼耳鼻舌身意は色声香味触法として瞬間の今のみに自由自在に機能している。これが実体である。執着の余地が無い念、前後の無い念に早く気づきここに着眼すると、自己とする認識の余地が全くないことに突き当る。明かに無性無我なのである。その時その場の条件のままにすんなり一体になっている。これが私達の本来の有りのままにして天然の姿であり、既にどうすることも出来ない瞬間に完成している姿である。ここが分からなければ、あの「渓声山色の巻」など正法眼蔵を初め禅書はとても分かるものではない。
 これをだから人間の迷いの側から殊更に[解脱]とか[脱落]というのである。この天然の本来の正体を解明するための修行が仏道修行なのである。それを体得していくためには、このごたごたと拡散した心のままではどうにもならないのだ。どうしても一端は生活習慣として固定化している脳の回路から脱出しなければならない。ということは過去の総ての知識やこちらに相談なしに勝手に思惟する癖を無視するか破壊するということである。

 そのための着眼の置き処を知らしめるために具体的にやって見せる。過去の隙入る余地の無いぎりぎり一杯の集中注意を一点に置く。そしてそれをずっと継続さすべく雑念に流れたら直に注意をすることになる。
「もう一度やり直せ!」
 と箸の上げ下ろしからどんぶりに手を出したり引っ込めたりすることのいちいちを指摘する。大概なら面倒臭くて嫌に成る程だ。習慣でやっているうちは習慣の流れであるから速度も早く、それ自体が制御できない。彼は今どんなに叱られ怒鳴られてもどうすることもできない状態である。彼だけではない、初めの相場は大抵この程度である。だからこれを殊更に努力してやって行くのが修行である。最も苦しい時である。目の前でいちいちやられるのだから、どうしてもしなければならない。そうしてでもやらせて、手元の事実に着眼出来るようにしなければ、拡散は治らないのだ。それが第一の突破しなければならない関門なのである。

 習慣を破る一番良い方法は、習慣に逆らうことである。体が覚えているから注意も何もなくてもさらさらと無難に行為していくのが習慣である。その間は色々な雑念に遊んでいる。もし雑念に遊んでなくさらさらと流れていたら、それは習慣ではなく縁と一つになって最も向上した工夫であり、これを如法と言うのであるが、ここまで漕ぎ着ける事ができたら相当進んでいる。それに勝るものはないからどこまでもその単調さを練り込み熟させて行けばそれでいいが、今の場合これとは雲泥の違いがある。大概はそうはいかぬ。
 そうした習慣の動きに逆らうとは、手っ取り早く言えば速度を十分の一に落としてゆっくり動作することである。そのことを守ろうとすればどうしても注意を怠る訳には行かなくなる。更に注意の密度を上げて、そこに心を置いて成り切って行けば、自ずから今の事実と親密になって来る。事実は常に現実の今の一瞬の世界であるから、その事に焦点を併せておれば、自然過去の頭とは一線を画することになる。ころっと楽になるのはこの時からである。だから正しい修行が有難いのだ。
 勿論今までの自分の動き自体に成り切って[只]動作すればそれでいい。速度など問題ではない。[只]には過去も習慣もない。その時、眼耳鼻舌身意に任せ色声香味触法として既にちゃんとある道が「確かにそうだ」とうなづける。だが口では言えても現実にそれがそうだと合点出来るようなうになるためには、現実その物が念と拘わらない、前後の無い一瞬を体得しない限り総て夢物語なのだ。
 食事が終わるや否や、
「直に禅堂に行きなさい。いいか、命懸けでたった一息だけを見失うことなく一心不乱にやるんだ! 分かったか!」
 合掌をして立ち上がる。が既に心は拡散しているから動作は隙だらけだ。
「どうしてもっと本気になって真剣にやらんのだ! もっと隙なくやらんか!」
 一八五センチの大男が次第に小さくなっていく。このところの寒さは半端ではない。風が抜け切らない彼の身を案ずるまでもなく、ちょくちょく食堂兼居間に出入りする。自分を調御することが出来なくて雑念との戦いが苦しいのだ。長くじっとして禅堂に居られないのが彼の今の実体である。従って最初の長時間の熱心な努力は、極度の緊張に依って知・情・意の統合が出来たので続いたのだ。
 ストレスは決して悪いばかりのものではない。極限でなければ光らないとしたら極限状態を与えることが絶対な条件である。それは総てに優先したストレスという精神エネルギーがものを言う。極限的努力を支える力である。これが暫く続けば知・情・意の統合に依る静寂が出現する。この時、拡散はこの中に自然消去した形で治ってしまうのである。早くそう成るために、心に引っ提げている総てを捨てて決死の覚悟でやるだけだ。

 午後三時を確認して間もなく、廊下に何かの気配がするので行って見た。
「さっぱり呼吸が分かりません!」
 廊下で手を突いて私を見上げるその顔は、疲労と困惑そのものである。成田など闘争運動すること二十年。支援をするために二千万円は投じて戦って来たし独房へも行って来たという名うてであるから、そう簡単に泣きを入れるやわ人間ではない。しかし、形も姿もないが一瞬の間も空けること無く責め立て続けられると、自分は一体どうしたらいいのか分からなくなってしまう。このくらい苦しいことはない。さすがの彼も、戦う相手が自分の内に有って、しかも気配も無く襲って来る姿なき魔には余程参った風だ。五割の者は「今の一呼吸を徹底守れ」と繰り返し繰り返し言われたら、それを頼りに一呼吸にしがみつく。出来ても出来なくても、分かっても分からなくても、そのことへの実行によって心の立脚点を微かに保持することが出来るが、後の五割は自分の聞き方で聞いてしまう。そこでまず色あせ、最初のつまずきをする。それは耳で聞き頭で単なる情報として言葉でインプットしてしまう。これだと師の大事な示唆は実際には生きていないことが分かるであろう。実際行動である現実の修行の全面に理屈がはだかって、一呼吸の即念を守る守りも弱く、雑念を切って捨てる攻めも弱いし、心が帰る立脚点もはっきりしていないから、そのうちにどうしていのか分からなくなってしまうのだ。それでも自分では一生懸命なだけに、それ以上の方法もないから精魂尽きて参ってしまう。師を信じて言われる侭に実行することが一番早く、そして最も楽なのだが、それは通り越して始めて分かる事柄なのである。
 仙台からこの一事のためにやって来て真面目でない訳がない。その分だけ更に挫折感を伴っている筈である。早く今の一点を分からせてやりたいものだ。
「禅堂に入ったら一呼吸をとことん見守ることだ。一呼吸とは何だ?」
 と単純な基本を整理させるべく自覚と確信を求める。
「それは・・・あの・・・」
 思った通り全然焦点が定まっていない。これではどんなに頑張ったとしても埒があかない。理屈と二人連れだから根本的にその物と隔たっているからである。
「びしゃ!」
 と横面をひっぱたく。この様な時、決して力を加減してはならない。実行に理屈が付いて回るからその事に一つに成れぬ。自分も理屈を捨てたい筈だから、理屈に纏わりついている不明な力みを振り切らせるためのショックなのである。そして、
「命懸けで一呼吸を守れ! 何をとぼけた一呼吸をしているのだ。馬鹿者が!」

 夕方暮れた頃、広島の山本仙陽居士来山。久し振りにしてはいきなりじっくり手元への着眼は確かなものだ。毎日坐禅していたというだけはある。やはり家でするのとは全然違うと言う。少林窟の空気が急に締る。有難い、これで彼も定めるポイントを掴む事が出来るだろう。
 引き締まった夕食の時、大平居士に、
「先輩の様に、今やっている事にもっと注意を注ぎなさい!」
 その一言が彼を「ハッ」とさせた。何となく山本仙陽居士の動きの焦点が見え始めたようだ。理屈以前に気が付き出している。こうなると今までの努力が皆生きて来るから一気に調子を上げる筈だ。
 山本居士は朝まで坐るという。この寒さで一晩中禅堂に居たら大変である。その意気や賞すべきではあっても、長く無理する事より適格に密度の高い修行の方がずっと向上することを見逃してはならないのだ。夜の二時までが限度であることを申し渡す。

 四日目の朝、辛い体を引き起こして禅堂に入ったら皆猛烈に坐っていた。大平居士はストーブを持ち込んで頑張っていた。「この寒さは大変だから」と彼には電話で話しておいたのだが、「そちらは何にしても南ですから、仙台当たりの寒さとは問題にならんでしょう」と言われると、あちらの寒さを知らない自分としてはそれ以上ものは言えなかった。が、現実として彼はここの寒さが堪えているのだ。テレビなどで見ると寒気団が襲った時、小さな日本には緯度は関係なく一様なのだろう。ここらの寒いのは中国山脈を越える時に、湿気を皆失ってしまうので潤いの無いからから空気となり、それが底冷えとなって余計に寒さを感じさせるのであろう。
 とにかく禅堂にストーブを持ち込んだ者は彼が初めてである。別に悪い事ではない。その事でしっかり向上出来るのであれば、何もそれしきの事をどうこう言う程のことではない。そんな坐禅をしている彼等に、
「自己を習うとは自己を忘るるなりと道元禅師も仰ったが、自己ならぬ物はないし、自己ならぬ時もない。見るそれがその時の自己であり、聞くそれがその時の自己である。一瞬の一呼吸それがその時の自己である。それほど厳然としてちゃんとしている自己を体得する事を習うと言われたのだ。元からそうなのだが、どうとかこうとかへ理屈を付けて隔てを自ら持っているためにそのことが分からなくなっている。この事を無明と言うのである。この無明を破って光明にするのが修行の目的である。即ち自己の本来をはっきりさせることである。本来すでにそれがそれであり、それが自己であるから、求めるのでも新たに開発して掴むものでもない。その物がその物である事を知るには、その物に習うより方法が無いではないか。その物に習うとはその物に徹して全分余すところなく成り切るということである。一呼吸に成り切って自己を忘れる事である・・・」
 の様な提唱をしていたら、彼はその法話に中毒症状を起こして逃げ出してしまった。耳で聞き頭で聞いていると情報を処理しなければならなくなる。そのために混乱してしまったのだ。正法を聞いた事が無い証拠である。
 常に念想観や意識を以て聞かず、ただ耳に任せ音に任せてさらさらと只聞き去る事である。只、無心にあれば自然に流れて済んでいる。本来、心がそれであるから、その様に自然の道に目覚めるために坐禅しているのである。だから何事も心を空っぽにして只聞くことである。そうしておるだけで自我が取れて着眼も禅定も深く定まって行くものだ。

 朝食の時その様な話をして、心とはその様に微妙ながら急所は[今]の一点しか無い事をくどく、くどく話して聞かせた。昨日と際だった違いとは映らないが、心静かに構えなしに聞ける処まで漕ぎつけたみたいではある。この様に成り始めたら隙を与えぬことが本人にとって一番良いことなのである。
「直に禅堂へ行きなさい。いいですか、たった今の一呼吸を確実にすることだけですよ! 分かりましたか!」
「はい!」
 見たことの無い腹からの返事であった。これならもうすぐはっきりするであろう。

 夕方、帰窟するや直に彼を呼び出す。彼も私を待っていた。表情が静かにたゆたんだ感じだ。こんな場合は決して悪いことはない。彼は手を差し出してゆっくり左から右へ水平に旋回させて、
「この動きが点としてはっきり見えるのです・・・」
 から始まって、ようやく自分の瞬間の動きが見えるようになり、急に楽になって来たことを感慨無量といった深い口調で語り出した。彼の苦しみが分かるだけに、私にとっても随分長い時間であった。
「午後、目茶目茶一呼吸にしがみついてやりましたらですね、経行の一足がきっちり見えるし明快に捕らまえられるのです。又、雨の一つぶ一つぶがはっきり見えて大変驚いてしまいました。
こうしてお茶を呑むでしょう・・・」
 と言って静かに手を出しお茶を飲んで、
「この様子がですね、理屈なしにはっきり見えるんですね。これしか無いんですよね・・・」
 と言う。心念紛飛が漸く治って来たことが、その急所がこんなに手元にあって而も見えなかった不思議さを噛みしめているようであった。こうなって来ると分からなかった私の話が皆理解出来て嬉しくなってしまうものだ。これからが本格的な修行となる段階で、こうした心の魔が次々と潜んでいるのだから、こちらは油断も隙もあったものではない。学人にはそんなことなど分かろう筈が無いので、理屈が少し治って楽になり分かるようになれば嬉しくも成ろうと言うものである。これを取り上げ本来に向かわせるのが慈悲である。非情の慈悲は大乗の働きなのである。

 夕食はようやく修行者らしく生きた食べ方であった。山本仙陽居士という良き手本が現れたことで何もかも幸いしたようである。これも時節因縁であろう。西洋皿に盛りつけてそれぞれが取って食べたのであるが、山本居士はその食べ残しを全部捨ててしまった。なんてもったいない事をするのだ。食物は命綱である。感謝と思い遣りが食べ物へ現れない様な修行である限り、その法は知れたものだ。又、逆に物事をいくら大切にし気配りが出来たとしても、脱落のない限り凡夫であって本当の安楽も喜びもなく、真理の現成ではない。迷いに違いはないのだ。見性の一大事が如何に重要であるかこの辺りで知るが良い。

二月十五日
 五日目となる。朝山本仙陽居士下山。すっきりした表情と無邪気な笑顔を送り出すのは何時も気持ちがいい。
 と間もなく、小柄な五十三・四才の紳士がボストン・バッグを携えて、
「どうしても参禅の御指導を授かりたくて、そのために退職して参りました」
 と充分な決心を付けて来ていた。切実な悲壮観が私を熱くさせた。断り無くいきなり飛び込んで来たからと言ってとても追い出せる代物ではない。こちらも内心開き直って、「えい、一人も二人も同じことだ。快く承けてやろう」という気になってしまった。
「貴方も乱暴な人だな! こちらの都合も聞かずにいきなり退職して来るなんて、とんでもない御仁だが、その菩提心や愛すべしだ。
しかし、私の言う通り真剣にやらんと承知しないぞ!」
 と睨み付ける。小振りな賀数居士は更に小さくなって、
「はい、死物狂いで一生懸命にやりますから、よろしくお願い致します!」
 と手を突いて丁寧に挨拶する姿には自我もなく嘘もない。よし! とにかく全力を注いでやってみよう。それしかない!
 着眼の説明をして、
「どうじゃ! 命掛けでやれそうか!」
「はい! やります!」
 今一つ体がもた就いている。それだけ無駄な苦しみを引き摺る。そこで『ビシャ!』と横っ面をひっぱたく。
「口先だけの命懸けでは駄目だ! 死んだ積りでやれ!」
「はい!」
 よし! この分なら大丈夫だ。即大平居士に付いて禅堂へ行く。この平手打ちは決死の覚悟を高める激励である。気持ちだけ命懸けの積りが多いが、こうして更に肉体的にも生理的にも全エネルギーが一点へ集約されて始めて決死の覚悟と言える。これが本当の努力心である。苦しんでいる患者の体を、仕方なく切り込んで行く医師の慈悲である。情に溺れて躊躇したら手元が狂って助かる者も助からぬ。

 これより大平居士食事当番となる。それが何とか出来る心境に達したからさせるのだが、ぎこちない動きをする人を久々に見た。失うまいと一生懸命だし、まだ充分な着眼に達していないからどうしてもそうなってしまう。よちよち歩きの幼児を見るようで、その事に一生懸命な姿は尊くすがすがしい。
「仙台のノッポさんよ、いいぞ! その調子で益々頑張れ!」とは口では言わぬ。禅堂の賀数居士も死物狂いだ。寒さに弱い自分が、このところ何かに熱くなって理由なく嬉しがっている。

 昼前十楽・嵩の両居士弁当の差し入れに来た。珍しい取り合せである。
 ようやく頭の中から出る道を発見して大いに楽になりつつある大平居士に、
「これは何だ?」
 と言って私は手を叩く。
「これです!」
 と言って示す。先ずはよし。そのものに収めていくことはこれで出来る。それだけ単純化する力が付いたということである。ここが分からなければ拡散する心の治めようがないのだ。彼の静まり加減からすると此処が限界の筈だが、
「これを両手の声と言う。では片手の声は?」
「???」
 やはりそうである。理屈で教える事は簡単だが、それでは力にならないばかりか大いに理屈を刺激して頭が騒ぎ出していくから危険なのだ。
 十楽居士は思わずニタッとする。嵩居士は一言も発することなく黙々とただ食事の準備を続ける。極めて調子がいいらしい。十楽居士は我々と同じテーブルに坐って大平居士と私をせわしく見回す。そんな彼に禅定は全くない。何時もの真剣さは今日はどうしたのだ。腰を曲げ前かがみにして顔をちょこんともたげた姿勢は気の抜けただらしのない格好の一つである。柔和な顔がこうなると間抜け面に見えてくるから面白い。
 反対に大平居士は凛として精悍な感じである。両手の拳を膝の上に置き、静まり始めた心を失うまいと真剣な表情が小気味よく光っている。今の一点に居るということは言葉を越えて、知恵や分別の外に居ることを言う。
「どうですか? 楽になりよりますか?」
「はい。昨日からですね、今が分かりだしまして、あれから急に・・・そうなんですよね。ここが分からなかったら修行にならんですものね。皆何を教えてるんですかね、無茶苦茶だ!」
 と笑いながら小首をかしげる。もう偉そうな事を言いだし始めた。それも今までの努力の歴史から、自然発生的な自覚と実感であるからどうしようもない。決して彼は人を悪く言わない。だが、平然としてとんでもない指導をしている「もどき」への評は当然ながら厳しい。

 昼食が済んだ頃小積龍顕居士が現れた。皆揃ってどうしてかなと思ったら、仙台から坐禅をしに来るということを話して努力心を啓発していたので、どんな御仁なのかそれぞれが点検に現れたのだ。五日目であるからもうそろそろ出向いても妨げにはなるまいと読んで様子を伺に来たのである。彼等も油断のならない連中だ。
 私が合間々々に海蔵寺へ帰ってはワープロを打っているので、小積居士はそれを見兼ねて「自分のコンピューターを使って下さい」と、直に嵩 大徹居士を伴って出かけ、小雨の中を持って来てくれた。有難い! これで少しでも能率的に仕事が出来ると言うものだ。
 それからお茶を飲みながら又法談に花やいだ。十楽哲承居士は何時にもなくくだらんことをよく喋る。手元が抜けていると、こうまで裟婆気に動くものかと感心する。いい器だけに何とかしなければ進歩して行かなくなってしまうのだが。(数日後、これを彼に読んで聞かせたら赤面して一気に飛躍した。悪口も書いておくものだ)

 賀数居士大変綿密に足元を守る。これが本当に始めてなのだろうか? どんなに油断なく頑張っても始めはそうは行かないものなのだが・・・
 雨頻りによく降る。真夜中、大平居士は禅堂で遅くまで頑張っている賀数居士の蒲団を敷いて彼を慈しむ。禅堂の賀数居士は五十二歳とか。

二月十六日
 大平居士六日目となり、賀数居士は二日となる。雨の所為か暖かい。私が起きた時は大平居士食事を作っていた。勿論賀数居士禅堂である。大平居士すっかり動きが静かに安定して来た。ついさっきまであれほど箸の上げ下ろしを注意されていたのに。
 二人とも満点の食事を取る。こんな食事の取り方は何処の道場にもないであろう。今はそんなに注意をすべき事はないが、
「今、こうして自然に機能していることになり切って只あればよい。それを認識せず、分別なく、善悪なく、好き嫌いなく、縁のみになっていることを如法という。縁は無限である。これを万法という。一々がそれである」
 と言いながら、二人の視線を私の茶腕の上げ下ろしに吸い込ませる。見入る二人の視線に隙はない。いい調子だ。
 静かに茶腕を置き、皿を指差す。間髪を入れず二人の目は皿に移って他に何も無い。ガラス戸を指差す。二人は私の指差すままにそれを見入る。次々に移って行く。完全にその時の縁に融け込んでいる。分別はない。一瞬有ったとしても、移るその物によって念は切られているので続かない。ここの前後際断している念の様子をしっかり知って欲しいのだ。これを離さなければ只管打坐、只管活動が出来るのだ。逆にこれが分からなかったなら、例えどんなに頑張っても一歩も向上することは無いのである。
 これが今の様子である。その間に人の存在する余地もない。移っていくその物にきちっと成っているのが人本来の働きである。いや、人も何も無い。無念の念が不連続の連続を縁に従って展開しているだけである。
 今彼等は完全に念が切れている。相手によって脱落しているのであるが、悲しいかなその大自覚が無いので確信が沸かない、そのために力にならないのだ。自己を忘れてその物になった消息が万法に証せられた時節である。これがなければ仏法にはならないし、仏性と現成しないのである。
 修行とは、今の時節に成りきって自己即時節と証する消息を得ることにある。
「ね、本来念は無いでしょう。今、今、瞬間、瞬間その物と隔てがなく一体になっているのが禅じゃ。食事の時は食事禅、歩く時は歩行禅、坐る時を坐禅というだけだ。今そのことのみに成っている事を自覚するためには、その物を離してはならないのだ」
 二人の気迫が盛り上がっていく。
「直に禅堂へ行きなさい」
 賀数居士のきちっと定まった着眼を鈍らさぬ内に実行へ移さす。坐禅は初めてと言うのにとてもよく坐る。そして、私の言うことを極めて忠実に実行しているので進歩も早いであろう。しかし、今が一番苦しい時の筈だが、そんな素振りを全然見せない。だから可成り坐禅はして来ているのであろう。
 大平居士は後かた付け、
「いいか、手元から離れたら禅にはならないぞ。用心深く注意深くその事のみになって只やるのだぞ!」
「はい!」
 彼の動作が一段と慎重になる。だが、まだ私が居ないと、この程度では忽ち崩れて雑念と二人連れになってしまう。今を如法のままにあることは至難なのだ。どう言ったって今の彼ではこれ以上どうすることもできない。もう少し継続の努力だけが欲しいものである。これ以上付いていて一々注意を繰り返すと参ってしまう。まだ心を用いずその物に任せていく単調さがはっきりしていないから、どうしても相手を認めて守ろうとし、雑念と戦うやり方でしかないからまだまだ苦しむであろう。
 ただころころとやっておればよい訳だが、それは今の彼には自分を決定的に離した力が無いから無理である。指導者によっては相手を認めない一体相を強調しようとして、ここを見極めずに「そのままころころやっておればよい」などと言って、彼の今の状態のままを延長させてしまうので修行が修行にならないのだ。多く修行にならない修行をやらせているのが現実であろう。学人こそ哀れである。
「すみ次第禅堂に入れ。ただ一呼吸を真剣にやるんだ!」
 と言って私は海蔵寺へ帰り用を済ます。何故か用事はあるものだ。何とかこれらと手が切れないものか。このところ大平居士は支度の都合上朝・昼・晩・朝とお粥なので腹がへって腰が抜ける。帰ると夕食の支度をしていた彼は、私をずっと待っていた様子である。何時ものように台所で直に問法が始まる。
「あのですね・・・」
 と小首を前に落とし加減にし、右手を胸の当たりに上げてもたついた言い回しで始まった。案の定坐禅になっていなかったのだ。本当に一呼吸に治っていたらこんなに言葉選びをする筈はない。頭がまだ有り、そこに言葉が一杯ある証拠だ。頑張ったに違いないのに着眼が少しずれるとこうなってしまう。こんな時は雑念も禄なことに拘わっていないものだ。
「壁や天井が平面体ではなくまーるくなったりですね、真っ直ぐなものが曲って見えたりするんですが・・・あれはどんなんですか?」
 一呼吸以外は総て無視する一貫性がないと、色々な心境や心の景色に気を取られていく。元は私の言うことを絶対視していないことと、努力心がまだ鈍いことと、何にも拘わらない今の一点がはっきりしていないからである。彼の頭が如何に整理しにくくても、心安らかに只一呼吸して居れば治るものを。
「こんなものは絶対に取り合ってはならぬ。魔境だなどと言う者もいるが、どんな事でも認めて取り合ったら皆魔境となる。とにかく無視して一呼吸のみを一生懸命やることだ。疲れた時、少し一点に治って来た時など柱が浮き出たり、畳が光って見えたり、自分がふわりと浮き上がったりした感じになる。それは境界とは全く関係の無い、一種の不安定感覚的なものに過ぎない。
 考えて見ると、我々の五官器は平生常に動きの中で相対的に機能している。それが朝から晩まで一定の姿勢、不動の体勢でじっとしているということは、感覚的には相対的安定を失ってバランスが崩れた感じ方を生理的にしてしまうのではないかな。体がずっと安定し念も融けて行くと更に安定したすっきりした状態になるから、今はどんな事が起こっても取り合って遊んではならぬ。いいですね!」
「そういうことは無視すればいいのですね?」
「そうだ! 我を忘れ切るためには如何なるものも有ってはならないのだ! もし起こったとしても、一切認めなければそれも禅定底と見る事も出来る。分かったか!」
「はい!」
 夕方、賀数居士が全く同じ事を言い出した。大平居士同感の意を首を振って表す。言うか言わないかはあるが、大抵の人はこうした感覚に幾度でもなるものだ。知識をぶら下げている者ほど、「あっ、魔境だな、これも神秘体験か、すると俺は普通の人ではない精神界を体験したのか」などと思っている内に何となくいい心境に成った積りになり、人に話したくなったりして来る。どうしても自分の心境は誇張して語りたがるので、つい「いい心境になった時そう成る」という言い方をすると、聞いた人はそんな感覚の到来を今か今かと心待ちするようになってしまう。こうしたイミテーションまがいの話は耳を傾けて聞いてはならない。そこでどうしても正師の指導だけを信じて、その通りに実行することこそ第一の用心なのである。そのことをしっかり信条にしておかなければ、ちょっと先輩でちょっと坐禅した者の何気なく口にした言葉が妙に悪戯をするのだ。
「それが出たからといって一呼吸がちゃんと出来るようになりましたか?」
「いいえ」
「むしろ一瞬に打ち込み、一呼吸するのには邪魔になるでしょう」
「はい、そうです」
「じゃ、それらが坐禅を妨げる以上、無視して切り捨てる事しかないでしょうが」
「はい」
「そうそう。何もかも捨てつくすのが坐禅の要点ですよ。一呼吸だけですよ。命懸けでやりなさい。縁に投入し切る道は菩提心しかないのですよ」
 と言って賀数居士を禅堂へ向かわせ、大平居士を少し締めておくべく、
「ムとは何だ?」
「一息です」
 皆考えで聞いているからこうなる。頭え持ち込むと必ず疑問を起こし理解しようとするし解答を求めるために言葉が走り回る。あんな感覚作用にすぐ取りついてしまうような間はどうしてもこの範囲でしかない。聞く時は満身耳であり、満身音である。その物でしかないのだ。これからという時に、既に大きな或る物を禅として抱え込んでしまって、それを頼りに修行しているのだ。学者がどうしてもこの傾向が有って、そのために自分流で修行するから、捨てるという窮めて大事な急所が掴め切らないでしまうのだ。
 大平居士たばこを勝手に買いに行く。勝手に風呂を焚く。今までの事を全部頭で理解してしまい、全く体が定に入って行かない。それでも本人は言われた通りを真剣に実行している積りなのである。

二月十七日
 七日目と三日目である。賀数居士ずっと夜も遅くまで頑張り、朝も早くから禅堂に入っている。大平居士のんびり起きて食事の支度にかゝる。賀数居士の着眼を点検して見る。
「一足す一は幾つか?」
「はい。一足す一は一です」
「そんな理屈を持ち出すようでは一息になれんだろうが。頭で答えようとするからだ。頭を通したら駄目じゃ。浮かれた坐禅をするな!」
 と耳を捻り上げて帰る。解答の正否からすれば、解答でないものはない。と同時に皆外れである。禅の世界が別にあると言うのではなく、無念とか無色透明とか三昧或いは仏性とか言われている世界は言葉を越えている。否、概念的世界ではないので、それを求める修行者は常に「今それ自体」に没頭し努力している事しかない。つまり修行の質を点検しているのである。解答の範疇を定めて言葉に求めるとすれば、当然客観的な正解とする概念があり言葉が存在する。その範疇を定めたり模索したりの小さな知的世界にしている本元の拘りを無明と言うのである。その正体を解明するのが修行であるから、言葉の正解不正解には絶対にかかわってはならない。師の言われるままに、されるがままに導かれて行かなければならない。師の呈せられる言葉は常に理論の外の事を言っているので、、言葉ではあっても言葉を持出しているのではない。そこが一般の理解ではどうしても届かない世界となり、難しい世界と思われてしまう所以である。
 大平居士分かった理屈で現実をやろうとしているから摩擦を起こし、
「理屈が出てとても辛い」
 と言う。
「手のひらをテーブルの上にぴたっと置いてごらん。そして、手の感触に心を預けなさい。其の他の気持ちは総て切り捨てなさい。もう君には出来る筈だから」
 と私がやって見せる。その時は私に習って素直に実行できる。実際それに心をちゃんと置いて拡散の余地を与えないところまで何とか達しているのだが、私が居なくなってそこに賀数居士が居ると、大平居士はつい何やら指摘している。もう相手が見えるから教えてやりたいのだ。今日は一歩の歩き方を指導していた。只悲しいのは今の急所にじっと居ることが出来ない。だから一歩も進歩しないし楽にならない。このことは自分の内側に居なくて外に向かっているからである。
 どういうことかというと、修行とはひたすら自分の心の問題であるから、他を見ている暇はない。ところが何かを禅らしきものだとして理解し意識で捉えてしまうと、その固定化した観念はそこから相対的に働き出し、意識の対象である相手に向けられて行く。この事を皆知らない。どうしても観念と意識とは相互に働きかけるので、目の前に見える感覚的刺激にもすぐ反応してしまい、自分を追究する以前に相手に心が走って行くのである。だから人が気になるのだ。これからという時に既に私の言う通りに素直にやれないほど道理の世界に落ちて今が抜けている。こうなると幾ら努力しても一向進歩しないから、今までのものと違う法のもがきによる苦しみとなるのだ。彼にはどんなにここを注意してもどうしても分かった頭で聞いてしまい、初心の真剣さと一呼吸への真面目さが起こって来ないのである。

 私が用をすませて帰った時は二人とも晩御飯は終わっていた。彼の傍には酒びんがあった。酒は勝手に飲食するものではない。彼には既に師としての私の存在観が無くなっているようだ。これでは道場に居ること自体の目的意識すら消失している筈である。思いたくないことではあるが、近々彼は自分を持て余しての末、空しく下山する結末へと進んで行くことになるであろう。
 自己存在の矛盾の自覚に対する正当化への理論構築は、或る種の法則性があり、その結果としてはそう成って行く行動の必然性が、私には大変リアルに見えるのである。
 それ程飲んでいる訳ではないが、やはり修行者として認め難い自責の念が自分を責めているようであった。里心がついて頻りに子供に会いたくなったと言う。又、
「賀数さんに裟婆の事を色々聞きましてね、がちゃがちゃになって・・・賀数さんそれで禅堂へ行ったばかりです・・・今ごろ一呼吸どころかめちゃめちゃの筈です」
 と言う。まだ急所に達していない今が一番大事な時にとんでもない事をしてくれたものだ。点検調整すべく直に呼出をかける。出て来た賀数居士を一見して安心した。めちゃめちゃにはなっていなかったからだ。禅堂へ入って、むしろ反発的に一呼吸へ精細を加えたものであろう。流石である。
 大平居士は彼に頻りに酒を薦めるが一向に心を動かさない。ぴったり決って来た。これならもっと切れを深められる筈だ。
「これ何ぞ!」
 と言って床を思い切り叩く。
「これです」
 と、ほんの少し分別をしたが直に脱出していた。しかし、弱い。
「もっと確信を持ってはっきり!」
 と言って私は更に強く[ばちっ!]と叩いた。
 彼も間髪を入れずやった。何の躊躇もなく決定的であった。これなら坐禅は楽だ。決定的な一呼吸が大事なのである。ここに居たら彼に崩される恐れがある。危ない、危ない。
「この調子で直に坐禅しなさい!」
「はい!」
 立ち振る舞いには隙が無く、殆ど一点に治って来ている。早いぞ!

二月十八日
 八日目の朝、大平居士はいきなり帰ると言い出した。昨日街へ出て家に電話を掛けた時、家内から離婚を言い出したとか。それは大変な事である。七時四十七分の電車に乗って遠く仙台に向かった。これが我が道場での彼の終結であるが、遠く仙台の地に於いて彼は今までの体験と力を獅子吼して止まないであろう。自己の内に向かって黙って修行するとはとても考えられない。ここから先は、私としては如何とも致し難い事ながら、彼の進歩向上を願う気持ちには変りはないのだ。合掌。

 賀数居士は極めて順調に綺麗に向上していく。
「物凄く安らかで気持ちがいい・・・」
 落ち着き切った全身からその事はまぎれもないことを感ずる。
「こんな安らいだ気持ち・・・幼小の頃、父の膝の上で何とも満たされていたあの時と同じような気持ちでした。そうしましたら突然父を思い出して・・・」
 何時でも物静かな口調で話す彼の頬から、これまた静かに涙が滴る。
「このように懐かしく思い出しただけで涙が出るなんて・・・」
「拘りが融けて雲が晴れて来ると思いが真実になるんですよ。これを浄心とか赤心の情とか言いますが真心ですよ。親に対したとき親孝行となり、家内や子供に接したとき愛情となり、朋友にのぞんだときは友情となり、上司に向かったときは忠義となって現れるだけですよ。特別な思い方や接し方や気持ちというような作ったものじゃないことがよく理解出来るでしょう。
 ただ拘りの無い澄んだ心で、その時その場に縁に応じているだけですよ。真心には時間も空間も隔たりがないので、父を思えば満身父で、本当に親しく出会えば涙ですよね。もう皆さんと親しく会えますね。
 しかし、感情の根が切れていないから感情を今揺すると凡情となり乱れますから、どんな素晴らしい情であっても即今底に参じて切りなさい。一端は石ころのように枯れ木のように感情を切りつくさなければ、何時までも凡情のままで菩提にはならないのですよ。」
 このような法話が直接理解できるまでになっている自分を不思議に感じているようだ。
「だから仏法は尊いのですよ。これを体得する事ができる道は本当の坐禅しかないのですよ」
 彼は深くうなずく。
 もう食事の支度をしても差し支えはないのだが、この熱心さはもったいないので、出来るだけ真一文字に練らせたい。今日も十一時半まで禅堂に灯りが見えた。

二月二十日
 賀数居士五日目となる。朝五時から禅堂に灯りがともる。もう苦痛どころではない。ただ安楽の法門として一呼吸に参じているだけの筈だ。それにしても何時もながらの電報分程度しか言葉を用いないが、既に言葉を必要としていないところまで来ている証拠である。
「本当に楽です」
 と言う。目は澄んで来て座り、外境に支配されていない様子が全身に出ている。言葉が頭の中を駆け回らないということは観念が休息しているということなのである。[心意識の運転をやめ、念想観の測量をやめ]と言われた道元禅師の修行のとっかかりの急所である。見聞覚知をいちいち心に持ち込む暇がない、直接それがそれなので言うことがないのだ。もっと平たく言うと、認識し判断する必要がないので、ああだの、こうだのが起こらないからその分だけ研ぎ澄まされて更に安定しているということである。大平居士が最初に知りたかったところであり、教えたかった大事なところがここである。
 どんなに頭がよくて知恵千里を走る者でも、あの『参禅記』を幾ら読んだとしてもそれが単に念相観に過ぎないから、真実の世界は絶対に分かるものではない。人間の知恵として面白いところは、それでも理解することができ空想が届くと分かった積りになり体得した気持ちになるところである。知恵の外ということは知恵で分かるものではないから、その空想の甚だしく間違っていることを自覚するには自分の外に一度出て見なければ分かるものではない。
「今はまさしくそうだけれど、苦しかったろう?」
「ええ、『参禅記』をしっかり読んで分かっていたので、自分は先輩方のあのような無駄な苦しみはないと信じていました・・・」
 まあいいだろう。ぬけぬけと修行もしないうちから体得したような気分になって、分かっていることで楽々突破してくれようという算段だったろうが、現実は絶対に甘くはないのだ。一瞬の無念には分かったことや理解が全く通用しない世界なのだ。何となれば一瞬の今は総てを超越した世界だから、そんな糟妄想とは根源的に関係ないのである。
「ところが・・・妄想に掻き回され乱され続けると、何が何だか分からなくなってしまいまして・・・本当に苦しかったです。『参禅記』の通り自分もそうでした、本当に」
 微かな彼の微笑は過去の自分の姿が滑稽に見えたものか、はたまた今の自分の安らぎの勝利なのか。
「このままでいいのでしょうか?」
 と聞く。やっと工夫なき工夫のところまで来たのだ。何にもする用がないということが分かりかけて来た。からりとして楽なので何となく修行らしくないのだろう。ぱっと手放し状態になり自分が自分から開放された時、一変に軽くなった感じがする。やたら努力によって保っていたそれまでの力みの余韻があるので、妙にどうしたものかと思ったりする。初めてたったの四五日の事である。これほど順調に来たことは素晴らしい。しかし、疲れも表面に出ないし心境は進む一方だ。上がり下がりの最も激しい時なのに・・・
 彼の真面目さと努力によってそれが克服されているのだろうか? 考え難い理屈である。現実に即しての力となると、この程度では私から離れたら何にも役立たない。考えられないほど静まり返っているに過ぎない。普通の言う落ち着きと違うのは、雑念の起こりはなが分かり、心の現れる処が分かる、つまり自分さえも居ないから、落着きが根源的に違うのだ。
「ここが修行の本当の入口ですよ。このままどこまでも何も無い今の一点を見失う事なく練りなさい。賀数居士は何時までこうしてやれるのですか?」
「どのくらいやったら社会に出てちゃんとやれるのでしょうか?」
「社会に出てちゃんとやれるということはあらゆる事が起こっても大丈夫という事だ。それは生きても死んでも大した事はないというところまで、自分を陶冶していなければ出来るものではない。貴方は今確実にそのものの真理に触れている。明かに救われた世界で生活している。だが、その事の決定的な大自覚がないために決定的な大信念が備らない。ということは本当には救われては居ないというふうに思いなさい。
 本当にそのものに成り切り、自己を忘れ切って宇宙に蕩尽し切ったとき、縁によって呼び覚まされ自覚させられるものがあるのだ。この時の大自覚によって根源的なけりがつく。今は迷いの自己の世界と、自然のあるがままの仏の世界との両方に片足づつ掛けているので決りがつかんのだよ。そのものに徹して自己を忘れるということは、自然の縁自体に入り切って全身全挙余す事なく仏の世界に渡り切るということだ。彼岸に至るとはこの事を言うのだ。
 だから、両方に片足ずつのうちは大きな縁に会うと乱れてしまう。かといって坐禅をしなかった以前の状態になるかというとそうではない。努力している限り、心を治める方法手段を知っているから、そうした縁の中にあっても心を一点に収め、切り離すことに努力が出来る。ここが有難いのだ。心を治めることの出来ることが・・・
 時間や条件が許される限り一直線に頑張りなさい。たかが知れた人生だし、世間で求められる平安なんて死の前には何の支えにもならない。本当に納得出来る安らぎの法を求めて真実に生きることは最も意義のあることだ・・・」 
 と大した事はない話をする。節目節目にかすかな「はい」と言う声が入る。微動だもしない彼の真剣な態度は求道者として立派だ。何しろ『参禅記』を新宿の書店で手に入れて、どうしても坐禅したいために退職して来たというのだから根本の精神が違う。若くないので無理は続けさせられぬ。
 二十四時間のうち、五六時間の在部屋。トイレ、食事以外は全く禅堂である。その出たり入ったりと雖も少しの隙もなく自己を捨てて如法に動作している。私の指示の通りににやっている。これから何度も崩れてがたがたの心境になることもある筈だが、今は相当に高い心境なのである。次第に木石に近づきつつある彼を前にして、私は心から嬉しくなっていくのだ。しかし、本当に疲れていないのだろうか? 大抵なら三・四日で精も根も尽きてぐにゃっと一度はなるのだが。
「やはり、どんどん心境が変って行くので、ついこのままでいいのかなと、ふと心配したりしてたのですが、このままでちゃんとした心境に進むということがよく分かりました」
「いよいよ初心のままに、今の一念を離さずやりなさい。どんな心境になっても、それを認め鑑覚を味わったりして過去のものを引き摺ってはなりませんよ。とにかく「只」あるだけ。この努力無しではそれ以上向上しませんよ。菩提心ですよ」

 食事を始めて有言無言一挙一動の総てを点検して、合間合間にこうした話をする。初めて朝食の片付けをするよう、私は今日は何時帰られるか分からないので、昼食も夕食も何か食べておくよう、また掃除、御風呂も指示して出る。ちやんと出来る筈だ。

 帰窟したのは夜九時前であった。台所もさすがに行き届いた片付きようである。高校教師が三人でやってもこの半分もようしない。近頃の教師の御粗末さは一般には知られていないが、あの程度の内容では生徒も学校も荒れて行って当然である。そこから見るとさすが自ら参禅するだけのことはあって、とんちんかんな事は全くない。ただ台所のごみを買物袋に幾つもに入れて外に出していたので、野良猫野良犬どもの結構な遊び物になっていた。無風流と言う奴だ。あまり面白くはない。酒を臭わせて居ても、どんなになっているか心配であるから直に呼び出しを掛ける。
 一見して何も言うことはなかった。昼食ぬきで座っていたと言う。それでなくても小食なのに。
「何か質問は?」
「何もありません。本当に気持ちがいいです」
 気持ちがいい? 当然そうであるが、心境を眺め始めているのではないだろうか。一歩でも留まると、何百分の一秒かの差で一瞬の今そのもの自体からずれてしまう。ここが天地の差の起こる処だ。根本的に自己を主体にして今を眺めてしまうために、絶対にその物に徹する事は出来ない。今その物(真理)を見過ごしているので過去にしているのである。勿論今はどうあっても今である。しかし、時は普遍的にそうであっても、人間の方が[一瞬の今のその事]を意識を介入して眺めてしまったらそれは[今の現実のその事]ではなく、意識の空想物なのだ。無明とはこの事であり我の根本である。これからが大変なのである。師の必要とするところは、こうした途方もなく微妙な違いを修正してもらわないと、一瞬の間の僅かなずれがとんでもない方向へ迷い込むことになる。
 今のところ彼が方向違いをしていることは全く無いが、卵であってもやがてウジとなり蝿となり、また黴菌を運んで来る。勝手に思い違いしてしまうから大きく的外れを起こすのである。
「自分の心境を眺めたり、調子がいいとか認めたり、本当の一呼吸はこれだとか、とにかくあらゆる思いを持ったらいけませんよ。
ようやく修行の根本に手が届くようになったところで、これからが本当の修行なのですからね。いいですか、何もしてはいけませんよ。只今、只在ればいいのだ。求める事もしてはいけない。求めなくても既に法そのものなのだ。どんな事柄であろうともその時その物に任せて、只淡々と我を忘れて居ればいい」
 又々大したことはない法を説く。賀数居士は隙なく立ち、無限の静寂だけを残して跡形無く消える。私は部屋に戻りこのワープロを打つ。

二十一日、
 賀数居士は六日目を迎える。私はよく考えて見ると、昨日の昼から御飯を食べていなかった。ちょこちょこした物で飢えをまかなってすませていた。誰でも忙しい時はそんなものだしそれでいい。我が師もそうであった。焼飯を作ったのは作ったが、朝からこんな濃厚なしかも不味い焼飯は食べるのに大変努力がいる。自分で作っておいて三分の一ほど残してしまった。「誰がこんな不味い物を作ったんだ」と言う訳にはいかず、こんな時は「無理して食べなくてもいいから」と言うことにしている。彼の順調な様子は昨日と変らない。全く言葉がなく、実にゆっくり、実に隙なく、本当に静かに淡々と食べている。
 もうとっくに食事の支度は修行者の彼にさせて大丈夫なのであるが、彼の如何にも順調なのを見ると、最高スピードで向上させて見たくて、物好きなようであるが私が作っている。
 我が大智老尼は[寝食を忘れて道狂にならなければ道は得られぬ]と、大事の修得の生やさしい事でないことを私に説き、私を道狂へと誘ってくれた。私はこんな大智老尼の今は半分ほどの落とし子である。大事の前に食べることなどに心を使う訳が無い。常に行き当りばったりで何が出来るか分かっているのは出来上がった時。時には天下の逸品も有ることがあるが、間が悪いと救いようがない物となる。そこがまた禅的で、何が起こるか分からないところの無常と全く一致しているところが、格好の言い訳が出来ると言うものだ。
 何はともあれ、今日的な忙しさ故に出来るだけ単調に楽に、より向上させられるものならと、私が道を重く思えばこそ、例え不出来であっても一山の主がこうして作って供養しているのである。不味いからと小言を言う奴や、私の言う通りに努力せん奴は地獄へ落ちること間違い無い。そこから先は閻魔様に御任せして、火あぶりなりと八つ裂きなりと、フルコースで好きにして頂けばよい。
 ここは仏の実習道場である。終日自己を捨てて如法に実習するところで、其の他一切の目的もあってはならないし、その一事のために気を抜いてもならない処である。仏の選抜試験場である。昔から禅堂を『選仏場』と言うているのもその事である。

 昼過ぎて急いで帰窟した。台所には彼の食べ残しはなかった。何はともあれ、私の性根の入ったあれを朝全部食べていればまだまだ腹が減る訳がない。私に気を使って無理して食べたか。となれば私も食よりすることがある。
 そろそろ支度をするかと腰を上げたら夕方であった。夢中というか我を忘れて事に当たるほど楽で強いものはない。面倒だから抜いたのではなく、とうとう昼食は通り越してしまった。抜く方も抜かれる方も、道の一事のみであり、食もなければ時間もないのだから太平楽である。作りたくなれば作り、出来上がれば食べる。済めば只洗い、彼は禅堂に向かう。其の他に何か有りそうに思い、衆生根性をからませるから迷いとなるだけである。大安楽とはその時その場に安住する事を言う。只の世界である。
 中国の巨匠、趙州禅師に新参者が「修行はどうしたらいいのでしょうか?」と正直に尋ねた。とにかく利口な者が馬鹿になる修行である。そのためには自分としてのものを総て捨てる事から始る。後は師の指示通りに実行すればよい。師曰く「御粥を食べたか未だか?」と。「はい、いただきました」。師曰く「じゃ、食器を洗えばよろしい」と。これが修行の極である。もし自分の外に向かって求めては総てが水泡である。この僧この時師の示唆の大意を聞取り、単調に修行して早く物になった。
 今、只、その時、その場、その事が道である。端的に言ってしまえばこれだけである。道は縁によって生じている。縁は無限のものである。我々は常に何の手立ても少しの矛盾もなく、この無限の縁に叶って円満に生活している。道元禅師の[道原円通]というはここである。既にこれ以上悟るべきものは何もなく、又この外に於いて道はないから、それらをその上つかむ用もその努力も手段も用いるところはどこにもない。皆使っている日常が初めから道なのである。ここを[いかでか修証をからん、宗乗自在、何ぞ工夫を費やさん]と大乗の法の上から根本を言い尽くされている。更に親切なのは、[全体遥に塵埃を出ず]と二義に渡って示されていることだ。全体とは見聞覚知であり、眼耳鼻舌身意であり、色声香味触法のことである。言葉は違っているが自分の全体を言っているに過ぎない。この因縁所生の法は習ってそうなったものでもなく、悪心を以てしたら出来なくなるというような不自在な片寄ったものではない。元々本来は塵埃など汚れた世界から遥かに飛抜けているぞ、本来より解脱した世界で塵埃など無いのだよと言い切って居られるのだ。何と力強く有難いことか。釈尊の[有情非情、同時成道、山川草木、悉皆成仏]と叫ばれたものと同じである。
 だからどうする必要もなくその事に成り切って、その永遠なる本質に目覚めるのが仏道修行の目的なのだ。成り切るとはその物に純一になり無雑になることである。我を忘れて只縁のみに成っている事、一体同化自他不二を言う。親しさの極である。ただ在るということ、これを只管と言うている。

「どうですか?」
「本当に気持ちがいいです」
 と言いながら、単調にうどんを食べる。この「気持ちがいいです」には聊か引っ掛かるものがあるのだが、程よくおなかに入っていく様子にはゆとりが見えた。
 食べ終わって片付けに入る。ところが静かな隙の無い動きなのに、戸を開けて次の目的に移って行くと、戸を閉めるのを忘れている。こんな事が昨日来より起こり始めた。これは重大な出来事のはしりなのだ。
 一見すると手元が抜けているように取られがちであるが、実はぼけっとしているからでは決してない。成り切って一瞬一瞬が本当に切れ初めたからである。もし私の見越し通りならこいつは凄いぞ。こちらも気合いが入る。しかし、考えられないスピードである。あれで疲れない筈が無いのだ。そう言えばこのところ眠気が来ないと言うて居たが、冴え渡って眠気の無い只のそれだけのものか。それだけではなく疲れのためにリラックス出来ずに眠れないのではないだろうか。いずれにしてもこれで行くとは到底思えない。それもそれだが、心配も無くはないのだが。

 夜十一時。まだ禅堂には灯りがある。私はコンピューターの電源を落とし、彼の凄じい努力に心から拍手を送った時、思わず合掌していた。寒々しい質素な禅堂が熱気に燃えているように見えた。我が師もこうして私を見守ってくれていたのだろうか。思えばこの二十五日は師大智老尼の御命日である。

 二十二日、
 どうしたのだ。彼の顔は苦悩と惨敗で疲れ果てていた。昨日のあの闘志と心境は一体何処へ行ったのだ。ややもすると即念が逃げる現段階からすれば、乱高下は当然なことであるが如何にも落差が有りすぎる。私が心配していたよりひどいではないか。
 戸を閉める前に必ず手を突き、恰も私が絶対者でもあるかのように丁重なる挨拶をするのが彼の常である。今もそれをするに混迷の中から必至に平常心を持ち堪えようとしている様は如何にも痛々しい。明かにこれは疲れであり工夫に余分な念を挿んだために苦闘したのだ。これは即念が分からない初歩には、誰もがしなければ突破出来ないところと一見似てはいるけれども、あれだけちゃんと如法に出来る彼がこうなって行くところに心の不思議さと困難さがある。
 がっくりと落とした肩には、頭さえ重すぎるようだ。私は寧ろ遅すぎた彼の挫折の方を心配した。若くはない賀数居士の努力は、目一杯であったであろうし、あれだけ努力して勝ち取った心境は、例え大した事はないにしても、初歩ながら心を治めることが出来るということに於いては大変なものである。それが更に努力して、あっと言う間に見失えば、誰だって失望と同時にある信念が崩れて当然である。
 私の心配とは、これが諦めにならなければよいがということである。三・四日で大抵は悲鳴を上げ、逃げ出すことを真剣に考えるのが一般である。その時はまだ精魂尽きたようではあっても決してそうではない。返ってこの時からの方が私の言葉を真剣に聞き、唯一の頼み綱として全面的に心から聞き取り、素直に基本のみを遂行して行きやすくなるのである。
 ところが本当に疲れ果てて潜在体力まで使い切ってしまってからでは、私へ不信感さえ抱く危険があり復帰させることが大変なのだ。とは言っても、労働で疲れているのではなく、一日中一定の姿勢で凝視し続けたことから生ずる片より疲労である。これを防止し出来るだけすっきりした状態で坐禅することが効率的である。そのために初めは五分おきに体を左右に捻り、凝りを分散させるよう指示しているのであるが、それらを軽く見てそれを充分実行しないと、結果的にはこうした心身の硬直状態に至ってしまうのだ。師の言う事に無用な事が有る筈はないのだが・・・

「どうしましたか、その様子は?」
「先生、一念が定まらなくて・・・一呼吸が出来ません・・・大変辛いです・・・」
「どうですか地獄の感想は? 貴方は少し心境が進み楽になってはっきりして来たので安心していたのですよ。
つまり、分かったという理屈が知らん間に一瞬を曇らせ、一秒の数百分の一ほど一瞬からずれた修行をしていたからこうなって行ったのだ。
早い話が一呼吸を素直に只していなかったのだ。ちょっと理屈が加わり眺めながら成り切ろうと自己を運んでいたのだよ。要するに理屈と二人連れでやっていたので、どんなにもがいても定まらなかったのですよ。それで余計に分かった理屈で纏めようとしてしまうので、もがきが更に乱れを誘ったのだ」
「そこがよく分かりません」
「無とは何ぞや?」
「???」
「どうだ。直に頭に持ち込んで分かろうと考えるだろう。実際の一呼吸に只徹してやっていたら、理屈なんか出ていたって、もう貴方は知らん顔をしていられる筈なんだ。それが直に知的に走ろうとする念が、今のその事を遠くしているだけだ。いきなり直接それをそれとして真剣に只やっておればいいのだ。
理屈を付け出したらきりがない。理屈を取るのが修行なのだ。
確かめて見るのだが、只吸うとは何だ?」
 こうなった時は基本に忠実でないから、基本に戻らせるのが根本的な治療なのである。彼はこの様なことに迷うことはない。躊躇なく基本を遂行する。
「吸い切ったら次はどうなる?」
「吐きます」
「吐くとは何だ?」
 視線を落として静かに吐く。
「今、何をしている?」
「呼吸をしています」
「呼吸をしています、とまだ認識し判断しているであろう。修行中の今は言葉が出るだけ念相観しているのだ。だから本当にその物に成っていない隔てたところにいるということだよ、分かるか?
 理屈が優先して法である今の事実そのものを後回しにしているのだ。恐ろしいでしょう、分かっているから大丈夫だと思ってしまうと、何時の間にか自分というものがちゃんと全面にはだかっていて、今を理屈の世界にしているのだ」
 こういった道理は皆分かるところまで来ているから説明はしやすい。しかし、その通りに実行するとなると理屈ではどうにもならない。どうにもならないと知っていても、それを捨ててそこから脱出するということが、又道理や分別や意志ではどうにもならない。その導きをするのがこちらの世界である。ここに宗教が生まれ禅の世界が存在することになる。又、師のどうしても必要なところである。
 結局はどうしたら過去から脱却し本当の現実に目覚められるか、分別や概念からの束縛を切り落とすことが出来るか。
「呼吸が、これ呼吸ですなんて言うか? 明かに分別しているものがあるということが分かるだろう。そのものはそのものでしかない。それ自体で総てなのだ。そのものを尋ねようとすればそのものに聞くより道はない。分別や言葉を用いていく観念の事ではないぞ。
呼吸そのものに聞くとはどういうことだ?」
「はい」
 と言って、彼は大きく一呼吸をする。その事の気付きは問題なく早かった。大分心境が進んでいることは明かだ。
「それがそれに尋ね、それがそれで答える。一呼吸は一呼吸でしかないから、尋ねても答えても一つものでしかない」
「はい」
「ムとは何だ?」
「ムです」
「そうそう。只素直に単刀直入が一番法に叶っているのですよ。頭さえなければ至って簡単でしょう。ムの意味を求めてはなりませんよ。ムそのものに成り切って行くと、我を忘れて自己とムとが一体になる。本当に一体になって隔てが落っこちた時、ムが万法と現成して、こちらもあちらも無く、認める余地が無くなっている。眼耳鼻舌身意も色声香味触法も皆縁のものでしかなく、しかもいちいちが大自然の働きとして光明そのものであったと初めて脱落の真相を自覚するのですよ。
 その事を道元禅師様は[仏道を習うと言うは自己を習うなり。自己を習うと言うは自己を忘るゝなり。自己を忘るゝというは万法に證せらるゝなり。万法に証せらるゝというは自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり]と仰せられている。
 自己の身心、他己の身心とは、自分と自分の外の縁のことで自他と見てもいいです。隔てが落っこちた時、自他一体となるため自分なるものは相手その物となり、相手と思っていた物が自分となって現れた一元絶対観の根本に目覚めた時で、眼耳鼻舌身意も色声香味触法も無くなる。それらはこの身があることから起こる事で、この身自体が気に掛らなくなって、身のままに、法のままに、縁のままに只ある。自分が無くなる事を安住するというのだ。
 その様子はと言うと、見るそれ、聞くそれ、思うそれ。一瞬のそれ。
相手の側から自己を忘れさせてくれるのですよ。自己を忘れさせてくれるものはその物の本来の力なのだ。その事を知らしめられた一刹那が悟りの消息です。分かりましたか!」
「はい!」
 深くうなずく彼の顔色が急に変って来た。不思議にも腰に力が加わり背筋が伸び始めている。ねちゃっとしていた頭のがらくたが整理できたのだ。それだけ手元が明るくなり楽になって来たのである。
「元来それだけだから尋ねる手間暇はいらぬ。そんな事をしただけその物と隔たって見えなくなるのだ。だから単調に只そのものに任せて我を忘れて一心不乱に只やっておればいい。
一呼吸はただ一呼吸に任せて淡々とやっておれば、自然に自己は消失して行く。少しぐらい楽になり分かったくらいで、得た積りになるとは何事か! 浮かれた坐禅ならするな!」
「はい!」
「何時も言っているだろう、只真剣に一呼吸をしておればいいのだ。信が足らんと大損をするぞ! 言われた通りを初心のまま努力しないからだ、分かったか!」
「はい。先生の傍に来ると安心し、直にはっきりしてとても楽になります。不思議です」 これで一先ずはよし。食事の様子からは軌道に戻っていた。あれほど微細に注意をし、この様にならないために指導していて、それでもこの様になってしまう。我流や書物で体達するなど殆ど不可能だと言う事が分かるであろう。

 今日は作務をさせて体を動かすことにした。掃除を指示する。何としても用心深くゆっくりと動作する。道元禅師の[薄氷を踏むが如くすべし]の即今底である。当面これがちゃんと出来なければ、自分の全体を如法にすることなぞとても出来るものではない。况や即今底に成り切って万法に証せらるゝ時節など来る訳がない。
 一口に即今底と言っても深浅の差は天地ほどある。ちょっとでもずれていたら修行が修行にならなくなる。自分の部屋で掃除機の支度をしている彼を再度点検しておこう。
「今、何をしている?」
「はい、これです」
「びしゃっ!」
 横つらをひっぱたく。手加減のつもりで左手だったが、私よりもっと小振りな体は大きくよろけた。これ以上の手加減はしないことにしている。男であろうと女であろうと。これが私のあったかい純粋な愛情である。
「自分の全体、常に今ばかりで、そうでないものがあるか!
している事が今そのものだろうが!
これです、と言うような暇がどこにあるか!
本当にしていること自体に成っていない証拠だ!
今、何をしている!」

 彼はさっと行動に移って行った。
「よし! 一心に只やるだけですよ。
体はその場に任せて忘れて居ればいいのですよ。ロボットになってね!」

 そのものに任せ、自分を放ち忘れる一点がまだはっきりしていない。実用となるとぐらつくのだろう何処までも意識して守っている。この用心深さは絶対に必要なのだが、念を加えての用心は隔ての根本である。無念の念でなければそのものと一つにはなれないのだ。ここがはっきりしていない限り動中の禅ではない。つまり、只管活動ではないのである。しかしこの用心深さは修行者の手本である。
「何にも認めたり守ったりしてはならぬ。急ぐ時には早くだ! 只縁に任せて淡々と流れて居ればいい!」
「はい!」
 と言ってすたすた歩くのだが、どうも今一だ。頭が付いて回っている。ぴたっと行っていないのだ。ほんに僅かにずれている。体がとっくに空気のように軽く、しかも何も無く弾んでいなければならないのに・・・重たい。この綿密さは大したものだ、が建前通りは方向が分からない時のための方便である。一段の光明を得たからには建前は光明の働きとして、ただ作用のままに自分を捨てて空しく時を送っておればいい。

 一日中掃除をして回っていた。夕方御風呂を一生懸命焚いていた。だろうと思った、六十度は越えていたので、私はかけ湯で済ませたが、時期が時期だけにやはり寒かった。夕食の時、
「体が柔らかくなり、凝りが抜けました」
 と言う。それはそれでいいことには違いないけれども、そんな事はここでの問題事ではないのだ。
「心境は?」
「はい。気持ちよくぴったりやれました」
 嘘つけ、あれでぴったりの訳はないではないか。でも、当の本人がそう言うのだから聞いてやらなければその先へ進められぬ。
「それはよかった。では聞くが、火はどうして冷たいのだ?」
「???」
 やっぱり面食らっている。まだまだ遠して遠しだ。
「どうしても頭が優先しているだろう。考えるより先にストレート単刀直入に行動を起こすほど単純になる事だ。まだ体があり観念があり、それらが心を拘束しているのだよ。自我に束縛されているということだ。これだけでもさっぱり役に立たないということが分かるでしょう。
 昔、関山国師が雨漏りを受けるために何か持って来いと言った時、皆が色々持って来た中で、小さな小僧が竹のざるを持って来たのを見つけ、「おお、これだこれだ」と言ってそれで受けた。
 常識ではとんでもないことである。関山国師は皆を悟らせることしか無いのであらゆる手段を使う。皆はどこまでも過去の分別や常識の束縛でしか動けないが、小僧は何にも無いのでそこに有った物をぱっと持って行っただけだ。ここが大切な着眼点なのだ。雨漏りと言う概念も考えもないから束縛する物は何にも無い。常識とするものは、共存するためには秩序がいるので当然必要じゃ。
 しかし、心を解決付けるためには、一瞬にどんな素晴らしい判断でもどんなにそれが僅かでも有ってはならないのだ。関山国師はここを教えようとされたのであるが、果たしてそれを見て取った者が居たかどうか・・・」

 まださっぱり手付かずだ。「火がどうして冷たいのか」、と言う非論理の言葉の前で身動きが取れないのである。言葉でしか作用していない証拠である。一端言葉が優先してしまったら、それからは次から次ぎえとあゝでもないこうでもないと転んで行くので、収集が付かなくなるのが普通の心の様子である。

 古則公案であろうと現成公案であろうと、皆煩悩を治めるための道具である。我が有るうちはこれに纏わり就かれて命を取られる。それで我を捨てる妙法を伝授して解脱させようという訳だ。我をうまく引き抜いてくれるほど手元がはっきりし工夫が純熟していく。
 公案とは疑問を起こさせ我見を出させておいて、我をセッチン詰めしていくように出来ている。分別で分別を追い込むのである。心念紛飛、即ち拡散し続ける癖を破るための道具なのである。無分別の世界、無理会のところへ手が届くようになって初めて本当に一瞬の世界が手に入る。
 そんな公案を観念で操作させ解答を出させるような扱い方をしたら大変な方向違いをしてしまう。観念ではどうにもならないものを答えようとすると疑団は極点まで達する。すると疑問のために心は全領域を取られて「何故だろう?」に掛けられ心的圧力は高まって行く。圧縮度が高まらなければ知的拘束力から脱出する事は出来ない。公案はこうした方向付けを目論んで出来ている。従って公案自体に成り切って行くと、ちゃんと大目的が達成出来るようになっている。
 ところが沢山の公案を次々に与えられると、公案自体に成り切るまで心全域が「何故だろう?」の疑問一色に達しないで、頭の小細工をしているうちに終わってしまう。これでは何にもならないばかりか、理屈が進んで丸反対方向へとはまり込み、思わぬ重荷を背負わされてしまう。つまり、頭がお手上げ状態にならないために、道理の理解を求める程度で済んでしまうからである。これが幾つもの公案を経ていく内に落ち込む、大変な公案弊害なのである。
 弊害と成る理由は、道理が理解できると何とはなしに体得した気になることにある。普通は人間の知的理解が絶対な価値観となっているからだ。初めから顛倒妄想しているのである。この事に疑問を抱き満足出来ない人はまさしく勝縁の人だということである。指導者もそれ以上の力を持っていないからそれを越える着眼を授ける事は出来ない。
 考えて見れば、日常に拘りなく楽にさらさらと行き、言葉にならない充足感がなければ満足できない筈だし、道理では少しも心が美しくならないし、人格的な向上も得られないことに疑問が起こる筈なのだ。にも拘らず知識の世界でその事ばかり求めているということは菩提を究尽するための坐禅ではないことになる。そのことは本当の菩提心ではないということに外ならない。

「火はどうして冷たいのだ?」
 躊躇する彼に、厳しく再度尋ねて行く。いよいよせっちんずめするのである。火が冷たい訳が無い、と誰でも第一に思うだろう。勿論そうである。ここに過去の知識や既成概念の虜になっていることを知らなければならない。
 過去が無ければどうなる。比べるものも無ければ何にもない。何とも答えようがない。ここが独立独歩脱落の急所に当るところだ。
 さてどうする。過去が最優先していたらどうにもならないところだ。理屈が頭を支配し言葉に翻弄されるからである。
「火がどうして冷たいのか?」という言葉は理解を越えている。分らないということである。つまり、分らないという事が分ると、理屈の無駄な空回転はそこで切れることになる。過去を捨てることでもあり自分を捨てる事、即ち拘りを捨てる事である。これが早いほど進歩も早い。
 分からないのだから、とにかくその物に問うて見るより外に知ることは出来ない。それが一番早いし一番確かなことなのである。
 直接その物に問うとはどういうことか?
 言葉が出る以前にぱっと手が出て火そのものの実体を確かめて見ることである。観念の余地なく自己を捨てたところが参究工夫の要点である。徹底単純明快になって行くことが第一の用心である。そこに自己を越えた事実の世界が開ける道があるのだ。
 つまり、今、その物に直接参ずることを即今底という。その物に従い去ることである。如法とも言う。縁のままに有るということに過ぎない。
 言われた途端にぱっと手が出るところに達していると、もう可成り心を治めて即今底に成っているのだ。冷たいとか熱いとかは言葉に過ぎない。言葉の届かない世界、無分別の世界、無理会の世界を窮めて行くことが仏道修行であり、解脱への道なのである。
 火に触って直接確かなものが有る。それがそれだ。ところがどうしても言葉が出て来る間は得心するものがない。言葉が切れた時、観念とか概念とかが拘わって来ないで、はっきりとした実在観におそわれて他に何も無くなる。事実の世界と虚像の世界との境が見えて、修行のポイントが明瞭になるのもこの時からである。
 現成公案はこうした一番確かな道、言葉の無用なる世界が厳然として既にちゃんと有ることを知らしめるためのものだ。
 ここのところは既に何度も体験的に分かっているのであるが、涯際としての鮮度が浅いのと、手元の事実だけに[只在る]ことへの精度がまだ低いために、ちょっとした言葉で直に事実が死んでしまい、頭の論理が騒ぎ出して行くのだ。これが理屈で分かっただけの法は何もならないという実例である。
「火はどうじゃ?」
 持って行った手は熱さでぱっと引っ込める。彼は[はっ]とした。
「これだけです!」
「だったら迷う暇はないだろう。そのもので総てなのだ。それしか答えはないのだよ」
「はい! よく分かっていたのですが・・・」
「その、分かったと言う気持ちが自我なのだ。それを頼りにするからこうなるのだ」
 静かに禅堂へ向かう。
 それしか答えは無いと言ったが、今はそう言っておかなければ又迷いの種になる。本当は無限に答えはある。否、既に総て答えなのである。何となれば総て因縁であって、実体の無い世界であるそのことが分かっていたら、何とでも答えられる。純一でありさえすれば総てそれがそれなのだ。

二十三日。
「とてもすっきりしています」
 朝、そう言って食堂へ入る。なるほど、少しの疲れが見えるがぴったしだ。淡々とした動きに隙はない。禅堂へ入ったら呼ぶまで出て来ないのが彼である。昼食の完璧な後片付けは何時もながら気持ちがいい。それを見て、
「少し疲れが見えるから風呂を沸して入りなさい。貴方の焚き方なら二十分あれば沸くからね」
「はい。先日の件がありますから注意して焚きます」
 と遠慮深げに笑った。

二十四日、
 昼食のため禅堂から現れた時、倒れんばかりに参っていた。又々これはどうしたというのだ。先日より更にひどい落ち込みようではないか。潜在体力もあの時より消耗している筈だ。それとどうしても片寄り疲労である。力みが何故か抜け切らないためもあろう。馬鹿になって淡々とやることが如何に困難なことかということである。何れにしても自己を運んで理屈が加わっているだけのことであるから、何時もの基本に戻せば済む事ではある。師の傍にあってこれだから、一人でちゃんとやれるところまで漕ぎつけるということは並大抵の努力では駄目だということだ。
 無念の涙とは言え、諦めたいと思わざるを得ない程の挫折感の涙は苦しく切ないであろう。しかし、こうなって行く様を観て見ると、簡単な方程式と言うか常識と言うか、年によるところが大いに有るように思えてならない。つまり要領を使う回路が安定的固定的に働いているのであろう。心の影と言うと問題があるが、心の残像として要領の既成観念が補助的に染みついて働いているようである。
 年が下がるほどに、若いだけその要領が悪いので、そのこと自体多分に推考中である。だから固定化しておらず、無手勝流の一途な推進力で押しまくる馬力が物を言う。祖師方は殆どが十八才から二十四・五才でやっているのは、そうした一点燃焼力の最も豊な年代であるからだろう。恋をしても戦争しても、はた又正義感やアンチ何とかも、皆この生物本来の生命力から発せられる燃焼力・破壊力が最も大きいエネルギーの現れなのである。確かにこのことは無関係では決してない筈なのだ。
 ちょっと反れた話に成るが、一途な精神エネルギーの継続は、理想と拘りのベクトルの様なものである。体力的な強靱さが豊にあっても、それを目的の回路に乗せて燃焼させる理想と拘りのフィルターが十分に装備されていなければ何にもならない。このエネルギーと理想拘りの両面が健全に作用してこそ目的に限りなく近付く事が出来る。
 この仏道の世界を年で片付けるのは卑怯ではある。修行そのものが、或るものを破壊し、或る壁を突破し、或るものを高密度に継続させるということであるから、如何に精神のことであっても、それを得ようとして向かっている時は、その正念を支えるためのエネルギー無しでは有り得ない。至り得てしまえばそれがそれだから当然である。しかし修行中の者は大事なエネルギーという単純な原則を無視する事は出来ぬ。
「私・・・年ですから・・・駄目なのでしょうか・・・」
 涙の下から振り絞って吐くこの言葉は、私を締めつける。時節因縁ではあっても、道のために斯くも真剣に頑張っている人の苦闘は、導く私に総てを掛けての結果であるだけに、人事で済まされる訳がないのだ。可愛そうに、何としても脱出させなければ。

「賀数さん、どうして二度までもその様に落ち込んだか、その理由が分かりますか?」
 両手でやっと支えている体は、尚も小刻みに震えている。涙と鼻水と涎は、彼の今を決定的に象徴していた。言葉を発する気力さえも無いほどである。うなだれ切った彼はほんに手の平に入るほど小さく見える。暫くしてようやくのこと、震えながらのか細い声、
「よく分かりません・・・」
「そうでしょうね。分かっていたらこの様に成るようなことはしないから。そうでしょ」
「また分からなくなったのです・・・どうしてでしょうか・・・」
「あれ、まだそんなくだらん事を言っているのか。
今、貴方がしている一呼吸は分からなければ出来ないのかね?
皆は、じゃ、どうしてしているのだ?
今、現に、貴方は分からないと言ったが、貴方は間違い無く、ちゃんと今、一呼吸をしているのだが、これは一体どういうことかね。
分からねば一呼吸は出来ないのか! ちゃんと返事しろ!」
「いえ」
「いえ、だけじゃ分からん! 呼吸は分からなければ出来んのか!」
「いえ・・・そんな事には拘わりなく・・・初めからちゃんと・・・しています・・・」
「初めからって何時からだ!」
「生まれた時から・・・です」
「それはそうに違いないが、心を解決しようとしている者が、そんな気の遠くなるような向うを見つめるようでは手元の真理がはっきりしないのだ。初めが有れば必ず終わりが有る。何でも相手を認めると前後が生まれて理屈が付き纏い無明となるのだから、初めも終わりも前後も無い絶対唯一の世界が涅槃でしょうが。それはどこじゃ!」
「はい、今、この一瞬です」
「だったらどうすればいいのだ!」
「只しておればいいのです」
「何を!」
「一呼吸を」
「どうやって!」
 あっと言う間に腰に力が入り、うな垂れていた首はしゃきっとしてきた。そして胸を大きく膨らませたり縮めたりして、本来の様子を再確認していた。理屈の無い念が戻ればそれはそのまま安定と救いであるが、それだけではなく活力が一変に沸いて来るのだから、人間の心とは本当に不思議である。このたった一つ事の気付きの繰り返しは同じ事の繰り返しではない。より深くより広い確かな世界に向かっているので、どこまでも一心に単調に何事をもやっておればよいのである。
 一点が戻れば後は片より疲労を取る事だ。ストーブを利かせた食堂で、無心に体を振らせる。二時間はしていただろう。いや、彼には時はない筈である。あっと言う間の筈だが。
 昭和天皇の雨の御大葬のさ中、一人の参禅者と一人の指導者の必死の法供養であった。

 全国民の弔意は天を貫き地を蔽っている。共産圏の元首さえも人の最後には文句なしに敬虔なる誠を手向、降り頻る雨の参道の人垣が昭和の終わりを惜しむ。あゝ、敬慕す我昭和天皇。献香合掌。

 情けない輩は何時の時代にも、何処の国にも居るものである。例え犬猫といえども彼等の死を足げにする者は居ない。その無常なる一生に対しては真心を以て葬ってやるものだ。我が昭和天皇の御大葬に対して、態々地球の裏からでも弔意を手向に来てくれている国の元首に恥かしげも無く、死者に罵りをして正義とさえ考えておる輩には手も付かぬ。己の思想でしか物事が見れないし、自分の考えに合わなければ恥じも思いやりも道義心も自分流で、人間動物的に成ってしまう大変危険な存在なのである。これらをも人権平等だとかいう一辺倒方式で扱う悪平等を横行させる事は危険千般なことだ。殺し合った敵の死者にさえも、悲しみを分かち合う人間の美しさ暖かさこそ人の人たる価値であると言うのに。

 嵩さん現れる。何か語りたがっている様子であった。語るよりも文句なしに坐れ坐れ。

二十五日
 大智老尼御命日。南無大智老古仏。合掌。
 賀数居士順調に向上。夜、小積、嵩両居士老尼追悼接心に来る。十二時下山、禅堂にはまだ明りがある。もう大丈夫であろう賀数居士。自分を忘れ切ればいい。工夫も修行も何もかも打捨てて、呼吸も忘れた一呼吸をひたすらしておればいいのだ。あとは因縁純熟し、そのものに同化して縁より打発するまでだ。一点一直線、ひたすらあるのみじゃ。やれ、やれ!

二十六日
 賀数居士すっかり本軌道に乗る。見ていて不安材料は全く無くなった。まさに如法、只管に活動使されている。肝心な心得として言っておかなければならないのは、根本の隔てを破る確実な手立てが手に入ったところで、決して隔ての根本が破れたのではない。つまり無明のままであることの不完全で乱れる危険を忘れてはならないということである。今は努力と着眼と指導という三種の神器で守られた立場で、独立独歩の宇宙大の拘りの取れた世界とは丸で違うということである。脱落とはそのようなものが一切無用となることである。しかるが故に大自在人也。これを天上天下唯我独尊と言う。
 これしきの坐禅で得た心境などは取るに足らないものではある。しかし、僅かな時間で解脱への大事な急所をはっきりと体得したということは、掛値なしにやはり大した事であることには変りはない。

 日も呉れかけた頃、閑山二度目の大事故を起こしたという電話が入った。如何なる理由にしろ大変な事態ゆえにすぐ病院へ走った。肺が衝撃で破れたのか空気が漏れて呼吸不全寸前で、血圧は五十まで下がったまま、一リットルの輸血にも拘らず一向に上がる気配がない。幸いしっかりした意識であったために、次第に蒼白になっていく中で、或いは助かるかも知れないという希望が持てた。あれが若し、眠気に襲われていたらそのまま死に神の餌食になっていたであろう。危機一髪である。
 肺の管理が出来ない馬場病院より、再び興生病院へ移つすことになったが、この様な血圧では途中で呼吸不全をお越し絶命するということである。少し上がり始めたところで、尚も輸血を続けながら危険を侵して輸送する事に成功した。忽ち肺の管理が必要であったからだ。

 足は以前の大腿骨が折れて中の金の棒が無残にも曲っていた。意識はどこまでもはっきりしているが、肺、腎臓、肝臓、脾臓等内蔵を激しく破壊しているので、生命の危機に直面したまま詳しい検査も出来ない。生命維持管理のために色々取り付けられていく器具を眺めながら、医師団の傍で見守る私は、ただ哀れと悲しみを危機感の中で頻りに感じた。
「閑山、死ぬんじゃないぞ!」
 の声を残して、涙ながらに付いていて欲しいと哀願する彼の声を振り切って帰って来た。付いて居ることを許されない処であるからそうするしかない。小積、嵩の両居士は夜の二時過ぎまでこの様な病院での片隅で、じっと親身に付き合って呉れた。友なるかな、友なるかな。合掌。

二十七日
 賀数居士の状態はよりすっきりした。午後、日にちが分からなくなって下の勝運寺で聞いて、二十七日であることに驚いたと言う。
「明日、これからの仕事のことで人と合うことになっているので、どうしても本日中には東京へ帰っておかなければならないのです」
 とのこと。ここまで漕ぎつけて実に残念である。時間ぎりぎりまで話、このマンダラを読んで聞かす。彼、「かくも慈しんで指導して貰っていたのですか・・・」と涙して下山して行った。
 固い木々の芽は握り締めた拳のようである。一人の男がかすかに吹く風を背に、捨て身で飛び込んで来て、今意気揚々として山を下って行く。方や血を分けた子供が命のやり取りをしている真っ最中、この男に総てをかけてきた自分。静に道場へ戻して行く足取りには何の交渉するものもない。徐に門を締めた時、大自然の生死を問題にし究明し尽くして行くただの修行者でしかなかった。

     四 国 居 士  篇

 三月二・三日と四国から居士が尋ねて来た。『参禅記』を読んで、私に会いたいと電話をよこしたので、「一杯飲みながら存分に話そう」と言う返事をしておいたら、地酒の銘酒を持って現れた。又、「奥さんにはお菓子を」と言って銘菓を出す。四十三歳の公務員としては随分練れた紳士である。二十年も自己流ではあるが坐禅して来たと言うから大したものだ。職場では殆ど毎日トイレの掃除をしているというからには、心底に決定しているものがあり、それも相当高いものであろう。聞いて成る程と、思った通りであった。
 職場を美しく気持ちの良い処にあらしめたいという気持、後輩にその事の意義を分からせようという教育的配慮、対外的にそれが礼儀であり自分達の人格的評価はそんな事柄からされていくものだと言う。又、単純にはそれもサービス精神に過ぎないとも言い、自分の行であると言う。もう私の言うことは何もない。立派すぎるほどだ。
 同僚は尊敬する者も居るであろうし、要領居士どもからは、何とかかんとか言われたり煙たがられたりして来た筈である。それらを意に介せず毎日信ずるところに従って淡々とやってこれたものは、確かに十八歳から坐禅した力であろう。他による刺激に耐えるよりも、自己の問題に絞り込んで事に当たる力があったから出来たことなのである。まさに自分の行であったのだ。実に立派だ。
 坐禅は特定の師に就いて居ない替りに本によるところが多く、ために独自の鑑定でしかない。そのため邪路への落ち込みやつまずいている処が極めて大きい。その事が分からないところに闇雲の一人歩きは危険なのである。理解したものを絶対視してしまうからだ。
「一心に一呼吸が出来ましたか?」
「いえ、とても治りません。」
 と言う。丸裸の単純さがこれ程に充分に備っているにも拘らず、たったの一念をどうする力も得ていない坐禅というものが、如何に的を得ていないかを知らなければならない。これではまだどれが正法であるかを見分ける事は困難である。しかし自己自身の一念を解決付けることが目的であれば、そのための方法論に就いて聞いておれば、成る程と合点するものがあるものであるし、そうでなければ信が起らない筈なのだ。その響きが無いということはそれ程求めていないか、自分の理屈が最優先しているかで、後者を我見と言い、また邪見解と言う。これを破壊して束縛を取るための法であっても、その知識を法と誤認してしまうとこの様になってしまう。彼が熱心で純粋さが豊にある貴重な人だけに惜しまれてならない。
 何がかくまで彼に信念を持たせたかと言うと、二十六・七才頃、偶然にも感情が治り観念が止んで、チラッと直接その物に触れ、自他不二の実感を得た事があるからだ。余程熱心だったのであろう。この時正師に付いていたら、何も無い只の念、前後も無い念を修行の着眼として導かれたのに惜しい事をした。この様な一時の体験はままあるものだが、その鑑覚の記憶を大事にしたりして引き延ばしてはならない。ここが学人ではどうしても分からない分かれ道なのである。それが光明の様に立派な力や法として意識に付いて回るからだ。ついそれを引合いにするから、総て過去の死物と化してしまう。ところが自分流には納得出来る法理が組み立てられるから、どうしても得々としてしまい、されど煩悶は一向に無くなっていかない事実とで、ずっと苦しむのである。
 私に認めて貰えない不満を残して下山したであろう。何にもならないただの道理を、実力として認めてしまったら彼を永久に迷わせる事になる。その事自体とんでもないという事が分かるのは、正修行の後の事である。器が良いだけに惜しまれてならない。菩提心が無いと本当の求道には成り得ないということである。このままあれしきの鑑覚の虜になってしまうのではないだろうか。彼がどんなに禅理を究めたとしても、理の根本が破れない限り、理の拘束を受けて理屈で終始しているだけである。どんなに自信ありげに見えても絶対に心の定まる世界ではないし、凡夫のままであるから本当の安心も歓喜も慈悲心も湧き出る事はない。それを思うと実に気の毒である。これこそ時節因縁であろう。彼の本当の求道心を祈り、努力に実りある事を法のために祈らない訳には行かぬ。合掌

三月四日
 朝病院から電話が入る。直に手術しなければならないとのこと。四国の居士を駅に送って私は病院へ直行した。
 十一時十五分、手術室へ入るに当たって、彼は平然と片手で合掌し、今生での別れになるかも知れない父へ挨拶した。私も軽くそうして別れた。
 三時間の予定が、おなかを開けて意外な損傷に、何時間かかるか分からぬとの説明を手術の途中で受けた。帰山したらすっかり暗くなっていて、岡山から坐禅のことで来られたという歴とした紳士が玄関の暗闇にひっそりと待っていた。気の毒に。どうしようもない。これも『参禅記』による。岡山大学の外科の教授であった。参禅歴は充分。読書も充分。惜しむらくはどうしても着眼の急所が分っていない。だからここまで来たわけである。禅の講釈本ばかりを探したのではないであろうが、どれか本当に坐禅するための急所に就いて書いてあるものは無いかと探しているうちにそうなったものだ。書を多く読む事は修行のためにはならない。書を悉く信ずるは書無きに然ず、師を悉く信ずるは師無きに然ずと。
 全く方向がつかめないほど、禅に手が届かないもどかしさや悲しさはない。「後日、必ず参禅させて頂くために来ます」と言って下山した。静だが燃える内面から滲む気迫は文句なしに尊敬に値する。
 その時、手術が終わったと言う電話で直ちに駆けつけた。八時間の大手術であった。命は如何様になって行くのであろうか?

 肝臓の破損は意外に大きく、胆汁を胆嚢まで運ぶ管が切れていて、胆汁が血液と一緒に漏れて腹膜炎を起こしていたとのこと。又、胆嚢は破壊して既に除去されていた。説明を承けながらそれを見せてもらった。痛々しいほどの沢山の管が体から出ている。何が起こるか分からぬとの事。これが彼の運命なのであろう、思えば可愛そうである。
 名医難波副院長をメインスタッフとして、目と手の利く若手の医師団が総力を上げて我が子の命を救わんがためにして下さったことは、例えこれで絶命に及んだとしても感謝以外の何物でも無い。
 集中治療室は素人の付添は出来ない。弱々しい声で「今夜だけ付いていて欲しい」と母親に哀願する彼の顔は、やはり十七歳の少年の悲しげな渾身の訴えであった。さぞかし心淋しい限りであろうと思えば、それは充分に同情ものである。明日の命には保障はないが、優れた先生方の処置には信頼感があった。私は彼が如何様になったとしても当然ながら驚くことはない。今その危機に瀕しているからだ。病院からの夜の電話はこの事を意味するものだとして、それまでは心安らかに静かに時の流れに身を任せ、朝を迎えた。

三月五日
 自動血圧計と心電図は医師団の脇で刻々と状態を示す。「何とも言えない」という説明は如何にも命を軽んじない本当の医師の真剣な姿として響く。医師の言われるそのことが紛れもない事実であるからだ。昨日より可成り持ち直したかに見えるが、やはり話すこと自体が大変困難な様子は大手術の物語る生命のやり取りの真っ最中だからであろう。死に神に取って食われるか、彼の生縁が勝か、人生を決する重大な運命の時である。どちらかでしかないしどちらになってもおかしくない。こんな重大な時であっても、時は生死に全く拘らず、只粛として今ある。私も静に運命の時を見守り、ひたすら生きん事を祈る。もし或いは、絶命の時を迎えなければならなかったなら、彼のために安心立命の永遠なる道を授けてやりたい。何処へも行く所はなく、ずっと皆と共に修行して居られる事の安心確信を以て見送ってやりたいのだ。それ以外に私が彼に何がしてやれると言うのだ。
 名医副院長は、「八時間の大手術をした明くる日は、大抵死んだようにぐったりなるものだが、君は怪物だなあ」と言われた。彼の生き運を示す一端であろうけれども、その潜在体力は、行動を決定して行く自分も人も知られざる重大な要因なのである。誰も居なくなったところで、
「お前は死ぬかもしれないぞ。今それほど危険な状態なのだ。でも安心しろ。優れた先生方がずっと傍で見守ってくれているから、絶対信頼して心安らかにな・・・。
命を取り留めたら、今度はお父さんの弟子として就いて来るんだぞ・・・。
今までの過去の自分とは死んで別れろ。生まれ直してお父さんに就いて来い、それが出来るか?」
「はい」
 か細いながらまさしく命懸けの真剣な返事であった。どんなにか親に付いていて欲しいであろう。これが自業自得の結果であることを、彼は今たった一人で命懸けで感得していかねばならないのだ。十七の若さでこのような苛酷な運命にさらされなければ分からない彼の星の哀れさと、親がどうしてやることも出来ない事を何時分かってくれるのであろうかと思うと、人それぞれの天分を持って生まれた前生の因縁を抜きにしては人を語ることは出来ない。
 一般的な教育を語ることは容易であるが、人々の先天的な要因と後天的教育とは、或る部分では全く無関係である。この部分で「人は教育次第」などと思うことは、水と油の区別が付かない、因縁としての人を知らざる者の言う道理であることを自覚しなければならない。
 絶命するかもしれない我が子に、死の恐怖を語ることがどんなに酷い仕打であるか。親である私が息子に言う言葉ではないかも知れぬ。ひょっとして今生の別れとなるかも知れないからこそ、生死を問題にする修行者として、そのことを今語らなければならないのだ。彼を修行者として見ていればこそ、彼のその一途な素晴らしいエネルギーの大きさと、その危険性との両面の境を本人に自覚させておかなければならない。この自覚は言葉や通常の生活態度から促すことが出来ないところに、先天的なるものの深さと因縁の大きさがある。身を持って自らが感知しなければ、どうしても回路の整備が出来ないのが怖いところである。
 明日又新たなる参禅者が入る。私を頼りに貴重な時間と費用を費やして遠方よりやって来る。こんな時あんな時はない。時は何時も時だ。只法のために全力を注ぐしかない。そんな思いを去来させながら、何の変化も見せない静かな海蔵寺へ二人は帰った。
 気丈にも母たる恵照は、愚痴一つ涙一つ見せず、一頻り休息して間もなく始るであろう病院生活の準備に取り掛かる。想像するまでもなく、夜の病院からの電話は不幸な知らせであり、それは母親として最大の哀しみであり苦しみであろう、その覚悟が既に出来ている様子である。
 三月初めの夜は矢張り寒い。彼女が急に小さくなった。淡々と緩やかに動く後ろ姿に、ふとそんなくたぶれを感じた。

     浅 田 居 士 
     三 好 居 士  篇
     赤 木 居 士 

三月六日
 川崎の浅田居士(二十八才)参禅入門のために訪れる。忠海の駅からであった。大平居士と同じ事を電話で言う。不安と同時に可成り真剣に歩いて来たのであろう真剣味に加えて淡々として現れる。
 彼も相当な参禅の履歴があって、急所の一点が分かりたくて来た次第に見える。自分にほぞ落ちするところとそうでないところとが明快に区分が出来ているし、心境を語る程の自分ではないことも大変よく弁えているのが嬉しい。参禅と読書とを苦心して来た者は大概何がしかの信念を持っているものだが、彼はそんなくだらん役にも立たない知識と経験を持ち歩くどころか、語るのも恥かしいとさえ思っているようだ。既に大法を重くし自己を小さくする所まで来ているとは本物の求道心である。
 電話で想像していた彼とは大違いであった。社会に就いて行けなくなったのではなく、現象面の追究を限りなく続けて行ったとしても、人間として最後の決着である本当の安心を獲得することは絶対に出来ぬと決定して、積極的に社会から脱出し参禅に志したのであった。軽薄だった私の認識は忽ち改まった。彼のために法のために思い切り情熱を注ごう。彼にはそれだけの価値が確かに有りそうだ。
 因みに彼はレーザーの研究開発の技術家であるから相当の理論家であろうし、頭脳は京大物理出身だけに整然としている筈だ。彼の質問はもう焦点がきちんと合っていて、私の話が悉く理解出来ているようであった。そんな法話をしながら、秩父から参禅に出て来ると言う六十七才の三好居士を待った。

 待つこと久しくして、三好居士を途中で乗せて少林窟道場へ向かった。先日より余程暖かい。これは修行者にとってとても有難いことである。明後日は、広島の赤木居士が入山するので三人となる。天下に珍しいであろう悪辣にして峻厳なる参禅を三人一緒にするのは初めてだ。一人としてやりそこねのないように指導が出来るであろうか。必ず出来る筈である。皆自ら道を求めて来た者ばかりであるし、あの『参禅記』を読んで来る以上は余程の覚悟と熱意がなければ顔を出せる筈がない、選ばれた人たちであるからだ。
 ただ、お互い啓発し合って熱を盛り上げる刺激になると同時に、取り残されて精魂尽果てた時、急に仲間が見えなくなり手の届かない高い世界へ行ってしまったという惨めな挫折感を抱かせる動機にもなり、何ともやって見なければ分からないという心配がなくはない。

 それぞれ『参禅記』から少林窟道場がどんなものか想像して来ているものだ。質素で風雅な門をくぐると、如何にも庵への山道といった幅一尋ほど、奥二十メートルの道の前方に倉庫ぐらいにしか見えない禅堂が目に入る。右手は逞しい孟宗竹の生け垣で、勝運寺の本堂の軒の高さにあたりそれが見え隠れする。左側は小高く西に広がった墓地が続き山へと連なって世俗の感触は何にもない。俗塵の心はここら当たりから急速に脱落していく筈である。雄として幽なる禅寺の屋根越しに来た風は、冷たい竹膚で更に冷たさを増し、小笹の摺れる寒げな音を伴って吹上げる風を浴びながら進める一歩は、身も心も粛と引き締めて行くだろう。
 少し視界が開けて御粗末な衆寮が右手に見える頃には、禅堂の前の歴代の墓前である。私自身が真正面に立ち、恭しく合掌低頭するので皆それをしない訳にはいかない。そこから十歩も歩くと禅堂の正面である。ここでも静かに合掌低頭する。禅堂の前を右に進むと少しばかりの庭がありそこが衆寮である。時には心ない者が軒下に下着なぞ恥かしげもなくぶら下げていることがある。厳粛なる処は厳粛にしてこそ意味があり、厳粛な精神の発揚のために来ているとしたら、自らの厳粛さを発露させずしてどうして高尚なる世界を得ることが出来ようぞ。教師やいい大人がこれをやってくれるので情けなくなる。見付け次第したたか叱り付けることにしている。本当はそんなわきまえすら出来ぬ自己管理不全者などは入門させたくないのだ、が入れてみなければ解らないときている。困ったものである。

 玄関のガラス戸を開けると狭い狭い玄関で、上がり方に工夫がいる。上がれば如何にも薄暗く狭苦しい。おまけに名物の鴬貼りで歓迎されれば、神妙と同時に「えらい処へ来てしまった」と、覚悟と後悔とが交差する者も居るだろう。小賢しい見識を持っていたら「何だ、少林窟道場と威張った風な名前だが、来て見たら何と御粗末でけちくさい感じの処だ、俺などの来る処ではなかったわい」と思っても決して可笑しくはない。そう言う奴ばらこそ後で吠えづらかいて泣きを入れる連中なのである。私はこうした半端人間を三枚に下ろし、飯も喉に通らないほどに我見の精気を引き抜く達人であることなど、微塵も見せず時間を掛けて彼等の胸中深く入り込むのだ。次の餌食はいったい誰じゃいな。

 これでも仏間なのだが、御開山�隠文敬老大師・二世春翁�文老大師・三世中興開山洞天義光老大師・四世照庵大智老大師の御真影が掲げられ、押入を改良しての極めて質素な仏壇ながら総て謂われある御位牌等が飾られている。尤も神聖な部屋である。

 私は時には無雑作に作務衣のまま燈明を付け、慇懃に合掌低頭する。何の御経を読む訳でもない。が、これが我が道場の入門の大切な儀式なのである。私は百八十度身を転じて彼等の前に向かい、
「こんな無作苦しい道場へよくぞ来られました。只道のためのみの故に来られましたこと、法のためにとても嬉しく思います。皆さんの努力に総てが掛かっています。最短距離をして最大の向上をしてもらいたいので、私はその導きをするだけです。そのために来られたのですから何処までも私の言う通りを信じてやって下さい。また、言われない事はしないように。我見を主体にした修行は悉く魔道であるから・・・」
 と、聞いたふうな尤もらしい口宣をする。到着帳に記入して、備え付けの御粗末な着物と袴を付け、肝心な着眼の話に入る。『参禅記』を何処まで深く読んだかはここではっきりする。どんなに理屈で分かっていても、実際に一瞬の間に出没して止まない雑念との戦いに入ると総て何の役にも立たない。だからそこから先の話をどんなに極を尽くして語っても絶対に納得出来るものではないから、当面の問題である拡散を治め即念に帰る方法を強調して説く。理解できてもそれが問題ではないので、只一つを何処までも守り切り離さないようにさせることしか言わない。
 修行とは実行である。満身そのものに徹するだけであるから、一心不乱にすれば、拡散の治りに連れてその物と親しくなって、自然に一呼吸が只出来るようになって行く。一呼吸が只出来るということは、満身の呼吸ということである。真箇満身その物になり切って我を全忘すれば、それで凡情は尽きて万法に目覚め「確かにこれだ」とほぞ落ちして仏法現前するのだ。

 一応これだけをすれば良いという着眼点を定めて禅堂へ向かわせる。一日の大半を禅堂で過ごすためには防寒を充分に取らねばならない寒さなので、それぞれに毛布を二枚づつ持たせてある。ここからは彼等自身の努力であるから私は禅堂までは行かない。

 とにかく、三好居士は数十年、浅田居士は求道のため退職して専門に座ること二年、それぞれ名のある専門道場遍歴もして来ている。皆参禅の歴戦士であるから作法なぞは説く必要はない。作法はそれぞれに任せるとしても、一瞬の真剣勝負をずっと継続することは途方も無いことなのである。彼等がどれ程の参禅をして来たかは知らぬが、たった一念の始末すら付けることが出来なかった以上、その坐禅はたかが知れたものだ。
 短時間にその尤も大事な急所を体得させようとする私の参禅の密度は、彼等に想像も実行も出来ないであろう。初めは本当にぎりぎり一杯の真剣さで寸分の隙なく雑念と戦う事は五分が限度である。これを過ぎると鮮度が急に落ちて雑念に長く遊ぶことになってしまう。それでは私の処へ来た意味が無い。又、長時間の坐禅に耐えるには緊張から来る片より疲労を蓄積させないようにしなければならない。間断なく雑念を切り、体の流れをよくするために、一息の度に自分の背骨を見る程体を左右にしっかり捩ることと、三十分間隔で経行することを義務付ける。これが他の道場と丸で違うところである。
 まる三日間はこれらを怠ると随分と肉体的に苦しくなり、気力も体力も喪失して逃げ出すことばかりを考える心身の環境になってしまい、つまらぬロスをすることになる。とにもかくにも理解の世界ではなく、一瞬に成り切るためにぎりぎりの真剣なる実行と継続だけである。だから体の疲労と精神の鮮度を落としたら、その参禅の内容はぐんと程度が悪くなってしまう整理的生物的条件がある。古来の坐禅修行法はこの点を全く無視し、その厳しさ故に耐えることが絶対条件になってしまっているし、それを又本気で強要してそれを禅修行だと教えているところが少なくない。
 そもそも動物というものは動くようになっているし、動くことが自然なのである。それを朝から番まで、しかも何日もじっとしていること自体が大変不自然なのだ。更に、超極限の一瞬という世界を凝視して一日を過ごすのである。面白いことならいざ知らず、瞬時も許してはくれない雑念の責め立ての中で、確かに真実の世界を得ることが出来る道故に、一瞬を見失わぬ努力を続けるわけである。この様な状況が健全な状態で保持し続けられるほど人間は機械的無機物化した存在ではない。無理をすれば心身のどちらかに異常をもたらす。特殊な事例として時に狂う者も出てくる。これらは極限状態が次々にバランスを崩していき、地中深く眠っているはずの、個々の前因縁ともいうべき因子を刺激し顕現さしめるからである。特に分裂症が潜んでいる場合ほど確かにそうなる。従って健全に長時間じっとし続けるためには、適度に動くことが必要なのである。一見静止することと動くこととは、目的が相反して相殺関係になると思うかもしれない。動くということを静止と対立視点で見る限りそんな判断も無理はない。問題は精神の内側にある。体がじっとしていれば心も又自然体で思うこと考えることも無いかというと、当初はとんでもない。また一切に関わらない環境下であるから喜びも悲しみも無い極めて淡々とした幽玄な世界、宇宙と同化しているかというととんでもない。心は源平屋島で大荒れではないか。つまり意志や考え方などではどうにもならない人間の深い業があるということだ。これを超越してこそ真に救われるのだ。そのための修行である。坐禅である。坐禅の第一目的は解脱であり悟ることである。そのためには自己を徹底的に究め尽くさねばならない。雑念に翻弄されていては永遠に雑念の人である。されば雑念の湧き出る元を究めなければ決着は着かぬ。ところが雑念の起こりはそう簡単に発見することも切ることも出来る代物ではない。体は坐禅していても、雑念している時間の方が遥かに長いのが現実である。これを脱し切るために、強制的物理的に裁断し、一瞬に復帰する手段として体を左右に捩るのである。それがそのまま体調を快適にも保つし、眠気も激減させることができるという特効薬なのだ。静止はだから超遅い動、動は静止の時間的移動で、どちらも認めたり拘らなければ問題は起こらない。謂わば、静中の工夫と動中の工夫を坐上でするのが、着眼が定まらない当初のここの方法である。定まれば心は一点に居れるし、雑念も無視できるし、動いても動かなくても関係ない。安定と事実の如法を守ってさえいれば、そのものが拘りを溶かせてくれるのだ。
 参禅に理解は要らぬ。しかし、多少理解の必要がある処は、どの道、「一呼吸に成り切る」ということも所詮盲めっぽうでしかない。苦しむのはここである。どうしても「ああでもないこうでもない」と心が騒ぎ続ける。ところが「確かに一呼吸に成り切れば良いのだ」という理解がしっかり出来て確信に至っていると、迷わず即実行することができるし、雑念を切って帰着することが容易に出来る。即ち「一心不乱に一呼吸をするしかない」という結論の元に直線的に実行に打込めるからだ。簡単明瞭に一呼吸を素直にしておれば、自然にそのものと親しくなり同化して行く。只管呼吸である。呼吸に任せて我を忘れ切ればそれで良い。他に求めるものは何も無い。道元円通(どうもとえんずう)と現成する。つまり見聞覚知のまま、眼耳鼻舌身意のまま、色声香味触法のまま前後が無い。それがそれで尽きている、つまり成仏している大自覚が悟りである。脱落底である。全体既に道ばかりでどうする必要もない絶対確信が確立する。修証を言うて要る暇がどこにある。見聞覚知の機能は宇宙の真理であり作用である。ここで宇宙と言うのは誰が作ったものでもなく、また考えだして努力してそうなったものでもない、自然に備り作用している限りない働きを強調したものだ。自己を立てることも挿むことも出来ない峻厳なる世界だから、これを道と言い戒とも法とも言うておる。
 だから修行の急所を理解することは、簡にして明に信じて実行するためにどうしても必要なのであるが、実行に入ってからはひたすら実行のみでなければならない。それなのに現実の実行を抜きにして理解で体得しようとする、この無用な理解を求めることが過ちなのである。従って単純化し直入するために最低の理解はしていなければ苦しい無駄をすることになる。これは実に大きな差の付くところである。
 一呼吸というと如何にも具体的で、分かった積りで居るのが普通である。呼吸という自然な機能自体に気付くまでには、実に多くのくだらん定義付けや推論を展開しておるものだ。何が一呼吸なのか皆目分からぬ筈である。言葉上で理解する想念や観念は、事実から隔たる分裂作用でもあるから、どんなに素晴らしい想念であってもこれを真実だなんて取り込んでしまったら大変である。念を手放すことが出来ない間は須く迷いでしかなく、その迷いから脱出する事は出来ない。况や機能自体に任せて[淡々と只在る]よう如法になるまでは可成り大変な努力が必要なのだ。どんなに公案に通じ、何十年の古参であってもである。
「総て自分である、宇宙と一体なのだ、自他不二ではないか!」と豪語しても、たったの一呼吸を只することが出来ない者の言うそれらの言は皆嘘である。自分の念の始末を付けることはとてもとても出来ない相談だし、見聞覚知の無自性の様子すら分からないから何の役にも立たない。
 実地に[今、単を練る]努力をしていないと、坐禅が何時の間にか知識の世界で捉えられ、そこから一歩たりとも雑念の治る急所に近づくことはない。その事の空虚感が無い者は今生に於いて大法には縁が無いのである。気の毒ではあるが、そういう輩は出来るだけ早く気持ちよく送り出すことにしている。どんなに付き合ってみても無駄矢を放つばかりであるからだ。
 何れにしても単調になって宇宙に同化して行く道であるから、只一つ事に成り切り成り切りすることが基本である。ということは正法を正しく聞いて信じて迷わず一心不乱にすることに尽きる。[聞思修より三摩地に入る]というはこのことである。正師の正法を正しく聞き取っているかどうか、大事な着眼は間違っていないかどうかよく思惟して、然る後修行に専念せよ。さもなくば菩提に達する事は出来ぬということである。逆にそれがちゃんと出来れば必ず大法を成就し大安楽を得る事が出来るということなのだ。但し、これは正師に出会ってからの話である。それまではとにかく師を探す事である。

 夕食の時、動きの工夫に付いて実地に参究の急所を示す。
「いいですか、着眼の急所は”今していることのみになる“ことで、呼吸に中心を置いている時は呼吸が中心じゃ。食事の時は食事が中心じゃ。いたって簡単明瞭なのだが”元来理屈なく作用している機能そのもの“に気付くまでは暗中模索でしかない。拡散して取り留めのつかない時は坐禅の姿は静止しているものと認識し、食事は動いている姿としか見えないものだ。今の一点は”何も無い“のが本質じゃ。ただ縁に応じて”動いていて、しかも動いていない“じゃ。取り留めがつかんが何にでも成るのでこれを”空なる働き“とでも言うてかねばしかたがない。本当は何も言う事は出来ないのだ。
 一呼吸にしても、動いていないで呼吸が出来る筈はない。作用そのものが機能である。単調に機能していることは、単調にそのものになっていることなのだ。一体になっている時は動く動かないはない。只それだけだ。この単調な様子を如法と言う。単そのものと言うことだ。修証不二の様子である。ここが大事な処じゃ・・・」
 と何時もの話をする。大事な事だけに話に力が入る。普通我々の総ての物事は連続しているものと認識されている。確かに認識の世界ではデータ化されているので[一瞬ばかりの世界]というぎりぎりの現実性はない。データは過去だとか現在だとかの区別なくジャンルで記憶されていて、総ての記憶はデータとして拘わりを持っている。それを元にデータ管理して行く。これが認識の世界であり、観念の虚像化であり、その事が分からないために我見となっているのだ。早い話がそれを持つから我見となり争いの元となる。だからデータや信号を認識とか分別とかに管理している世界にいる限り、信号がそれぞれに刺激し合って取り留めもなく勝手に連続して行くのは当然である。そこは常に[これだ]と確固たる定まりが得られない不安定なままである。本当に定まる処、疑えないきちっとした不変の世界など頭脳の中に在る訳が無い。
 何となれば総てが信号として記憶されたものに過ぎない。論理として信頼出来ても、信頼するその精神行為の立脚点が既に不安定なものであるから、人が信じられないばかりか自分自身すらも自分の単なる観念や思いを信じ切る事は出来ないのだ。
 そんな自分とするところの根本を離して大自然に帰った時、心とすべきものも、物とすべきものも、時間とすべきものも総てその時の因縁生による働きであり、其ほか何物も無いという確信が絶対安心の境地をもたらす。その仏の目が備った時、自我をたてて理屈に翻弄されて、これほどに確かな真理が分からず迷い苦しんでいるのが気の毒で放っておかれなくなる。この心が大乗である。大愛である。仏法である。悟ることの有難いところである。

「今喋ったことは総て理屈に過ぎない。後で皆分かる。そのためには本真剣に、今している事に成り切り成り切り隙なくやるのだ。十分の一の速度で、ゆっくり、はっきり、その事を見失うこと無くやりなさい」
 と言って激励する。暗中模索の時はどうしていいのかが分からないのだから、万事どうしようもない。師を信じて言われた通りをするしかないのだ。三・四日もすれば自然に治るものがあり、気が付くものがある。

 夕食も終わり、直に禅堂に向かわせる。当初は誰でもがそうであるように、念が紛飛し拡散するのを治める[即念、今への着眼]が定まらぬ内は、自分の上に心が居ない。身と心とが離れているから問題が起きるのではあるが、動作全体が隙だらけである。
 戸に手を懸けるのにも閉めるのにもその事から注意を抜いてしまうと、もう現実から離れて知るべきものも時節も何も無い。修行になっていないということなのである。今は如何にしてもこれ以上は無理なのである。

 静まり切った道場は日暮と共に寒さが増していく。遠くから老人がこの道のために来て、ひたすら奮闘している禅堂も容赦なく冷え込んでいく。しかし、中の薄明かりがそんなものなど吹き飛ばしているかのような熱気に見える。彼等が今どんなに頑張ったとしても、ほとんどは雑念に遊んでいて、たったの数秒すらも紛飛する念をじっとさせることは不可能なのであるが・・・ [心意識の運転をやめ、念想観の測量をやめ]とはあっても、それがいきなり出来る事柄でない心の癖を破るには、とっかかりとしてひたすら一点に心を定める努力がどうしても必要なのだ。後で皆無駄だと分かる時が来るが、その無駄がなければその事もまた分からないのである。

三月七日
 早くも浅田居士は足元へ治って来た風に見える。これが本当にそうであったら嬉しいのだが。今まで独坐してきた力は一体どのように生かされてくるのか楽しみである。朝食の時、
「一呼吸がちゃんと出来ますか?」
「それが・・・」
「何が呼吸か分からんのだね?」
「はい、まあ・・・」
「ぱっと一呼吸から雑念に流れて行ってしまうでしょ?」
「はい」
 やはり即今へは来ていなかったのだ。だったら本格的な地獄の真っ最中の筈だが。でもあれだけ今にしっかりかじりついていれば、行き着くところは当然その事だけだから早いであろう。
「雑念はどうしているの?」
「どうしてるこうしてるって・・・とにかく雑念だらけでどうしようもない状態です。」
「それで?」
「深く一呼吸をするしかないと思ってそれをしています。でもすぐに雑念の方へ行っちゃって・・・」
「今はどんなにしても拡散が治っていないからどうしてもそう成るんだ。後手ではあるが今はそれしか無いので、雑念に流されていることを早く発見して早く一呼吸に帰ること。そしてどこまでも一呼吸だけを一心不乱にすること。ただこれを瞬時の隙なくやるだけですよ。今は手続きが無ければ手掛りが無い時なので、自分に言い聞かせ言い聞かせして一呼吸を守りなさい。雑念を切っては一呼吸に帰るしか無いのだからね」
「はい」
「辛く苦しいですか?」
「いえ、そんなに苦しい事はありません」
 目的意識がはっきりしっかりしているので、雑念に或る種の纏まりがあるからであろう。
「三好さんは、雑念をどうしていますか?」
「言われた通り一呼吸を一生懸命するようにしています」
「雑念は?」
「気が付いたら一呼吸をしなければと思って、呼吸に帰るようにしています」
「すぐに一呼吸にかえることが出来ますか?」
「いえ・・・それが、なかなか・・・」
「いいですか、一呼吸と言えば特別の様な感じがするでしょう。そうではないのですよ。既にしているのですから、殊更にするものではないのですよ。ほれ、こうするだけです」
 と言って真剣に、何度も何度も私がやって見せる。
「直に禅堂へ行きなさい。隙なしに立って、油断無く歩きなさい」
 こうして顔を見る度に、とにかく着眼の一点のみを厳しく具体的に説く。それしか無いのだ。ところが私から離れると直にどうしてよいのか肝心のポイントが分からなくなってしまう時である。一日に何度も何度も繰り返し一点へ引き摺って行かなければならない、私にとっても最もしんどい時でもある。

三月八日
 心境は食事の様子だけでも大体読める。今、自分のやっている事に成っているかいないか、法であるその物から離れているかいないか、そしてその深浅を見定める訳である。いい加減な坐禅をしているのと、死物狂いで一瞬に切り込んでやっているのとは、食事の様子一つが丸で違って来る。
 一般には心など人には分かるものかと思いがちであるが、何を考えているかという具体的な確認は出来ないけれども、どの程度真剣に、如何なる苦心をしているか、よそ事に心が何パーセント行っているか、けじめのないへ理屈屋か道理を通して正しく論理的に働く頭脳か、私にどの程度批判的であるかなどは、食事の時に二こと三こと言葉を交わせば、その時の大事な点は自然に見えるものだ。
 体が機能して行くのは自然ではあっても、修行という自己の全分をかけても足りない程の極限的努力をしなければならない。当然自分だけの力ではどうにもならないので、私の示唆による継続力と成る努力心啓発を相当に頼りにしてくる。それは自分の総てを出し切っての事であるから、それらがよく表に現れて当然である。
 従って全分を出し切っていない限り心の領域は狭く、無色透明には成り得ない。勿論進歩も遅いし峠はなかなか越えられぬ。この心的状況は裏返せば本当に体得したいという求道心、師への信頼、法への絶対信という信仰の原点、宗教の根幹に直接拘わるものであり、参禅の質と程度を決定するそのものである。分かりやすく言えば、これらに依って物になるかならないかということである。

 参禅する人は当世大勢居る。たまたまこの少林窟道場に来て確かな参禅法を獲得することはするが、そこから本当の修行が始まる、という段階で止ってしまう者が大半である。そのまま自己なしの継続が如何に難しいか、出し切って師のままに進む事が如何に困難であるかという証明である。端的に言えば、無力になる努力がなければならないのだ。無力は努力があっては無力ではない。無力は何もしない、何もする要が無い自己を離れた世界で、元来そのままであり拘束力のない自在な力である。

 こうした急所へのとっかかりもなく頑張る事は、本人にしてみれば盲滅法闇雲である。不安とあせりと苦しみとの三叉路でまごまごするばかりだ。どうしてもそこから突破させるために、くどくくどく箸の上げ下ろしから一噛み一噛みに至るまで、
「まだ抜けている! もっとゆっくり、もっと真剣に注意してやりなさい!」
 終れば終ったで、
「すぐ禅堂へ行きなさい。一呼吸を命懸けでやるだけですよ!」
 と相成る訳だ。夕食の浅田居士は水を打ったような静まりようである。明日が楽しみだ。

三月九日
 朝食に現れた浅田居士は予想以上の定まりであった。自分の動きにぴったり就いて来れるようになって来たのだ。自分の行為が把握出来なかった青年が、自分が見える視界へ入って来たら何となく尊厳を感じさせる深い動きになった。心とは本当に不思議な働きをするものである。
 私を煩わせる事は全くないまま、外見的には意図も簡単に定めた事は誠に立派である。彼の気付きの因縁は、冷気が鼻孔を刺激するその事の存在観に、自然の[只]をかいま見たと言う。その事実を全自己をかけてなり切りなり切りしたのであろう。
 三好居士はとても年には見えない。姿勢も矍鑠としている。でなければ秩父の奥からこんなことをしに来れる筈が無い。眠りも浅いであろうから充分に寝かせ、闘志を養って坐禅に向かうように指示している。だから努力は無理をしても余力の範囲内である。所作はポーズあろうけれども手元に焦点があるから、その内その事に気が付くことは間違い無い。

 広島の赤木居士入門す。新品であろう着物に袴といういでたちが光って見える。而も良く似合う。
 前二人は四日目に入りすっかり落ち着いているので、新入生との落差が面白いほど付いている。こうして見ると心境的には今のところ格段の差が付いているのは浅田居士だけであるが、全体の動作の上では四日目と入ったばかりの新入生とでは全く比較にならない。四日も経ると立ち振る舞いから食事全般の落ち着きと注意力が、何れの瞬間を捉えても一つの中心で束ねられている。かたや入門したてとなると、総てがばらばらでほこりが舞い上がる感じだ。心の目がきちっと内に向かっているのと焦点が無いのとではこうした差が付いてしまうのである。赤木居士の人格を言っているのではなく、参禅の僅か四日間の時間的ずれがこうした形で現れるということである。後の烏が先に成る事はこの修行の世界に於いても同じなので、今言える事はそんな駄戯れほどの違いだけである。

三月十日
「早飯早糞が取り柄でして・・・」と爽やかながら少々照れ笑いで誤魔化すともなく笑う。それは本当にそうなのだ。かれは実行派で、思った時は既に決断して実行している時の方が多い。実業家は企業欲が趣味の様な感性と使命感の様な闘争的な勢とがベクトルになって状況に対応して行く。或る時は敵として真正面から戦いを挑むし、或る場合は機械的に自然視して対応して行く。そこには自分の食事がどんなかは、喰うてみたいものを喰うて、次の仕事の活力になることが大事なのである。こうして外ばかりに向いていれば、食事そのものの中に自己を見るなどということは殆ど無かったであろう。腹がへったから食らう動物的作業から、如何に食べるかという方法論的な手順を主体にして食べるとなると、食べる行為そのものが途轍もなく厄介で苦しい作業に違いない。
 目の前の人がきちっと静かに隙なく食べているのと対象的に、そのようにしようとしてもなかなか出来ない上に「一箸から注意を抜いてはならぬ」などと厳しく指摘されて尚出来なければ、如何にも自分が惨めになって当たり前である。つい言い訳も出るというものだ。彼は本当にスピードに適したスポーツマンタイプなので、もたもたし始めると手順さえ狂ってしまうほど、思考と動きが殆ど一体化している。動いていて安定を得ているタイプなのである。動きながらいい考えが生まれるという人種なのだ。この向きの人は現実に適応する極めて実行と応用とに富んだ人柄なのである。
 その彼が自分の動きそのものを決定的に把握するとなると、反射的に行動するその元の部分の瞬間にじっと立って見守らなければ出来ないのだから、「せよ!」と幾ら厳しく命じたとしても、その元の急処の「前後の無い念」に気が付くまでは大変である。
 たった一箸の食事ではあるが、これを真に自分のものにするということは、それまでの自分を越える事であってそんなに簡単な事ではない。しかし、着眼さえ間違っていなければ必ず心は治り、自分の行動の起こりをしっかり把握出来るようになるのである。そこが道の有難いところであり本来の心の自在さを物語っている。

 夕食の時、赤木居士が、
「一呼吸が何だかさっぱり分かりません」
 と言ったら三好居士もそうだと言う。赤木居士はそうであっても無理はないが、三好居士は既に四日目である。それまで自分の疑問とするところを正直に吐露しなかった事は修行者として極めて根源的でない。初めは言われても言われても、師から離れて実際に禅堂でやりだすと途端に焦点が分からなくなってしまうものだ。でも同じ事を何度でも聞いて、少しでもはっきりと実の上がる修行をしなければ、此処まで来て私の傍に居る甲斐は無い。四日も経って着眼のこの大事な事が、未だに何だか分からないと言い出すなんてとんでもない事だし、実にもったいない話である。私にしてみれば本当にやる気があるのか? と言いたくなる。
「今までどうしてたのですか?」
「言われた通り、一呼吸をしていました」
「どの様に?」
「吐く時は吐くに集中し・・・、吸う時は吸うに集中して・・・」
「吐く時の集中って何にですか?」
「いや・・・出て行く息に集中して・・・」
「出て行く息とはどんな息ですか?」
「???」
 まさしく盲打ちをずっとやって来たのだ。聞くのが恥かしかったのであろうが、ちっとも進歩して行かない努力に疑問を感ずる事は無かったのだろうか? 秩父の奥から坐禅をしにここまで来る者に真剣でない者はない筈である。にも拘らず埒も無い四日間は、その内に何とか成るだろう? と思いながら一応の努力をしていたのだ。でなければ全身全霊をかけていて間違っていたら、本当にこれでいいのかな? と辛いままで進歩して行かない努力に疑問を抱かずにはおられないし、疑問と不安とを長い時間携えていると、何時の間にか師への不信感とか諦めとかに発展して行くものだ。
 凡そ参禅する多くの者はこのくらいの努力というか熱意しかない。従って師への信頼もその程度であるから深い示唆も届きにくいのだ。命懸けの努力心とは、げにそれだからこそ尊いのである。
 何れにしても何とかしなければ気の毒だ。あれだけ朝から晩までずっと禅堂で頑張れる粘りは尋常ではないので、ちょっとしたヒントで決っていい筈である。
 しかしまあ、食事の時は可能な限り微細に具体的に説き、折々にはお茶をして急所の要点を説法し、しっかり激励し無駄骨をさせないようにしていたのだから、丸で出鱈目をしていたなんて有り得ない。而も私の法話を良く理解していたし質問も的を得ていたのだ。私の点検が甘かったのだが、それ以上に自分に甘すぎる。もっと自分をさらけ出して道一筋にならなければとても定めは付けられぬ。
「自分は年取っている」という自覚は、ちょっと置き処を間違えるとハンディーのみに走ってしまうまことに厄介な代物である。この自覚を、「自分のように年取った者でもこの様に頑張れるのだ、道の為のみにここまで来たのだから恥なんて言っては居られない、何でも聞こう」、こうした第一義への執念を表に出して行く自覚こそ道の自覚である。同じ自覚でも第一義以外の自己の自覚は皆裟婆的体裁であり、煩悩の入物であるこの糞袋への執着に過ぎない。
 疑団を持てと白隠は強調しているが、一方の盤珪は疑団なぞ持ってしてはならぬとも言っている。どちらも涙の示唆であって、反対意見などではない。自己への疑団こそ自己を越える出発点ではあってみても、本来その物は自もなく他もなく、念の取りつく余地も無いいからりとした世界であるから、それに同化するだけである。一体同化するには疑団など持っていては成り切れない。強調する焦点と言うか慈悲の置きどころが異なると、こうした相反する言い方も屡々生まれる。いずれも大事な教えである。祖師のこうした言葉に上下や是非を言うて許されるものではない。
 ただ無駄なく努力して行くためには、絶えず「これで本当にいいのか?」という疑団をもって師に体当りして行かなければならない。そして正師が示唆するところは全面的に信じて確かに聞き取り、その通り努力しておれば必ず目的地に達する。だから修行者にとって疑団と努力と信とは目的達成には欠かせない絶対必要条件なのである。
 とにかく努力心と疑団がしっかりしておれば自分がじっとしておられなくなり、自然師に飛び込んで行くようになって師の正邪はそこで見分けが可能となる。又自分が示唆の通り確かかどうかの甘さもそこで解消出来るのだ。師は一瞬たりとも努力の無駄や時間の無駄は絶対にさせない。それは道の重大さ尊さがそうさせるのではあるが、そこには曽て自分も長く苦しみ光明を求めて努力した経緯もあって、無駄な轍を踏ませたくない熱い思いとが重なっているからである。
「赤ちゃんは呼吸のことを知ってやっていますか?」
「いえ、そんな自覚や意識は無い筈です」
「と言うことは一体何者がそうさせているのですか?」
「自然だと思います」
「私や貴方には自然はないのですか?」
「皆ちゃんと自然の働きが備っていると思います」
「呼吸は貴方がしようと思って努力しているから出来るのですか?」
「いえ」
「では、どうして出来るのですか?」
「ただ・・・自然の作用だと思います」
「自然の作用の呼吸って一体どんな呼吸ですか?」
 彼は何時の間にか更に背筋が伸びていた。細められた目は定まり、深く静かな呼吸は正しく自然でありとても美しく重厚であった。要点に手が届きかけて来たのだ。
「今何をしているのですか?」
「ただ呼吸をしています」
 躊躇なく発せられた言葉には自信が添っていた。
「方向としては結構です。だが、言葉で概念を用いている内は未だその物と隔たっているのですよ。分かりますか? その物自体ではないということですよ。頭で説明しているということです」
 言葉の終わらぬ内に治った深い呼吸が有った。これなら大丈夫だ。とにかくよかった!
「はー、これですか。これが自然の呼吸なのですね。これだけを一生懸命するだけでいいのですね!」
「着眼点が定まった途端、急に楽になったでしょう。」
「はい! これをすればいいのだ、ということがはっきりしましたので、安心しました」
「努力々々。皆直に禅堂へ行きなさい。いいですね、只一呼吸ですよ!」
 赤木居士も皆に付いて綿密に立ち、じっくり歩を進めて消えた。例えぴたっと出来なくてもそうして努力しておれば自然に拡散が治り、道の様子が分かって来る。三好居士、明日はすっかり楽になる筈だ。

三月十一日
 朝食の時、
「浅田君、君はさすがに志しが高いだけあって努力心も違う。それだけ進歩も早い。今の心境は?」
「心境なんてそんな大げさなものは有りません。」
「そんな事はあるまい。君はとっくに即念が修行の要点である事を知って自信を以てやっているじゃないか。でもね、そんな浅い心境なんて取るに足らんものだ。今は今だけの心境だから、今が本当に手に入っておらなければ直に見失しなってしまうものだ。只、今だけだからね」
「それはおかしいじゃないですか。だって本来今ばかりでしょ。今から逃れられない今のこれを、見失うこと自体有り得ないじゃないですか!」
 と、身の回りの有り合せの物を指差して言う。この自信というものは直に手に入れたものだけに力が違う。だからいきなり生意気な事を言い出したとしても不思議ではない。がこうしたところから幼稚な悟り草が蔓延して行く。道理が通っているから道理の世界としては認めるしかない。こちらからすれば彼を向上させるためには、それが単に道理でしかない事を知らしめなければならない。即今底が道理で分かったに過ぎないものを、大層な心境で有るが如く受け取ってしまったら大変である。本人でみればそれは実力と思いたい処であろう。ここが大事なところである。学者の禅はここまで来ていたら良い方で、だから何が正法なのか全く見分けられ得ないのも無理はない話てある。
 とにかく浅田居士の即念の気付きは明かに早く、又確かなものであった。気付きは人それぞれでむしろ同一という場合は殆どない。彼の気付きは、空気が鼻を通過する感覚に念を置いて、それを見失うこと無く即念を守っていてそればかりになった時、その単調さに気付いたと言う。誰だったかは禅堂にある師家の玉座、つまり説教台を見た瞬間に分かったと言い、或る者は私に警策を食らった時に分かったと言い、更には禅堂の外から「今は求めなくても既に今だぞ。既に結果であって思いや念など執りつく島は初めから無いのじゃ。一呼吸は既に結果であるから素直に只しておれば良い」と言った言葉で着眼が分かった者も居た。
 縁は人それぞれである。総て自分の事であり今である。その事だけであり念なく単調にあることである。一心であり満身であり畢竟[只]である。方程式なるものなど何も無い。又理論の構築によって体得出来るものでも一切ない。着眼の気付きは、見聞覚知の何れかの縁に単調になり心の収った処、その無念の念、前後の無い念に気が付くだけである。
 そうなるためには、どうしても拡散が収り単調にならなければ縁と同化出来ないことは道理でもうなずける筈である。本来同化しその物と円満にやっているのに、拡散しているためにそれが何としても分らない。その理由は念が細胞分裂的に連続発生連鎖反応しているので、本来に気付くことは有り得ないのだ。心の外に向かっている以上、心そのものの様子が見える筈はないのである。外にばかり向かっているのはまさしく心の癖である。これを破壊する作業が修行であり、一瞬の問題である。
 ここまで突き詰めて来ると、何とか心の収まる処、収める方法が人々で発見できそうである。そうなのだ。あの火事場の馬鹿力というものは死物狂いであり命掛けで、損得も他人も自分も恥も虚栄も何にも無い。村上正三の言う「果し合い」の気概こそ一切を放下する最大の力である。古人も「百尺竿頭歩一歩を進む」とか「大死一番」と言っているのもこのことである。より大きな破壊力をもったエネルギーで心の内側に向けてかゝるのである。身を忘れて一瞬に只あればよい。

 これからの彼は、今まで可成り苦心して来ただけに、禅の禅たる方向が見えれば正邪が自ずから付いて当然である。それまでの師の在り方に就いて語り、厳しく点検をする。する彼は勿論謙虚ではあっても、絶対ラインを引くポイントが分かってきただけに殆どの師家は徹底的に点検され裁かれてしまった。彼にとって彼等は最早師家ではないのである。義憤を込めてと言うほどではないが、その事のために懸命であればあるだけとんでもない代物を掴まされて大切な大きなものを失へば、その心底を語りたくなったとしても仙台居士同様無理からんことである。
「こらこら! 君らが師家を云々してはならぬ!」
「だって、方丈!」
「だってもくそもない! 師家に対する批判は師家分上となって許される事だ。君は修行の方法が手に入ったばかりの学人ではないか。相手を認めるから自分が立ち、過去の虚像を相手取って喧嘩するのだ! ここが分かるか! これを顛倒夢想と言うのだ! 馬鹿丸出しではないか! とにかく修行者の分を逸脱したら仏祖に嫌われて正法が入って来ないぞ! 先ずは成り切って死んで来い! 総てはそれからの出来事じゃ!」
「それは分かります」
「いいか! 修行は只、自己を窮めるだけ! 今、この一瞬、無理会であればよい。相手を認めた瞬間から十万億度の隔てが生まれるのじゃ! 分ったか!」
「はい、分かりました!」
 求道心が強いだけにこの辺りの収りどころも又早く高い。これで彼は一層飛躍するであろう。資質のよさと同時に、決心したら一途になり、そのまま実行突進に躊躇が無い恵まれた要素をしている。これからは余り手も掛からないであろう。

三月十二日
 三好居士がすーと現れた。昨日からすれば嬉しい報告の筈である。
「有難うございました」
 と涙の訴えである。
「余り近かったのでそれが分からなかったでしょう」
「そうなんです」
「初めから只素直に一呼吸だけをしておれば良かったでしょう」
 下向きに微笑ながら大きくうなずく。楽になって理屈なく嬉しいのだ。
「いやー、これほど何にもないままがそうだなんて・・・ びっくりしました」
「工夫はどんなですか?」
 と、ちょっと挨拶がてらの点検をしてみる。こんな処で腰を掛けたら何にもならないからだ。
「これだけでいいという処がはっきりしましたので、今までみたいな苦しみは全くありません。本当に一呼吸だけを淡々としております。楽になるばかりです」
 これだから面白いのだ。あれほど暗中模索して苦しんでいた者が、その事に出会った瞬間から暗中模索する心そのものを相手にしない力が出て来るのだ。こうなると雑念も激減するし無視もできる。勿論雑念の発見は瞬時に可能となり、呼吸に帰るのも瞬時にできるのだ。坐禅の内容が一変して大変趣きを感じ面白くなって行き、時間の感覚も落ちて長短が無くなって来るし、身も心も軽くなり救われたという何がしかの実感が沸いて来るものだ。
「いいですか、ここからが本当の修行ですよ。今までは修行の要の一点を定めるための修行でしたが、これからは百発百中の効果が上がる修行となるのです。これからの練りが無ければ何にも成りませんからね!」
「はい! 頑張ります!」
 無心に去って行くその堂々たる様子はまさしく努力の代償である。午前の部屋の空気は尚冷たい。鴬が急に近くに来て、春の本番を告げているようであった。

 赤木居士実に真剣なのだがさっぱり要領が掴めず苦しんでいる。最も辛い時であろう。私の言う通り素直にやっているので次第に単調になってはいるが、本人には現状で変化が認められないからこれでいいのだろうかという不安もある筈だ。単調になるとは、目的に集約さていくと言う事であり、その事は外に向かって放射線状に走り出ている意識が目的に振り向けられる事である。簡単な言い方をすれば、内に向かうと単調になる。それまでは殆ど無変化の撹乱平衡状態である。この時が最も苦しいのだが努力で突破する以外に方法はない。ここが人々の法縁の異なる処である。本人は常に素直に、ひたすら素直に遣っている積りなのだ。
 指導の側には打つ手は無いのかというと、手荒な方法が有るには有っても絶対にうまく行くとは限らない。従ってこれ以上素直になれとつつき上げられると、何が何だか分からなくなっしまうので、ぐるぐる回りに気が付くまで時期を待つ必要があるのだ。それが今の状態に於いて一番良い手立てなのだ。とにかく頑張れ! それだけ努力していれば必ず気付く時が来るから。

 浅田居士の単調さは間違い無く如法である。彼の法縁は極めて深い。あれだけ他の道場を遍歴して来て、その片鱗を少しも見せぬ。大抵先入主となって災うものだが一向にそれがない。本当の求道者がこれなのだ。常に高きを求めておれば提げ回る事よりも、教えのままに努力する事ができる。菩提心の徳であろう。

 白隠下のお三は良家のおさんどんをしていた少女である。そこの主人はちょくちょく白隠禅師を招き点心供養などしていた功徳家で、聞法しては参禅していたらしい。お三のような立場にある者は、自分はつまらぬ者として大抵は大欲を起こさぬものだ。諦めて少しでも心地好く生きるために任務に忠実なのが普通である。ある時、襖越しに「何でもその事だけを一心不乱に、雑念を入れず只やれば宜しい」と言う白隠禅師の法話を耳にして思えらく、「坐禅はもっとむづかしい事をするのかと思ったら、何も考えず一心不乱に只すればいいのか。これなら自分にも出来るぞ!」。お三が悟ってやろうとか自己を究めよう、というような大目的を掲げていたとは思えぬ。が、白隠禅師に帰依し坐禅を尊いものとして信じていた事は容易に頷く事が出来る。それからというもの、何事であれ一心不乱に素直に只やった。今までの日常生活を淡々と只したに過ぎない。ある夜のこと、縫い物を一心不乱にしていて、遂にその事ばかりになって自己を忘れ切っていた。とうとう朝になった。本当に只していたのだ。一番鳥の鳴き声に機縁純熟し、自己を取られ全忘していたその時、無自性空を徹見して仏祖と親しく相見したのだ。天を握って驚き、大地を揺すって大歓喜したは当然である。直に走って白隠禅師の印可証明を得て弟子になった女傑である。
 こういう確かな勝縁の者には端的な指導が要るのである。難しい事ではなく、今、只、縁に成り切り成り切りしておれ、という端的にして直説な指導をしなければならない。法縁のある者はたった一言でけりが就くという最も良い例である。今はどんなに法縁が有っても腐らせるばかりのようだ。
 これだけで分かるように、素直さと、そして信じて一途にやることが如何に大事であるか。感情を騒がせ、無用な分別雑念をさせるような縁は切に避けて、出来るだけ静かで単調な処を選ぶという自己選択が出来なければだめだ。菩提心とは、それらの複合的総合的努力のことである。修行は特別な事を求めるものでもするのでも無い。真実の人になるために、只、今、その事に徹して自己を忘れ切ればよい。素直に只一心不乱にあればよい。法理や理屈は大いに妨げになるだけである。良い師についたら一切の読書は止めて、参師問法と指示の通りの打坐に徹するのが最良の道である。師は決して放ってはおかぬ。常に気に懸け、修行を見守っているので、安心してひたすら指示の通りに行ずることである。

三月十三日
 日中は春の暖かさを感ずる時節となっていた。それでも朝夕は冬に近い。ここの参禅は開単時より、寒気がこたえる者には素足といった無理はさせないことになっている。気迫は菩提心であるから最も大切にしているのだが、それも第一義に限ってである。でなければ道を得ることが出来ないからだ。目的意識が如何に鮮明であっても、その実行のための着眼がずれていたら永遠に行き先が違うことになる。解ったと言うものを振り回す者の殆どは言葉だけ、理屈だけである。きちっと実行が出来る者は、言葉も理論も越えているから出来るので、只する、という単純結果である。これが禅修行である。
 浅田居士も三好居士も、[心意識の運転をやめ、念想観の測量をやめ]た無理会のところ、白隠禅師の言われる「無念の念・無相の相」、曹洞禅の中心である「只管」の一端を得た。しかし、その消息を得るまでは決着が着かぬ。自己を越え自己を忘ずるとは、真っ先に言葉や理屈から離れなければならぬ。そうなるにはどうしても拡散を収め、心を調御しなければならない。自分の癖を取るには、こうした心の背景があるから、だからちゃんとした師に就かなければとんでもないことになってしまうのだ。

 赤木居士、猛然と瞬間への切り込みが始まった。本格的な雑念との苦しみに突入したのだ。雑念するのも自分の心、それらを切り捨てるのも自分の心である。一方は癖、一方は正念。努力がなければ九十九、九九パーセントの癖が圧勝するだけである。僅か〇、一パーセントでもって殆ど無限大の敵と戦うのだ。菩提心のみが見方であり力なのである。だからそのエネルギーをコンスタントに保持し続けることの意味がどれ程大きいかを知らなければならぬ。自ら憤然とすることと、更にこちらが奮起激励して熱を高めること。決して息を抜かさぬよう見守らねばならない。最も油断のならない、最も厳しい数日間なのだ。
 これが四五日続けば、自分の生活全般の一瞬一瞬にきちっと心が届くようになる。その急所が明確になった途端、大半の努力もその消費するエネルギーも必要無くなる。当然抜け落ちたように楽になる。するとからっと様子が変わる。どうしたらよいかと言う不安と躊躇が、完全に安定と自信に変わるから、見ていて別人の様になってしまうのだ。
 今、赤木居士はその様に自己昇華し脱皮していくルートに漸く乗りかかったのだ。本人は必死だが、私は嬉しい。本人はとても辛いのだが、私はとても嬉しいのだ。自分のことであるから、必死でやればその様に集約され、奇麗に治ることが分っているからである。雑念は怖い。されど雑念である。命懸けで正念相続を続ければ、自然に消滅するようになっているのが我々の心なのである。努力はそれ自体が菩提の当体である。何ものにも打ち勝つことが可能な力ということである。努力、努力。菩提心、菩提心。

 夕方、三好居士が極めて如法に現れた。単調でありきちっと一点に治っている。感情と意識が治れば、その様になるのは当たり前である。これを壊さずに生活していれば、当然隔てが無くなり、自然に脱落する。とわ申せ、とにもかくにも努力の結果である。
「大変すっきりとし、軽くなりました。有難うございました。」
 対峙していて本当に存在感が無い。互いに目と目とを見合っているのに、余分な念も気持も無いから空気と同じなのだ。これはそれだけ本人が楽になり救われていると言うことなのである。
「大変お世話になりました。明朝帰らせて頂きたいと思います。」
 申し分に少しの澱みも無い。私の元に居る限りの彼は意を自由にしているのだ。これから飛躍すると言う段階に漕ぎ着けた今、下山するのは如何にももったいない。私から離れれば忽ち元の世界へ戻ってしまう。又元から始めなければならないのだ。惜しいではないか。
「そうですか。惜しいですね。今、返ってしまうのは。何とかならんのですか。」
「はあ、大変有難いお言葉なんですが、予定して出てきましたので・・・ 帰ってからもしっかり坐ります。ただ坐ると言う大事なことがはっきりして、本当に有難かったです。安心できました。」
 長く迷いの坐禅をしてきただけに、たった一週間で勝ち得た修行の確信は、何よりも救われたであろうし嬉しいに違いない。この度はこれで充分と言う気持になったとしても当然であろう。この真面目さと一途な性格は、今までしたきた盲滅法とは違い、坐禅そのものに気が着いたこの坐り方をいい加減で済ますとも考えられない。本当に努力の人であるから、必ず坐り続けるであろうし又訪れるであろう。
「いいですか。坐禅の秘訣は、どんな事が心に出てきても徹底捨て切るということですよ。心に何も持たない。認めないと言うことです。いいですね。」
「はい。一呼吸、一息で切ればいいのですね。それが今ですね。それを続けることが修行なのですね。」
「そうです。ちょっと聞いてみるのですが、一呼吸の働きは?」
 姿勢を正して、全身の深い呼吸をする。それはそれでいい。だか、
「働きはそれだけですか?」
「歩く時はただそれだけ。食べる時はただ食べる。」
「それだけですか?」
「いえ。日常全般、その時それがそのもの。今そのものです。これです。」
 と言って自分の両膝を両方の手でぽんぽんと叩いた。きっちり手元へ来たではないか!
「そうです! 修行も人生も、仏法も命も、真理も現実も、今その物自体で、しかも何も無いのですよ。」
「はい! 日常の生活自体と言うことですね! 大変よく分りました!」
「そのもの自体には理屈も自我も何も無い脱落の当体全是。何も無いのだ! だからこちらが何も無くなれば、自ずからその物と融合して自己が溶けて落ちるのですよ!」
「空の体得とはその事なのですね!」
 目も輝き、全身がみずみずしく若返る。身を乗り出さんばかりである。
「そういうことです。それが因縁所生の法で、塊り物が一切無いと言うことを体得した確かな消息を悟りと言うのです。空の自覚です。ですから、坐禅は悟らなければ、日常その物が生きた世界とは成らない。」
「その事だったのですか、日常自体が空だと言われたのは! 空とは本当の瞬間のことであり、真実でしかあり得ないと言うことなのですか! だから瞬間の体得以外には空に目覚める道はないと言うわけですね!」
「その通り! つまり、歩く時は、ただ、歩行そのものであればいいのです。空とは余分な物なく、純粋その物の事。そして因縁に、つまり原因と関係によってどの様にでもなる固定性が無い自在さを言うのですよ。見聞覚知が純粋ならば、眼耳鼻舌身意も色声香味触法も純粋その物で自由自在ではないか。一切を包含しながら一切を超越している、つまり拘る何物も無いと言うことだ。それが、あの無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法の無ですよ。超越ですよ。」
「はあ! 日常ありのまま、ただ、していればそれがそのまま空であり無なのですね!」「そうそう。これで貴方は日常が修行でやれますね。」
「はい!」
「徹し切らなければ体得には成らないし、自分を救う力には成りませんからね。」
「はい!」
「日常、即今底であれば、少林窟と万里同風。即所、そこが道場ですぞ!」
「はい!」
「よろしい! では、日常の修行とは何ですか?」
 言葉の終わらぬ内に、隙なく立ち、一礼して出て行った。多分、禅堂であろう。そこしか、今行く処はないはずだから。もちろん、どのように動き、何処へ行ったとしても、即今底であれば総て法である。見事、見事。
 即今を練ることしか無い今の様子こそ尊いのである。何故なら、世俗の念が微塵も無いではないか。諸々の悪が生ずる根源が無いのだから、これほど真実はないと言うことを見て取らねばならない。後は本当に徹するだけなのだ。
 この様に、人間を丸ごと救うことが出来る法こそ本当の宗教なのである。宗教が更に困難なのは、その教えが如何に正しくても、それを伝え導く指導者が本当でなければ、却って邪法となり災いとなると言うことである。

 今日も熱気のまま、静に日が暮れ、禅堂の灯りが何時までも輝いていた。先師を初め、三世の諸仏諸祖も照鑑を垂れ給いて大法成就を資助しておられるであろう。何故なら、彼等の大法成就が世界を照し、世界を救済するからである。この絶大な慈悲が仏同志の契であり内容である。

三月一四日
 少林窟の畑には見事な梅の花が咲きほこり、鴬も立派に奏でられるようになった。間違いなく春の空気へと変貌しているのが膚で感じられる。自然の妙とは言葉も思想も、人間的諸々一切関わりなく、ただ成るべくして成り世界を荘厳し、嘗て宇宙に於いて過不足是非の無い、因縁所生の法で成り立っていることを言う。謂うなれば何も言うことはないと言うことである。
 言うことがないところまで究め尽くして、しかる後は、語る時も聞く時も、口無く言無く、人無く声無く、耳無く意無し。これを有語中の無語、無語中の有語と言う。感に趣きながら跡形が無い奇麗さっぱりとした洒々落々の自由底を凡情三昧と言う。円からずと言うことなし、と古人も言えり。道元禅師は、道本円通と言われた。皆同じ事だ。

 そんな春を愛でて、やや冷たさを感じながら、そぞろに山門を下る。二こと三こと言葉を交わし、目を潤ませて立ち去る紳士六十七才の背中に注ぐ視線は熱く重い。秩父への帰還の旅が、生きた修行であってくれることを祈りながらじっと見つめる。一歩の確かさは私を安心させてくれた。見えなくなって、尚余韻上々。合掌。

 浅田居士は現状の修行に於いて何も言うことはなくなって、安定感が更に深まる。このまま継続できればその結果が出てくる。が、それがなかなか出来ないから祖師も苦心惨憺して悟ったのだ。現状に於いてと言うことは、縁が無量に有る現実では全く何事も無い平々たる日々がずっと続く事の方が寧ろ稀で、常に変動し何かが起こっているのが現実である。が、そうした予期しない事柄にどれほど淡々と修行出来るかと言うことである。ずっと自己を立ててきた人生であるだけに、きっちり出来上がっている思考と感情の回路はそう簡単に脱却出来るものではない。そこで、正念相続をすることが如何に難しいか。そして正念相続が如何なる癖も切断する法剣であるかが解れば、その大切さ、その価値の絶大さも解る筈である。その重大な正念相続を喚起するのが菩提心である。

 赤木居士も入山時と比べると別人である。体全体が一つに纏まってきた。歩行の一歩一歩にも注意が向けられ始め、自分の行動全体が心の視界内に、つまり知性の半径に入って来たことを意味している。とにかく自分のしていることが見えなかったり、そのこと自体を認知自覚出来ないほど散漫な間は、絶対に拡散を収めることも雑念を切ることも出来ない。謂わんや即今を練るとか、只管打坐、只管工夫、只管活動など、それがどんなものかもどうしたらいいかさえも絶対に解ることはない。謂わば、概念の世界から脱出するための出口の方向さえ解らないままである。どうしようもないということだ。
 指導者の中には不思議なことに、この出来ないことを「せよ!」と言う者が居るので余程気を付けなければならない。学人こそそんなことは露ほども解らないから、言われた言葉を実行しているつもりになって一生懸命する。しようとする。それらは全部思考判断の繰り返しである。だから何時までも空回転であり顛倒夢想の連続でしかないことが解るであろう。本当はこれを切らなければならない、若しくは相手にしないで放っておかねばならないのだ。
 ここに学人として、自己診断法を明確にしておく必要がある。相手だて、意識で捉え知性的に判断をしながら坐禅するから一向に埒があかない。根源に於いて既に自己主張をしているからである。つまり観念現象である虚構の世界を形成し、その中の現象を現実だと誤認しているということだ。それを改めるには、そのことを見破らなければ、何をどうしたらいいのかの方法が立たないではないか。何時までも[心意識の運転、念想観の測量]が治っていかない、そうした自分の様子を自覚しなければ一切が始まらない。そこで、これはどうも変だ、おかしいぞと疑うことである。でなければ何時までも想念が想念を刺激し連続していく、取り留めの無い観念現象の癖を破壊することは不可能だということである。
 従って、自分の意識する内容も感情も、一挙一動全体が見えなければ話しにならない。修行の初期環境というか条件があることを知ってもらいたいのだ。これが先ず得られるようにしなければならない。だから自分のしつつある行為にしろ感情にしろ、或は想念にしろ、している総てを意識下に収めることである。と言うことは、自分が、今、しつつあるその事に徹底注意し尽くすことである。散漫・拡散と反対の精神行為とみればよい。
 この時、間違ってはならないことがある。見る時、対象と目とは光学的現象と言うか、関係と言うか、その様子がある。それが只あるだけである。竹を見る時、その色も形状も風との動的様子も、ただそうあるだけ。そこには何等の知的・観念的・感情的なものなどの精神要因は無い。それが自然であり、ありのままの究極的現実である。従って見ていると言う自己意識も、竹とか動いているとか青いとか美しいとか、一切の分別・認識・感情等も無い。その事をデジタル化・ビデオ化する、即ち知的認知対象にした瞬間から虚妄化し虚像化する。そのものから遊離した証拠である。従って一切の心を挿んではならないのは、本来の自然、本来の法が汚れ、真理真相が手の届かない世界になるからである。
 そこで禅修行とは、真にただ見る。見る、という意識も有ってはならない。花を見て、美しいとも、赤色とも、何々花とも思わず、本当に目とその物との自然な有りのままの光学的関係の、純粋な世界に陶酔し切って自失するのである。徹底的にこの一点を追求し、徹底的にこれを守り切ることである。「即今底」を練るとはこの事いう。
 歩行に於いてもそうで、意識が歩くのではない。トイレに行くために立てば、体も足も自ずから歩行をするようになっている。この時、歩行そのもの、一瞬一瞬前後する足そのものに注意して、他の念・想・観といった心的作用を一切加えないことである。その歩行の事実だけを完全に意識下にて統理し見守り切ることである。そのためには速度を十分の一に落として凝視しなければ、想念のために心は何処かへ行ってしまう。修行の中で最も辛いのが、このポイントが判然としないこの時である。だからこそ一時も早く着眼を明確にしてもらいたいのだ。猛然と一瞬一呼吸一足に、全自己を蕩尽するのが禅修行として一番よい。

 赤木居士の体が次第に一本化してきたことは、ばらばらだった念想観・知情意が、第一義目的(悟る)に集約が始まったことを意味している。此での生活の総てが、一つの目的、即ち第一義のためにあることの決定的認識に達したとも言える。何て事はない、自分の今の状態に注意が届き初めたと言うことである。それでも雑念九十五パーセント、注意度五ポイント程度か。でも、突破口が見え隠れし始めたと言うことは、坐禅に於いては一呼吸に戻れるようになり始め、雑念が割に早く発見できるようになったことを意味している。
 しかし、普遍の一点が解らぬと言うことは悲しいものだ。格も真剣に、涙ぐましい努力をするにも拘らず、空廻りをして苦しみ続けるしかない。自己を運んで理屈でやっている間は絶対に十万億土の彼方なのである。そこがそれぞれの因縁所生の法で、その様な道を通らなければ解決に近づけない運命を背負っているとも言える。我々は時間的にも空間的にも無辺の因縁を包含して、偶々人間となり、限られた偶々の存在に過ぎない。従って、知性でもって認識し解明したとする世界がどれ程のものか知るべきである。そんな事より、本来宇宙の存在そのものである因縁所生の法、見聞覚知の空の活動体に目覚めれば不偏の命、永遠の生命ではないか。

三月十五日
 朝食は朝食でも動きの修行である。点検するには一番好都合の多面性を秘めている。眼耳鼻舌身意を集約しているからだ。どこからでも細胞診が出来るし、皆に共通しているし理解させるにも最適の時である。と、赤木居士は思わぬ事を言い出した。
「夕べから歌が出てきて困っています。寝て起きたら止まるかと思っていたら、起きた時にはもう歌が始まっていて、今も頭には歌で一杯です。」
 これは面白い。一つ事がずっと続くと言うことは、他のものがずんと弱くなっていると言うことだ。雑念が治りつつある、そう言うことなのである。
「どんな歌ですか?」
 切るための準備である。自分の心がパターン化している場合は、それを自分で越えることは大変な努力が必要である。ところが、人と話している心の状況と言うものは別の脳回路を駆使しているので、それだけで切れていく。
「二曲有りまして、一つは、若い者と行くと、必ずと言っていい程出てくるもので、私はその曲が嫌なんです。速くて訳が解らなくて。もう一つは、貴方のリードで島田も揺れる。チークダンスの悩ましさ。というやつです。これは私が好きなんですね。この二曲です。」
「若い連中の歌は、文化性にも情緒的にも欠けていて、趣がさっぱり無いですから、飲むことによって、心の掘り下げや深みを共有するなんて事は先ず無いですよね。」
「そうそう。そこなんですよ。私はその間、じっと耐えているしかないのですよ。」
 もういいだろう。このくらい分析批評が進むと、たいていそれ以前のものは消失しているものだ。意識して対応していると、否定か妥協か賛同かであるから、平行線が続く。
「ところで赤木さん。今、その歌が出ていますか?」
「あれ? 方丈。あれほど出てきて私を悩ませていた歌が、奇麗に消えています。どうしてですか?」
「まあ、我々の精神構造とはそのくらいのものだ。ああした一つものが続きだすことは、或る進歩を意味しているのだ。それはね、ちゃらんぱらんの拡散雑念が治ってきつつあると言うことなんだ、一つにまとまって出てくることはね。それを何とかしようと相手立てれば、何時までも続きますからね。そう言う時は、自然消滅するのが解っているのだから逆らわずに、淡々と一呼吸していればいい。それがどうしても気になり苦しみになるのだったら、私の処へ迷わずに来ることだ。ものの三分で切れるから手っとり速いぞ。」
 照れ隠しに、「早めし早糞が取柄でして・・・」と言っていた頃の彼が懐かしい程しっとりとしてきた。このまま行けば必ず事実にぶち当たり、即今がはっきりする。まだ感情がゆらゆらしているだけ一点には収り難い現状ではある。
 真新しい着物と仙台袴がとても似合うようになってきた。それ程落ち着いたと言うことだ。女性なら総じて惚れるだろう程のいい男だから、こうなってきたら総てが最高の風格となり存在となってくる。その上、タイミング宜しく囀る自然の歌手、鴬の声が山に朗々と響けば、背を向けて禅堂に向う後ろ姿が、まるで能舞台の能役者が歩いているようである。

 そう言えば、能は時として、胸まで上げた両腕だけで、而もじっとしていて語り尽くしているのを見ると、不動の動、静の動ほど趣が有るものはない。別の世界であるとすれば、華道の正花である。一番中心となる芯は真っ直ぐではなく、右か左へ可成り倒れ、下から三分の一ぐらいのところから持ち直して殆ど真っ直ぐになる。この不安定要素を支えあい補いあって、アンバランスのバランスから詫び寂びの風情を芸術の心としている。これが華道である。だから能と同様に一切の余分な動きや存在が有っては詫び寂びの心が死んでしまう。
 これらが皆禅の文化として西洋に響くのは、一瞬の不動とアンバランスのバランスから滲み出る、言葉では語れない幽玄なる心、奥にひっそりと潜んでいる悲しみ、淋しさ、孤独の怖さ、無常の切なさ、空虚間からの脱却や安心への願望と祈り、そう言った、数値や形に現すことの出来ない科学や知性を越えた世界、謂わば魂を刺激し動かすからであろう。
 足下へきちっと注意が届き、生活の総てが透き通った意識下でコントロール出来るようになると、竹箒を握って歩き、一掃きする姿も、雑巾掛けする様子も、食事も、悉く美しく芸術化してくる。それらが他の形で一層美化され芸術として形成されたとしても、それらをどうしても禅の世界、禅のジャンルとして見たくなるのも無理はない。

 凡そ六・七百年前、鎌倉から足利時代の初期に急速に普及した禅は、その後戦乱となって一層多様化し芸術性が重んじられ発達した。それが五山文化である。世の無常と人間的目覚めに加えて、力強く自己確立させ、死の覚悟を通してもたらせられるすがすがしい決着の瞬間々々は、確かに戦乱と言う世代の刺激というかエネルギーが背景にあった故かもしれない。
 世界を見ても、これほど高度に戦乱のエネルギーを文化化し芸術化し国民化した民族も歴史も無い。その根底をなしたのは、心の究明に尽きる禅なのである。心とは人の中心であり、人生の中身である。それを最高の真に、最善に、最美に、最愛に、最信に、最勇にと、誰しも願望しているそれを獲得することが出来るとあらば、画期的に普及したのも自然である。今、世界的に禅が求められているのも、やはり人間の中心である心に必要であるからだ。思えば、世界は嘗て無いほど成長発達した文明の混乱期に達し、地球丸ごと崩壊しようとしている危機的状況である。人間的個の目覚めが危機的背景から生じても不思議ではないし、真剣に自己確立の決着を禅に求め出したことは、まさにターニングポイントを象徴しているようである。となると、早くちゃんとした指導者を作らぬと救済の機を逃してしまう。
 私はこの門に入った人には限りなくこの心を注ぎ情熱を注いでいる。時には赤鬼青鬼になることもある。体裁もくそも言っておられないものがあるからだ。

 晩にこれを入力していたら、大築産業の社長と弟さんが前ぶれなしに現れた。浅田居士や赤木居士のことを話していたので、本人たちは激励の積もりで握り寿司を携えていた。大変有難いことではあるが、私が赤鬼になっている時である。今一番大事な時にこうした法の無い世間の人達に会わせるはずが無いではないか。本人も食べたかったようではあるが、とうとうそれはそのまま置いて退散となった。
 禅堂の前で「ちょっとだけ姿を見ていいですか?」と言う。承知をしたらそっと戸を開けて覗いた。そこまでは、まあ普通であろう。次の瞬間「今晩わ」とやった。こうなるとこの世界に於いては法の無い故に、或る時は災いとなるであろう。修行者の心が解らぬままに働きかけるからである。
 その明くる朝、「今度覗いたら、ばかもん! と叱ってやるつもりでした」と赤木居士。その時にやっておいたら良かったのに。浅田居士は「ニカッ」と笑う。俺は違うぞ! したたか一棒を喰らわせてやるのに! そんな一物のある笑いであった。その時にやっておけば良かったのに。とわ申せ、単を練る方が先だ先だ。

三月十六日
 赤木居士、後一押しできちっと決まるのに。これが因縁か。
 暗くなった頃を見計らって、二人をいきなり呼出す。私が仕組んだ大芝居である。竹原の或るサロンへ連れていく。他に兄、昨日の社長と弟、小積龍顕居士、嵩大徹居士、角田先生である。さすがに赤木居士は場慣れしていた。すっかり成り切って、例のチークダンスを「今晩わ」女性と踊ったり、禅を語り修行を語っていた。
 一方の浅田居士と嵩居士はしばし法戦。浅田居士は執拗な嵩居士にテーブルを叩いて応戦。
「だって、これしかないではないですか! これ! これです!」ばん、ばんとテーブルが鳴る。何時の間にか結構やれるようになっていたのだ。こうした議論というか論戦の好きな嵩居士は、年若い彼をちょこちょことつつき廻ること頻り。裟婆離れしている浅田居士には最高にうっとうしい環境であろうけれども、流れに逆らわず流されず、乱れず守らず、割り合いに淡々と心静かであった。
 この様な時、この様なところでの修行とは、至るまでの選択肢の段階で避けられるなら避けるのが本来である。が、既に選択肢を越えた現状では、流れに逆らわず流されずのところを、出来るだけ感情を動かさず、心静に、その場にただあれば一番良い。激しくかたくなな態度も新鮮で意志強固の姿としていいかもしれぬ。しかし、もっと本質的本来的には、淡々と流れのままにあって、自己を取られない様に自分を見つめ通していれば、修行臭くなく、その状況に自然である。裟婆臭くなく、禅臭くなく、仏法臭くなく、ただ何となくの、つまり空気が一番いいだろう。

三月十七日
 赤木居士の下山準備が整い、背広に変わった。肝心なところがはっきりしなかったのは、やはり知性のスピードが早い上に、癖の壁が厚かったからだ。彼の修行振りは相当なもので、浅田居士の修行をいたく礼賛していたが、決してそれに劣るものではなかった。今数日居たらと思うと、大変残念である。
 皆で海蔵寺へ行く。ここで大築産業の「今晩わ」女史のご馳走に預るわけだ。昨日の兄を除いて全員が終結し、物凄い刺身を頂く。南無阿弥陀仏。
 すっかり春たけなわの陽気である。赤木居士、颯爽と車の人となり、轍の痕跡も控え目に消えて行った。甍の陽炎のせいか、揺らいで見える瀬戸内海の絶景も霞みがちであった。

 浅田居士は全く安心して見守っておればよいところまで漕ぎ着けた。夕食に当たって、安心した私は自分への駄賃に、
「師匠の名に於いて、今夜は一杯頂くぞ。」
 といってコップへ並々と注ぎ、彼をちらりと見たら何か言いたそうであった。果たせるかな、
「可愛い弟子にも有っていいんじゃないでしょうか。」
 ときた。酒は良き友と飲むべきものである。どうあれ法の人として大事にすべき、而もいい器なので喜んで注いだ。喋ることなどない二人は、一箸一箸を弄び、一滴を嗜んだ。ところが、彼は口ほどになく弱くて、たった湯飲み八部の酒で真っ赤になってしまった。それからは、初めて明かす彼の参禅歴とその武勇伝に聞き入った。読んだ書物も大変な量である。桑原、桑原。

三月十八日
 好時節の昼近くに台所のドアを開けると、彼が昼食の支度をしていた。修行に可成り余裕が出ていた矢先である。カレーの美味しそうな香りが何とも言えない。こいつは使えそうだ。現成公案として手頃なテスト材料と言うところか。
「これ、何の臭いだね?」
 ととぼけて問うてみた。この質問はこのところよく使う手だ。
「カレーライスです。」
 とやってくれた。そんなことは言われなくても、初めて食べた時から分って居る事である。だから、
「ばかもん!」
 と相成る訳だ。「しまった!」のてれ笑いは、彼の場合必ず白い歯を見せて「ニカッ」とすることである。私の、ばかもんで直に気が付いた。
「あっ、そうでした。」
 と言って、そのものに成って見せた。彼にはおまけが付いていた。例えそれが独り言の呟きであっても、自分の一瞬の油断を確かに発見することが出来なければ、日常底の修行が出来ない事を改めて確認したようであった。
「本当に、油断も隙も有ったものではない」
 とうっかりぽろり。私はしかと聞いた。片付けながら自分の油断に対して、師の執拗な点検に、この様な一言で抵抗しているかにも見えた。近くとはいえ、手が届かないのが残念至極であった。彼の不用意な呟きは修行者にあるまじきこと故、私が放って置く訳がない。
「何!」
「いえ! 別に!」
 と言いながら私との安全圏を確かめるように眺めて又「ニカッ」。実に面白い男だ。
「見ろ! 本当に真剣に工夫せず、解った積もりになっているから即今底への参究が抜けるのだ! この少林へ来て何ちゅう間の抜けた参禅をしとるのだ。真面目に、手元のその事だけを守れ! 分ったか!」
「はい!」
 実に面白い一幕であった。

 その片付けの時である。
「手も使わず、目も使わず、水も使わず、動かず、この皿を奇麗に洗って片付けることが出来るか?」
 ちょっと高度な公案である。人間の迷い、苦しみと言うものは、他の動物世界には存在しない。それは総て知性有るが故であり、概念とイメージが感情を揺さぶるからである。すると感情のそれら一つ一つに関わっているホルモンが分泌して、精神的にも整理的にも反映する。食欲もなくなり睡眠も取れず、動悸が激しくなり血圧が上がり、いらいらし不安が不安をそそる。全部ホルモンの仕業である。これら総てつまらぬ妄念をすることから起こるのだ。決して知性が悪いのではない。この肉体という存在を認めることから、自我の根本が始まることを先ず知らねばならない。
 自意識というものもここからである。言葉を覚えるに従って概念が高まり拡大していくのだが、言葉を何何だと意味を固定させて取り組む最初の行程で、既に固有の価値付け意味付けして記憶蓄積するのである。そしてそれらは、次第に本来の現実から遊離させていく。観念現象は虚妄の想像世界を構築していく。その基本的な材料は取り込んだ概念・情報なのである。
 知性は概念や情報がなければ現象化が難しい。逆に情報が存在する限り、知性はそれらに従って作用するから、自然情報に縛られ拘束を受けて動けなくなってしまう。欲望という感情も、愛情も、食欲も、総て心に存在する限りその情報の束縛下でしか身動きできなくなる。それを押し殺せば殺すほど、その狭間で苦悶する。これが苦しむ内的メカニズムである。

 今、彼にこれだけの情報を注ぎ込んだのだが、知性で受け止めたならば、それらに該当する概念が心に登場するので、他との相容れない概念との思考上の絡みで聊か困惑し、身動き出来ないはずである、知性の世界に居るならば。
 手も使わず、と言う最初の言葉で既に動きが封じられ、目も使わず、で行動対象の世界から締め出された感がし、水も使わず、で洗って片付ける基本目的さえ与えられないわけであるから。
 情報によって展開する観念現象の世界とは、たったこれだけで何十年人生してきても、如何に東大を首席で出ようとも、どうしようもなく迷い混乱する。こんなことで絶対な安心などもたらせられるはずがない。げに、虚像の世界とは迷いの世界なのである。この概念・情報・知性・イメージ・感情等の束縛から完全開放された自由な世界が悟りであり解脱であり彼岸なのである。それは大変な事であり、大変尊い世界である。

 浅田居士がどれほど修行で力を付けたかは、どれほど心がとらわれなくなったか。つまり、概念でしか聞くことができなかったものが、全身で聞けるようになったかと言うことなのだ。全身には固有の概念が無い替りに、現実の機能が円満に自由に働くように聞くと言うことである。手短に言えば、本当に聞く。理屈なく聞くと言うこと。要するに、只聞くことに尽きる。さすれば何等の捉われはない。言葉が言葉の用を越えているからである。別の言い方をすれば、概念を自由に出し入れし、跡形なく片付けることなのである。そこまでは遥か彼方だとしても、捉われを自覚し、直に捨てる方法だけは確立している。今、その程度が明らかになる時である。

 彼は俄かに真剣になり、更に体が透明になる。体の存在感を越えた時から自意識も取れて行く。すると言葉は単なる符丁となり概念としての拘束性が無くなってくる。自然に私が何を試そうとしているかが解るから面白いのだ。
 さあ、どうする! 浅田居士よ!

 一言も発すること無く、彼の手はおもむろにスポンジを掴み、一方で洗剤の容器を傾けて注ぐ。水道の蛇口を捻り、ゆっくりと皿を取り上げ、スポンジは次々と皿を奇麗にしていく。何処にも理屈が無い。見事である。
 只聞き、只動けばよい。只の世界が一切を超越していることが解る人は勝縁の人である。自分を忘れれば体も無い。手も、耳も、言葉も、水も無い。これが「只」の世界である。

 その夕刻、そっと又台所へ行ってみた。ガスには鍋がかかっており、まな板に向って何かを切っている様子である。一生懸命でありながら空気の様に何も無かった。いい調子ではないか。
「今、何をしている!」
「はい」
 と言ったきり、黙々と作業が続く。説明の余地が無いほどその物になっていたのだ。彼の全体それが答えなのである。言葉の答えは説明であり理屈である。知識であり知性がデジタル化しているので、自己を越えることは永遠に出来ない。
「よし、よし!」
 と思わず口から出た。途端に、
「やったね。印可をもらったね!」
「ばかもん! よしんばこれで印可をもらったとして、何の力になるのだ! ようやく修行が出来るようになった低度で、何が印可じゃ!」
 本人は笑っているのだから冗談なのだが、私も可笑しくなって、
「印可が欲しいのか?」
「別に。何が印可ですか、こんなもんで・・・ ちょっと言ってみたかっただけで・・・」
 師匠をからかうのは甚だ良くないし三十年早いが、それ程余裕が出たと言うことは、自分の全体を常に見渡せる様になりつつあるからだ。
「ははは! くだらん事を言っとらずに、早く支度をしなさい。腹が減ったではないか!」
 と言って部屋へ帰る。そろそろ桜の花の話題が出る頃の夕方であった。

 その晩のこと。少し緊張して現れる。その様になることはない心境の筈だ。だとしたらこの様な場合、更に深く重大なことを吐露しに現れたに違いない。
「お願いがあります。出家をして、徹底この道を究めたいのですが、私を弟子にして頂けませんか?」
 一生を左右する人生相談ではないか。特に専門に道を求めるとはたいした道心である。私はそういう熱烈な人が好きであり尊いと思っているので、胸が熱くなった。

 思えば、近代国家となって執られた宗教と宗教家の扱いは、結果論として質の低下をきたし、社会的評価は低く、信頼も尊敬も極めて希薄となった。勿論個人の問題であり、実力内容の基本的欠落が精神指導者足り得ないからではある。が、二十世紀の地球的背景として、科学・技術の発達は物質文明を極度に生みだした。結果としてはとにかく上から下まで拝金主義と化し、経済価値観で総てが計られる様になってしまったからだ。
 人間の中心は心である。精神である。それが拝金精神となり、金さえ有れば万事良しと言うことになれば、これもあれもお金で事は流れてしまう。それも総て人間が選んだ道である。とんでもないことである。
 だから生きる方向、社会の中心、命の本質、絶対安心の境地、教育本質論、大乗精神と言った高度な精神性を宗教家に求めるということが、社会全般になくなってしまった。これも本物の宗教家を育て難くしている。宗教及び宗教家への社会的依存は、そのまま社会制裁でもあるからだ。本物でなければ通用しない社会であることが健全なのだ。
 今日的には特に心の専門家、精神指導者の助言が必要となっている。いじめ等の問題は深い精神性の問題であり、人間の根本の問題である。命懸けで修行し解決付けた心の目がなければ解決の糸口すら解らない。人間の問題、精神の問題はそう簡単なものではない。
 浅田居士の発心は、だから尊いのである。今、本物の宗教家が、心の専門家がどうしても必要なのである。出家した以上は、選んだ本人の自覚と使命感から当然の努力をしなければならない。心の専門家としてあらゆる悩みを解決し、安心と希望を与え、堂々と、而も淡々と、誇りと自信を持って生きる力を育むのが宗教家である。それが出来る実力を持っていなければならない。それには何をさておいても自分の修行からである。世間事は暫く離れて、徹底的に自分自身を追求し切らなければ心の解決は得られない。だから本当の求道心から出家してこそ宗教家と言えるので、おおいにやって欲しいのだ。

「そうか。おおいにやれやれ! 喜んで弟子にするよ。」
「有難うございます。帰ったら直に親の説得に掛かります。」
「親はね、君の才能に大きな夢を抱き、そのためにはどんな苦心でも厭わずしてくれた筈なんだ。だから、ちゃんと理解をしてもらってからにしなさいよ。まさかお坊さんになるなんて夢にも思わなかっただろうから、ショックが大きいと思うので充分心してすすめなさい。」
「はい。その点はよく解っています。注意します。」

 暮れた山の清寂は言いようも無く混沌としているものだが、今宵のこの山は、季節も手伝ってか丸く暖かく、而も澄んでいる。禅堂の灯りの何と明るいことよ。

三月十九日
 浅田居士は本格的な修行が始まったばかりである。それ以前も同じ様に努力してきた功徳は無量であるが、目的が明確に有り、而もそれが第一義・一大事因縁ということになると、あれも無駄ではないこれも修行の一端だなどと、高等な趣味や遊びの如き悠長なことではこの道を貫徹することは出来ぬ。三世の諸仏が命懸けで修行した所以は、無量の過去の業を済度することが是も困難であることを教えているのである。
 その事を百も承知をしておればこそ出家をし、身を仏界に投棄して追求しようと言うのである。とにかく素晴らしいことではないか。その意気や、その意志や、我深く是れを首肯す。

 次回の上山は世縁を断ち、恩愛を断ち、四句誓願の元に不惜身命の修行に入る時。無言の挨拶の後は、ただ後ろ姿を見つめるのみ。
  白雲去って悠々。水流れて海に帰訣す。風は竹影を動揺し。僧は空裡に向って勉ず。                                合掌

     高 田 居 士
     吉 田 居 士
     那 須 居 士  篇
     陰 山 居 士
     御 で 子 殿

四月二十九日
 千葉より高田悟居士、朝六時三十分入窟。三十六才の細面にして好青年である。仏間にて形どおりにお参りして口宣をする。着眼に就いて話を進めていたら、
「公案をずっとして来たので、公案でやってもいいですか?」
「何の公案?」
「無字です」
「無とは何だか分かりますか?」
「分かりません」
「ただ聞きなさい。ムー。さあ、ムとは何ですか?」
「ムです」
「そうだよ。無は無だよ。有は有だよ。へはへだよ。そのものには理屈はないし理屈を挿まなかったらそれ自体じゃないか。ところがバカと言われると腹が立つが、利口だと言われるといい気持ちになる。聞くそのものがそれでしかないのに、自我を立てて聞くと感情も立つので気持ちが揺さぶられる。そこから乱れて苦しむ事になる。
「解ります」
「それらを何とか解決しようとして色々生まれたのが色々の宗教じゃ。心を根本的に解決する道えが仏教であり、禅の生命である。突き詰めれば自我の正体をはっきりさせることだ。その根源に着目して行じるのがここでの修行じゃ。
 ムに一心になるのも、一呼吸に一心になるのも、歩行に一心になるのも、食事に一心になるのも、総て同じだよ。何故だか解りますか?」 
「解りません」
「それは、総て自分の世界だからだ。何をしても自分は自分でしかない。そうでしょう。働きとして千変万化しても、その時の自分でしかないでしょう」
「はい。そうです」
「しかも自分の中心は心なのだ。その心はと言うと何も無い。ここが根本で、これを明確に自覚しさえすれば、一切が問題にならなくなる。何も無いからだ。何も無いのにここから一切が起こってくる。手が付かないでしょう」
「はい。元々どうしようも無い世界なのですね?」
「その通り。だが、何も無い心が一切を生みだすところを強いて言えば、今、この一瞬。解りますか?」
「はい。手が付けられないどうしようも無い今が、心の起こるところであり総てなのですね?」
「その通り。だから、しているそのこと自体が今であり、心であり、自己であり、本当の事実であり、法なのじゃ。もう既に完成されているからどうしようも無いのだよ。ところがこれを殊更に乱す自我があるから、この完成されている仏の世界が別の世界の様に映っているのだ。心経に顛倒夢想とあるでしょう。問題はだから自我なのだ」
「よく解ります。じゃ、その自我を越えるにはどうすればよろしいのですか?」
「急所の質問が嬉しいですね。そこだよ。坐禅の目的はそれを解決することにある。総て、常に、今々。当たり前ですね。問題無いですね。これを認識し認めて虚像化する知的癖が問題を起こすのだ」
「はあ。分別認識する知的癖ですか。これが我見の元なのですか!」
「心理学的・哲学的に言えばそういうことだ。もっと言えば、見聞覚知は本来の働きとしてその時の環境そのものを成している。その刺激を受けて色々に知的作用が連鎖し、感情を刺激し本能まで揺すぶる。この認める癖、分別する癖が自我となり我見となっていくのだよ。これを取ればいいのだ」
「どのようにして?」
「見聞覚知とは眼耳鼻舌身意のことだ。それは単に色声香味触法と働いて終わっているのだから、そのままにしておけばよい。ここが修行の急所だ。つまり分析的に言えば、感覚の世界と知性との世界は異なり別々だから、その境を付けることなのだ。感覚刺激の世界は事実であり瞬間の働きだから一瞬に完成し消滅している。成仏しているのだよ。だから本来執着の余地はどこにもない。ところが知性の世界は観念現象でありデジタル化された虚構物だから、どんなにでも結合分散し続ける。知性の世界には時間も空間も無いから、自分の都合や感情の揺れるままに作用し続ける。だから問題が無限化してしまい戦争まで起こすのだよ」
「成る程。よく解ります」
「今、事実は一瞬でしかないし成仏している世界だから、今に成り切ればいい。知性的なもの、人間的なものを一切挿む余地の無いぎりぎりの瞬間を守り切るのだ」
「決定的瞬間の連続であれば、癖が取れると言うことですか?」
「その通り!」
「我を忘れてそのものになり切ればよい」 
「はい。よく分かりました。今だけ。一呼吸だけですね!」

 思った以上に素直である。だからより大というか一層優れているものが見えるのだ。公案を分かる分からないという分別の対象にしてしまうと、何時までも分別の虜になってしまう。分からないという自覚に対して自信を持つ者は少ない。逆に自尊心は疼き不安を誘う。ついそれらの本を読み知識を携える事で、何となく安心したように思いたい。ところが知の納得は出来ても感情がどうにもならない。心の完全なる解決が無い限りほぞおちするものではない。
 私のもとへ来た以上そのような遊び事の坐禅などさせておく事はせぬ。少々で根を上げる者はここへは来ないと信じている私は、だから全力を投入して行くことになる。

 東京発三原着の夜の高速バスで着いて間が無いが、一汁一菜の朝食が終わるや早速、
「いいですか、たったの一呼吸を見失う事なく、一心不乱に只やりなさい。分かりましたか!」
「はい!」
 坐禅慣れしている彼にはそれ以上言う事は何も無い。さっと立つ。
「何だ! その乱暴な隙だらけの立ち振る舞いは。そんなことで自分の一瞬の心が解決付く訳は無いだろう! やり直せ!」
 誰もがするように有りったけの注意を注いでゆっくりと立つ。それでなければ短期間に自分上で機能している自然の様子に触れる事は出来ない。

 午後二時、芦屋から吉田一三居士入窟す。彼も『参禅記』の縁によるものだ。いかにも覚悟済みといった様子が素直に表に出ている。

 夜九時過ぎ、今度は岡山より那須亨二居士二度目の来窟。
「今夜と明日朝しっかり座り、朝帰らせて頂きます」
 とのこと。たったそれだけのために、岡山大学病院の医師と言う忙しい職務をやり繰りして来たのだ。いよいよ袴を着て外見は様になった。
「禅堂に入ったら何をしますか?」
「自己を究明します」
「どうやって自己を究明しますか?」
「じっと自分の奥を見つめます」
「具体的にどうやって自分の奥を見つめますか?」
「自己の本来を参究します」
「自己の本来をどうやって参究しますか?」
「坐禅をします」
「坐禅を組んで何をしますか?」
「今に成りきります」
「今に成りきるとは具体的にどうすることですか?」
「一瞬一瞬に成りきります」
「一瞬一瞬に成りきるとは?」
「一呼吸に成りきります」
「一呼吸に成りきるとは?」
「一呼吸をするだけです」
「一呼吸とはどうすることですか?」
「吐くこと、吸うことです」
「それらは全部言葉での説明に過ぎんでしょう。吐く、吸うの実体は何ですか?」
「・・・?」
「では、吸い切ったら次はどうしますか?」
「吐きます」
「そうです。吐き切ったら次はどうしますか?」
「吸います」
「吸うとはどうすることですか?」
 彼は呼吸をして見せる。ようやく今一つの焦点が定まりかけてきた。
「そうです。それしか無いでしょう。今までああでもないこうでもないと色々言葉にしたものは全部理屈に過ぎなかったのですよ。それだけ本質から外れて頭の中が騒がしいということなのです」
「ついでに聞いてみますが、歩くとは何ですか?」
『参禅記』を読んでいたら誰でも分かっていることだが、さっき余りにもたついたので聞いてみた。さすがに知っていた。
「自己を究明する、即ち脱落することが坐禅の目的ですが、それがどこまでも言葉で追究していたのでは究明出来ないのです。我々の生活全体、見聞覚知するところの、その時それが自己の様子なのです。ですから究明する自己を一瞬たりとも見放してしまったらそのものが無縁のものとなり、究明も脱落も不可能となるのです」
「はあ・・・」
 少し話が早すぎたかな。てんで手が届かないようだ。
「本来自己でないものはないのですよ。ですから[今]自己に模様している機能に徹すればそれが自己の本来なのです。忽ちは一呼吸の今に我を忘れて徹すればそれで結論が出るのです。いいですか、たった一つに成り切ればいいのですよ」
「一呼吸だけを一心不乱にすればいいのですね?」
「そうです。とことんそれを遂行し切って下さい」
「分かりました」
 夜の一時半、禅堂にはまだ明りがある。私は実に豊な気持ちでコンピューターの電源を落とす。

 朝六時、遅まきながら禅堂に入ると、三人は猛烈に打坐していた。那須先生は七時二十七分で岡山へ帰るとかで、二十分ほど法話をして駅へ送る。昨夜は皆十時前後に休んだと言うから、あれは六十才の先生の独坐だったのだ。
「後日、一週間ほどここで指導を受けたいので・・・」と言う言葉が訳も無くずしんと思い出された。

 まだ無理はないが、二人とも食事の手元が抜けているので、
「している事を抜きにしたら、自己から離れその物から離れて修行にならんぞ。静かにその物を守る事が修行なのだ。一呼吸に徹する時は一呼吸をとことん見失ってはならぬ。食事の時は今している事に徹してやるのだ」
 と、お決りのお説法をし、終わるや否や禅堂へ向かわせる。凛とした静寂が、見事な鴬の声とともに少林窟道場を包み込む。新緑の風が無心に法悦を運び去り、私は忙殺の身に変身する。

 昼食、高田居士の手元が急に定まりを見せた。こうなると自然全体が整って来るから不思議だ。実に快調である。吉田居士は単純にしてせっかちの人柄か、或いは別に何か切迫感に依るものか静けさがない。拡散が治れば楽になるのに・・・

 午後二時すぎ、大阪より陰山夫妻が入門。ノイローゼのご主人を治療するために、高校二年生の娘さんを残して付添に奥さんが来たのだ。明るくて心に屈折が無いので不用な勘繰りはなく、明快な結論とそこまでの考え方は実に正当である。誠に爽やかにして健全な大らかさが、適当な気配りとマッチしていてよい。が、あの大らかなからから笑いは大いにはた迷惑だ。禅定に達するまで気が抜けぬ。
「いいか。大声で笑ってはならぬ。他の禅定を妨げるからだ。一笑い一発だからな」
 と言ってびんたの真似をする。無邪気などんぐり目が一瞬引き締まったが、すぐに声を殺して大きな口を開けて大笑いをする。これまた新種の女性である。
 問答無用で着物を着せ袴をはかせて禅堂へ入れる。禅堂で大笑いなどしたら即刻破門だ。

 夕食時、何と高田居士は一気に決った感じがする。そんな馬鹿な? 浅田居士にしろ賀数居士にしろ、つるりと第一難関を突破して来たが、たったの一日半程でここまでの禅定を得るとは大した者だ。食事の完全な様子は確かに一点に直っている。
「きっちり一瞬が決ったね」
「はい」
「すっかり楽になったろう」
「可成り・・・」
「嘘言え。昨日と比べたら何十倍も楽ではっきりしている筈だぞ」
「ええ、確かに・・・」
 と言って自信ありげに嬉しそうに笑った。皆は「そんなものかな」ぐらいに見ている。こうなると、てんで他の事は気にならない。全自己が見届けられるし心が飛び歩かないから見ても聞いても眼中に無いのだ。浅田居士がいたく尊敬と信頼を置いた人物だけはありそうだ。
「目でこのヤカンと一体になって御覧なさい」
 と言って目前のヤカンを示す。彼は満身目となりヤカンとなる。只無心に見るだけ。
「ヤカン自体になってみなさい」
 手を出してヤカンを自分の物にする。
「後ろの柱になってごらん」
 振り向きざまに手を当てる。柱と一身同体の様である。一点に治るだけでこんな事ぐらいはさらさらと分かるから面白い。
「現成公案とはこんなものだ。幾らこれらが分かったとて自分の一念の正体がはっきりしなければ力にも自在さも何も無いのだよ。それよりも、今、この一瞬を最高の公案として念を入れず、只々やるよう努力しなさい。今、しているこれ自体に念を用いず離さない事。いいですね!」
 と言って成り切って一箸を運び一噛みを丁寧にして見せる。真剣な時は体丸ごとで受けるものだ。その素地が無いから直に消えるので、この事は定まるまで何度でもして見せて着眼を明確にさせなければ進歩しない。皆真剣である。師の傍にいることの最も有利なのは、こうした指導の基に修行出来る事である。
 陰山夫妻の参加でそれぞれ自己紹介をする。ノイローゼであることを話すと、高田居士は、
「自分もそうなって行き掛けたから、危険を感じて坐禅によって人間回復を計って来た」と言い、吉田居士は「それがこじれて躁欝病となり今休職中だ」との事。私も豊橋の全久院時代不注意による交通事故で、それが原因でノイローゼになり本格的に参禅を初めた口だから、この点については陰山居士も自尊心云々という気遣いをしなくて済む。
 彼のノイローゼは既にこじれて身体を硬直させるに至っているので、幻聴幻覚に加え一定の姿勢が保持できない辛さとで、私は思い切りの同情を禁じえないのだ。内心何時発狂するかも知れない恐怖心と、そうさせまいと知性をすり減らして懸命に正しい判断をすることで持ち堪えようとしているのが痛々しい。私を信じて任すだけの大胆さはない。だから精神安定剤と睡眠剤を取り上げることは今はとても出来ないのだ。
「私だけですね、そんなことにならなかったのは」
 と言う奥さんの言葉から、各先輩のいい話が出て来た。しかし、今の彼は内心常にいらいらしているので人の言葉を「成る程な」と言う具合には聞き取る事は出来ないのが気の毒である。况や一呼吸に心を置くなんてとても出来ない相談である。

 一頻り法話をして皆は禅堂へ、高田居士に夕食の後片付けをさせてみる。いい調子である。このまま上昇したら素晴らしいのだが余り早すぎる。たまたま快調というところだろうか。とにかく、入門たったの二日目であり丸一日半という。普通では考えにくい出来事をいとも自然体で心を整理して行くのだ。実際にこのまま向上を続けることが可能なのだろうか? 賀数居士の思わぬ乱高下を経験して間も無い私は信じたいが信じ兼るのだ。
 夜十時、陰山夫妻が禅堂より出て来た。この心理状態であれだけ禅堂によく居たと感心する。直に体の硬直をほぐす体操をする。気持ちを楽にするために、軽い話をしながらなので切迫感をもほぐせる筈である。今の彼には体の硬直を取ることが両面の回復に絶対な条件なのである。

五月一日、
 朝食時、高田居士の右のこめかみが興奮して震えている。昨日の快調が自信となり甘えとなって浮ついたために、今朝は一呼吸に専心出来なかったに違いない。夕べ片付けている彼に、私がついうっかり感心した言葉を吐いてしまったことを後悔した。即座に自信という念を起こしたために、単調に一呼吸が出来なくなってしまったのである。私が謝る必要はないが、絶えず向上だけを目的に指導しているのに、ちょっとのことで無用な念を引き起こす大変微妙な時に、最も心地好く安心してしまう言葉を不用意に投げかけるとは何たる不覚。学人とはそれ程に師の言葉に左右されているのである。
 質問も二義に終始した。呼吸というものが何だか又分からなくなったのだ。実際には吸うたり吐いたりの機能が作用しているその事でしかないのだが、呼吸と言うと、何だか分かった積りになり特定出来るし認める事が出来るようなものだと思っているものだ。
 『参禅記』を読むと、只一心不乱に一呼吸をすれば良いということで、言葉では分かりやすいから、つい簡単に出来そうに思える。しかし、実際にやり始めると将に今しているその一呼吸が何処にあるのか、どれなのかさっぱり分からないのだ。意識を運ぶとじっとしておられなくなり、何かを特定視しなければならなくなる。それだけ隔たるのだが、動く意識を何かへ定めたくてもそれが分からない。とにかくこんな時は何もかも分からないずくめで参ってしまうのだ。

 吉田居士も昨日は大変よかったのに今日は物凄い雑念に襲われて目茶苦茶だという。それが当たり前と言うか、そんなに簡単に拡散が治ると思ってもらっては余りにも軽々しい。その程度の者はその程度しか体達出来ないのだ。今は絶え難い不安定な症状であることは誠に気の毒である。しかし、私の言う通りにさえしたら、必ず心は一点に治るし菩提を究尽することが出来るのだ。

 五月二日、
 陰山居士の顔が可成り穏やかになり澄んで来た。高田居士は定まり実に安定して来た。吉田居士は可成り乱れ、夕方とうとう帰ると言いだした。入窟三日目である。今が一番辛い時であり、このことはここへ来るに当たって三日か四日ほど坐禅したいとの希望であったが、それでは一番苦しい時に帰る事になる。それなら止めた方がいいと、そのことは言っておいたので、だから九日間もとって来たのだが・・・
 禅堂の中で「もうこんな処へは居られん」と叫んだそうな。
「もう帰ります。昨日から目茶目茶でどうにもならない。これでは意味が無いから・・・」
 かなり一呼吸と奮闘したであろう血走った目はヒステリックで錯乱時の不安定さだ。怖いとも不気味とも言える。冷静を保つだけの理性が良く利いているから不自然な行為には及ばないが、もし理性の綱が弱かったりしたら紛れもなく異常行為に及ぶであろう。
「それは仕方がないことだが、今が一番辛い時だ。だからこんな状態の時に帰ることにならないようにと三日や四日の坐禅では駄目だと言ったのだ! 
どうしてもこの関門は突破しなければ急所は分からないのですよ。それはともかくも、たかが三日や四日の苦しみ程度で逃げを選ぶことをし続けたら、自分で自分を自分らしくする力は永久に掴めないですよ!」
「ですが、この苦しさはとてもじゃないが・・・ これではどうすることも出来ませんので・・・」
 必死の訴えはまさに苦痛そのものであろう。何とかしなければ。帰ったとしたら、これではここまで来て何等の甲斐もなかった空しさが、今後の彼の心的背景に良い影響は在り得ないと思うと、このまま帰す訳には行かない。
「貴方の病は自分であれこれ考え、その虚像に振り回されて心が定まらず、不安定を増幅し続けたために常に不安になり、虚像が虚像を生み疑心暗鬼となったのですよ。こうなると恐怖心も培って行くので、神経が窮めて興奮状態となり休まる時が無くなって行くんですよ。分かりますか?」
「はい・・・」
 少しずつ気持ちが折り合って行く。
「そうなると必ず自律神経が参ってしまう。そうして感覚作用から内蔵まで神経の過敏と疲労によって機能低下しバランスが崩れ、それが更に神経を大きく刺激するという悪循環を繰り返す事になり、眠れなくなり身体が硬直してしまうのです」
「はい」
「ここまで心身を傷めてしまうと完全に病気であり、それも可成り重傷なのですよ。例え専門医の治療を受けたとしても、信じるという精神行為が出来なくなっていますから医師の指示がなかなか伝わらないのですよ。分かりますか?」
「はい。自分もそうでした。これではいかんと思い自分でしか治せないと覚悟しました。それが仏教の経典を読みあさり始めたきっかけだったんです・・・」
 あの血走っていた目が輝き始めた。これなら何とかなる。
「・・・坐禅をすれば心を取り戻す事が出来るかもしれないと思っていた時、ふと見つけたのがあの『参禅記』でした。矢も盾もたまらず直に花川先生にお話しましたら直に御老師に連絡して下さいまして・・・」
 しめた、意外に導けたぞ。ここまで来ればしめたもの。今が一番辛い時だけに、彼の様に心の亀裂持ちはこちらも大変気を使う。何としてもこれまで以上に頑張らさなければ。
「貴方はそこまで私に望みを掛けてここまで来られたのでしょう。だったら私を信じて言う通りにしてみなさい。私に言わせたら、何ですか! たかが三日や四日の七転八倒ぐらいで音を上げたりして!
 そんなけちな覚悟なら大層にせんでもよろしい! 自分で自分から逃げ出していたのでは坐禅にならんだろう! この軟弱者目が! 何しにここまで来たのだ!」
「はい、やります。御老師にお任せして言われる通りにやります!」
「いいですか! 誰でも私の言う通りにやって行くと、三日か四日目ぐらいが一番苦しい頂点に達するのですよ。この壁はどうしても越えなければ修行の急所が分からなくてそこから先へ一歩も進む事が出来んのだ。だから命懸けで座りなさい!」
「とにかく今は頭がこんなになってじっと坐れません。この前海岸へ行って坐禅したらスカッとしたので・・・」
 両手を頭上にもたげて左右に振り、錯乱している様を笑みを洩しながら訴える全身からは、明かに混乱が静まり、初心のあの坐禅に挑むテーマだけが意識に現れてきた事が分かる。ただ、彼の雑念はノイローゼという精神症をつい最近まで引き摺っていたので、精神構造が安定していないだけに直に乱れ、自己の存在感までも破壊してしまうほど破壊力が大きいのだ。この辛さは心深く見渡せる者でない限り理解出来るものではない。その苦しみと巨大な破壊力を持つ大きな雑念と戦うためには、「ようし! やるぞ!」という全力をかけた闘志であり精神エネルギーだけである。これをもって次々と襲いかかる大敵に取りつぶされないように戦う事と、一呼吸という今一瞬の絶対安定の根源の場を見失わないように守るということを遂行するしか道はない。簡単に見えるが、肝心の守る急所が掴めていない今、狂わんばかりの苦しみなのである。こういう人には私流の荒っぽい方法は禁物なのだ。ある目的地へ飛躍させるためのものでしかないのではあるが、不用意に「ばちっ!」とやったことが忽ち恐怖心に転んじてしまい、彼の場合後が大変厄介なことになるからである。
「どんな方法でもいいから自分を早く取り戻し、一瞬にちゃんと居れるようにすることだ。一呼吸が決れば後は熟させるだけ。頭の空回転は自動的に治る。後天性の精神症はここから自然に取れて治るのだ。遠慮せずに海岸へ行ってしっかり坐ってきなさい!」
「いいんですか! 行っても!」
「吉田さん、貴方の場合は特別だ。只一歩だけで行くんですよ。しっかり坐って来なさい!」
「じゃ、行かせて頂きます」
 彼はここの処を何遍も々々々、相槌打つのが面倒くさくなるほど繰り返して出て行った。確実に大きく波打つ不安定な切迫するものに苛まされている現れだ。言わば、自分の思惟の全域を統理する力が弱く、別の心的力に押し流されているのだ。その心的力とは直に不安や恐怖となる空想観念である。こんな思いに苦しめられるということは本当に気の毒なものである。
 台所で準備をしていた陰山居士の奥さんは当然総ての話を聞いていた。その苦しい心のもがきに対して、彼が出て行った時、気の毒と同情と、どっちへ向かって飛んで行くか分からない不気味さに対する溜め息を交わした。
 彼女も同じ境遇にある主人を思えば、心の内は侘しく切ないであろう。かいがいしく動く後ろ姿に漂う一筋の黒髪の乱れは、如何に明るく振る舞ったにせよ、愛情深い彼女だけにその物語るものは大きい。
 窓越しの風情は夕方の静けさの象徴であろうか、明るさの中に忍び寄る闇の暗さを感じさせていた。それが何を暗示しているというものでもない。ただ、盛衰と哀歓と交差する人の一生の中で、主人一人のこうした心の状態だけでも、奥さんを初め子供さんから親、友人に至るまで悲しい思いと共に、空間的にも経済的にも局面に立たされて行く酷さを見せ付けられて胸は痛む。
 彼女の場合、主人が一人ここに居る事さえ出来ない虚弱な心理にある現段階としては、彼女に向上してもらわなければならない責任もある。でなければ一緒に来てもらった意味が無い。彼は彼女が帰れば当然ついて帰るであろうから、どうしても家庭で参禅工夫と適切なアドバイスとが抜かりなく出来るようなってもらわねばならないのだ。

 彼女は吉田居士が出て行って暫くは言葉もなく、体は動くともなくさらさらと縁に応じて転んでいく。至って明るく陽気な奥さんは快活に動作しつつ次第に口も回りだす。坐禅が嫌いというよりも、あの坐禅のスタイルに意義を感じていないし[道]自体を求めるものも要求も今の処ないのだが、不思議な事に「今に単調に只あることが物事の本質であるし心の帰する処」としてやっていることは実に見事である。彼女が本当に真剣にやったら、確実に最短時間で物になるであろうと思うと甚だ惜しい気がする。これを放っておくほど不親切ではない。私は思い遣りと愛情豊な優しい禅僧なのである。どんな手を使っても進歩させたいのだ。私は、
「これ何ぞ!」
 と言って手を叩く。何事が起きるのだろうかと言う時の、綺麗な澄んだ目が俄かに真剣になるや、間髪を入れず手を叩く。「これです」の言葉は無かった。それだけ当人の頭の中は整理されすっきりしているのである。ちゃんとそこまで来ていたのだ。何れの場合も言葉が多いということは、それだけ言葉が駆回っていて心中騒がしいということなのだ。
 例え『参禅記』がヒントになっていたとしても、今は確実に自分のものにしている。何時の間にか念を自由に切る処までに成っているし、手元が結構明るく成っていたのだ。
「禅堂に入ったら何をする?」
「はい。坐禅をします」
「坐禅とは一体何だ?」
「何にも考えず坐ることです」
 ばちっ! と平手打ち。ちょっとよろけたが、これでも大変手加減しているのだ。愛情豊な私はこんな処へも優しさが溢れ出ているのだ。
「そんな理屈が出るようでは坐禅にならんだろうが。坐禅とは何だ!」
 はっとした次にはそこへ坐り込んで坐禅を組んだ。そこは勿論台所の板の間である。濃紺の着物に紺の袴姿は、何処から見ても絵になっているし、それでなくても充分美しい彼女がいきなり綺麗でも無い台所へ間髪を入れず坐る。前進を望む私にとっては総ての感覚的条件など問題ではなく、彼女のその潔さが心地好い。あの単調さ、あの素直さ、あの鋭さ、あの拘りなさ、そしてこちらの目指す意図の要点を適格に把握する卓法眼と綿密な注意力。どれを取っても道に必要な資質ばかりではあるが、只最大の欠点は菩提心が無い事と、燃え上がる真剣味が無い事である。これは求道者としては悲しい事なのだ。
 そうであろう、吉田居士が「もう帰る」と言い出した途端、「自分も帰ろうと思った」と言う。努力心を持たずして禅堂へじっと居る事は苦痛でしかない。「自分には禅の素質が無いから」と思うのも無理からぬ事で、自ら求める求道心の無いということがどんな方向へ迷い込ませるか分かったものではないのだ。
 求道者がそんなことぐらいで、おめおめと人に後ろ姿を見せる恥なことはしないものなのだ。そこに高きを求める求道心と己に負けまいとする真剣さがいるのである。でないと、如何に資質に恵まれていたとしても、大きな宝物を前にして忽ちの安易さに道を誤るからだ。
「そのものずばりには理屈は無いだろう。分かったか!」
「はい!」
「理屈を取り、今々単調に縁と一つになって我を忘れてやるのが修行じゃ!」
「はい!」
「理屈の入らない一点が分かったらしめたものだ。すぐ禅堂に行って命懸けで一呼吸を只するのだ!」
「はい!」

 本当に努力していると、最も疲れが出る時であり気力が抜ける時でもある。吉田居士の乱高下はそんなことなので一筋縄では治りそうも無いし、陰山居士はひたすら禅堂に居ることのみに忠実である。肝心な[即念に在るかどうか]以前に、吉田居士以上の身体的苦痛を携えているだけに、静にじっとしていること自体敢闘賞ものなのだ。きっと本人は気が狂うかも知れないとさえ思いながら、雑念と恐怖観念と幻聴幻覚との敵の三軍に攻め立てられているのだ。辛くも一呼吸に帰ることに依って救われている。つまり、それらを一片に切り捨てるという理性に基づいた精神的努力に絞り込んで拡散を防いでいることと、その事により切り捨てが少しずつ出来る様にまでなって来たということである。一呼吸に帰られる様になると、あの絶え難い重苦しさから次第に解放されて行くのだ。それが漸く著に付き初めた処である。嬉しい。

 夕食時、吉田居士からは先刻の苦悶と取り留めの無い錯乱じみた気配は嘘の様に落ちて無い。立派なものではないか。
「吉田さん、可成り折り合ったようだが心境はどうですか?」
「御老師のお陰です。海岸へ行かせて頂いて、二十分程坐禅しましたらスカッとしました。もう総て御老師に御任せして言う通りにやる覚悟を決めましたから・・・」
 と続く。言葉も、その数も、話す間合いも即今底に着眼した安定度の高い様子を見て安心した。これなら苦痛もうんと取れたであろうし、もうすぐ安楽に只管呼吸が出来る。よしよしだ。されども何時崩れるか分からない不安定さが消えた訳ではない。彼の言葉と念の走りを叩き潰し、念から離れた独立独歩の無念の念に追い込むために、
「これ何ぞ!」
 と言うや否や[ばちっ!]と床を叩く。彼の全身が[びくっ]とショックして硬直し、一瞬にして彼の言葉と念は吹き飛ぶ。私を射る程凝縮した視線は矢張り安定していた。食事に掛かろうとする、それでなくても真剣な空気は、静寂を通り越して凍りついた空気に全員が飲み込まれる。思いがけない問答にほんに僅かな戸惑いこそあったが、疑問も不安もなく、[ばちっ]と左手で叩く。
 だが弱い。確かにこれだけだという確信が掴めていないから、一呼吸しつつ、何か一歩手前でふらふらしてしまう状態だ。だから迷いや不安がよぎり工夫が逃げるのだ。
「これはこれだ。一呼吸は只一呼吸だ。迷う事なく確信を以てそのものだけになって我を忘れてやれば良いのだ! 迷い無く、一心に確信をもってやりなさい!
これ何ぞ!」
 と言って私は再び全身の右手を床に叩きつける。勿論、私の手は痛い。
 彼は無言のまま全身で[ばちっ!]。大分決って来た。決断の一瞬一瞬でなければ一瞬に成り切れないのだ。
「これを片手の声とか隻手の声と言う。では、両手の声は?」
 難無く柏手を打つ。
「そうだ!」
「はい。すっきりしました!」
「隙なく、只食べなさい。そんなことが幾ら分かっても、自分の手元が隙なく只やれなければ、過去である虚像と現実との境を付ける事は出来ないし何の力にもならないのですよ」
 こうしたアドバイスは食事の度にするせいか、皆の着眼は何処までも一箸、一噛み、微妙な手の動きにまで達して来た。真剣そのものである。
 高田居士は毎日同じ事を聞く。
「一呼吸を見守ると言うのではなく、するというのではなく、ただして居ればいいのですね? この侭で良いのですね?」
「そうです。只呼吸に任せそれだけになって居ればいいのです」
「呼吸と一体になった事がどうして分かるのですか?」
「大変重要な質問ですね。いいですか、修行するのは自分を明かにするためですよ。明かにするとは我見という心の癖を陶冶することだ。そのためには我見の起こる元に立返る事。即ち一瞬の今の一呼吸に身も心も任せて、其の他の事は一切捨てるのだ。心に起こすから捨てなければ成らないので、心に何も無かったら何事も起こらぬ。捨てる無駄な事をする必要が無くなるのだ。只その時その場の縁のみになって淡々とやっておればよい。
 道元禅師様は[正法自ら現前して、昆散先ず撲落す]と言われた。正法とはその物じゃ。只一呼吸のみ。坐禅のみ。なり切って余念無きことじゃ。心は透き通って妨げる物は何も無い。ビシッと定まった状態は自分が一番よく分かる。昆散など真っ先に撲落して居るぞと言われたのはこの事だ。
 ここを只管という。これを見失う事なく何処までも[只]を練って熟させて行くだけだ。本当に縁と一つに成った時、縁の方から知らしめられる一大事がある。これが無いと脱落したとは言えないのだ。
 この事は自分の様子だから総て明確に分かって当然だ。分かるから確信も生まれ安心も出来る。曖昧なものと違う。決定的とは体得であり絶対なのだ。この時より自我が切れて、真に見聞覚知のまま、確かに前後なくやれるようになる!」

 こんな何でも無い話が、何でも無く「そうだ」と納得出来るようになって来ている事はとても嬉しい。
 彼の静かな口調は三好居士と同類である。口数の少ないのも同じだ。それだけに僅かな言葉の比重は高い。入山してから総じて彼の質問はここから逸れた事が無い。それだけ一点の工夫のみに成っていたのだ。そして、私の答えは何時も違うが内容は一つ事を言っているだけだ。その受け取り方が彼の向上と共に深くなって行く。全く質問する念もそれを言葉にする暇さえも無くなって、只淡々として来るのも後一息と言う処だ。

 食後、テーブルを前にして何時もの如く皆真剣に努力している。静寂も只の静寂とは違う。道の人ではない人が今ここへ入って来たら、異様な静けさと堅く凍りついた空気の重みに耐えられないであろう。話掛けても道の話で無い限り聞く用がないので、誰一人耳を貸さなくて完全に無視されるだろうし、修行を妨げる不純物としても無視されるだろう。
 やおら残りのお菓子を回す。私が取り高田居士が取り吉田居士が取る。完全に隙が無い。陰山居士も目一杯ひたすらに動作する。最後に夫人が自分のペースでパッと取る。「何ちゅう荒っぽい動作をするのだ! 修行になっとらん! 元に返してやり直せ!」
「はい!」
 それから一同無言で食べる。
「御でこさん(ご主人がデコと呼んでいるので、御を付けて)どんな味ですか?」
「少し美味しいです」
 高田居士が「はははっ」と笑い「失礼」と言う。もう彼にはそれが俗の念であり修行から外れていることが見え見えなのだ。私が(入門して四日目ばかりだと言うのによく言うよ)とも何とも思わず、彼をただ見た。(どうかしましたか?)とも思っていない只の目であった。明かにパッと念が切れている。
「もう彼女がよく見えるだろう。だが、念を持ち出して相手を見てはいかん。持ちだしたから是非となり、ああした笑いが出るのだ。即今に只あったら何事も起こらんだろう。相手立てている限り自我を建前としているから絶対に自我を破る事が出来ない。
見えても見るな。人の方、向うへ意を運ぶな。その一瞬から煩悩の種まきとなるのだ。只見るだけ。一瞬の出来事でありただの縁のみ。そこが道じゃ。只管であり如法じゃ。それを練るのが修行だぞ!」
「はい!」
 彼の目に力が篭る。
「御でこ殿、頭の考えを借りなければ味は味わえんのか?」
「???」
「自分のしている事以外に法はない。だからそれに徹してやるのが修行で、それ以外に何も無いのだよ。その物はその物に問うしかないのだ。」
「でも・・・問われたから何とか言わなくてはと・・・」
「その一瞬一瞬の味わい自体が言葉で伝えられるのか?」
「???」
「その物に徹しているかどうかを点検しているのだよ。している事からずれていると、その物と言葉とが不分離にして必然的に絡まり、何時も念が問題を引き起こし続けて行くのだ。
 味わいはその物固有のもので言葉や念とは全く関係ない。その物固有の味わいはそれしか無いのだから、それに直接参ずるより道はない。味わいだけではなく見聞覚知の総てが、言葉と関係が無いというところの境界線がはっきりして来ると、その物の様子も又はっきりして来る。これが味だという実感、これその物という手ごたえが生まれる。答えもそこにちゃんとあったことに気付くし、答えるのに言葉なんて当てにならないもので答えようとはしないのだ。
 何となればその物が既にちゃんとそこにあるからだ。だったら素直に只その物と親しく一体になって居ればよい。
 さあ、そのお菓子の味はどんな味だ?」
 改めて口に入れ、とても用心深く一噛みをする。
「その味はそれその物だろう。外に尋ね回る必要は初めから無いのだが、その物の事実が分からない限り、言葉の世界でしかないし過去の知識から認識判断などを繰り返すに過ぎない。念も言葉も拘わりが無いということが分かったか!」
「はい!」
「よし、皆すぐ禅堂へ行きなさい!」
 吉田居士が後片付けをさせて欲しいとの事。やらせて見るのもいいかもしれない。が矢張りちょっと早い。自分の動きが自分でまだはっきりしていないのだ。

五月三日
 高田居士は朝又、
「一呼吸に任せて只やっていれば、念が出ても次の瞬間に自然に切れて消えているのですがそれでいいのでしょうか?」
「そうだ。もう疑問を引き起こす心も殆ど無くなったろう?」
「はい」
 彼の静かな瞳は深く確信的である。いよいよ本当に軌道に近づいた。だが正直なものだ。ここまで自分を運ばず師の指導にのみ準じて行けば間違う事は絶対に無い。勝手に「これだ」と自己を立てていないだけ早く無我になれるのだ。此の度で「無我の自覚」に達するとは思えないが、無我にそのまま突入する道まで出るのは時間の問題である。
 但し、例えそこまでに達したからと言って、その後の努力が無ければ体達は出来ぬ。今は何時も今である。その時の縁に従ってその物になっていくのが心の自由な働きである。今私の元で短時間に無我の入口まで来たとしても、相手をすぐ認める癖、認識してしまう癖が破れていない限り、それはそれらに依って直に掻き消されてしまうのだ。又、拡散を収め、一呼吸にかじり付くことから初める事になる。つまり、濁れた桶の水を沈殿させたに過ぎないから、水が動くと直に濁ると同様である。脱落すると念とすべき塊り物、連続性が無くなるから濁れる水もなく溜まるべき桶も無くなってしまう。だから自由となるのである。

 とにかく、主観としての時間と空間が存在する限り、それは認識する物が存在し、それを観念で連続的に意識で捉えるために撮影された映像と化してしまうのだ。
 脱落とか無我とか三昧とか仏法とかいうものは、時間も空間も無いのだ。何も無いからその時その場の縁のみにして、一瞬のものでしかない。無いと言うのはその物と親しく一体になっているので、その上主観とやらの自己を運び出して時間や空間を観念で捉えようと「ああでもない、こうでもない、これが道理だの正しいだの、理解するとか分かるとか」という一切の面倒な顛倒妄想が無いということなのである。この[無い]と言う意味は超越であり一元絶対であり一体という義である。
 しかも、「一瞬しか無い」という絶対自覚は、それが過去であり又永遠の未来であるとかの「どちら付かずの実感と、縁次第で自由に何にでも成っていく空間の変化している今の一時の様子でしかない絶対無常の確信」というような理屈も何にも無い[只]の本当の様子である。
 だから、無我とは「認識する主体自体を超越することであり、主体とすべきものが初めから無いという一瞬の心の様子の体得」なのである。考えるその事で総てである。その時それがそれであって外には何にも無い。かくして考える時には考える無我である。妨げる不純物がないから純粋思考が出来るのは当たり前だ。思っても感じてもそれ自体が一瞬の出来事であり、それ自体が自然な作用でしかない。これを無自性空とも真空妙有とも脱落とも言う。その時節の消息を言うたものだ。これが仏法である。これが仏性である。これを体得しようと努力することを仏道修行と言う。

 坐禅の目的がこれである以上、体得の出来る方法を踏まなければ達する事は出来ぬ。ここでようやく体得した正念を、ここから出て各自で相続することが如何に難しいか、そして如何に大事であるか、出て見なければ分からないという事は皆一様である。

 吉田居士、陰山居士の状態からして散歩が必要なので皆で出る。確実な一歩で歩く。路上にあっても経行工夫の要点は皆しっかりしているが、ぽつん、ぽつんと静かな歩みの合間に言葉を交わす。吉田居士は修行以外の話もする。参道から左へ曲っていよいよ一般道路へ出た。人にも車にも出会い、拡散の材料には事欠かなくなって来た処で、私は畑に入り、キウイの葉を掴んで、
「これ何ぞ?」
 高田居士がサッと私の方へ動くのを見て、私は元の道へ戻った。それだけ見れば充分である。彼がその葉を無言で掴もうとした時、吉田居士は、
「ぶどうでしょう」
 と言ったすぐ後で、
「あっ、そうでした」
 と訂正した。高田居士を見て直に分かったのはよかった。陰山夫人は「当然だ」という風な平然さであった。それが本当なら嬉しいのだが。
「修行とは一瞬の油断なく努力することだ。本当に一心に成っていないからすぐ観念をもちい分別して言葉が走り回るのだ。只歩け!」
 あっと言う間に海辺に着いた。春うららなる瀬戸の今は美しく優しい。彼等の目には際立って新鮮で、自然の息づかいが自分を見る程に生きて心に伝わっている筈である。曽て感じた事の無い鮮度は本人たちにとって驚きに違いない。彼等はすでにそんな心境に達しているのだ。
「御でこ殿、今の海の冷たさはどの位だと思うか?」
 言葉の終わらぬ内にすたすた歩いて海に手を入れ、ぴちゃぴちゃとやった。それ自体に問うしかないということがはっきりしている事は、着眼がはっきりしているということなのである。つまり、どうしたらよいであろうか? とかの着眼工夫の迷いが起こらないで、「今の事実に成っておればよい」という修行の中心が明かになっていることなのだ。若干修行の要領が手に入ったというに過ぎない。
「はははっ。やっぱりそこまで漕ぎつけていたか。だったらすっかり落ち着いただろう。そこを只隙なしに練って熟させなさい。いいですね!」

 そんな私の言葉にさえ気にせず確かな足取りで元へ返った。本当は、「海水の仏法は?」と聞きたかったのだが、今の彼女には少し早すぎる。もし皆目分からなかったらこれから先、その事を考えて解答を出そうとするに違いない。それは一瞬の単調さを壊させることになってしまう。海水の仏法と問われても、矢張り海水に問う以外に無い。問い方に色々あるが、眼耳鼻舌身意何れにても皆仏法である。その時の縁の作用である。実体としての固定した物ではないのでこれを[空]と言う。海水の海水たるところ、一滴を持って四海を知る。誰もが日常使いつくしている完璧な道が元々ちゃんとあるのだ。道元禅師曰く、「道元円通、いかでか修証を假らん、宗乗自在、何ぞ工夫を費やさん」と。分別以前の理屈なしの出来事が堂々としてそこにあることを知れ。
 嘗めて見て、もし「辛い」と言ったら、隔たること百千万里。その物が辛いと言うか。「おお辛と言うは後なり唐辛子」という歌を煎じて飲むがよい。事実の今に目覚めるには念相観を越え言葉を忘れなければならない。自我が切れていない今の段階で言うのは自己の計らいである。これが煩悩にしてしまう奴だ。これを殺すのが修行である。
 皆油断無く海に目をやったまま言葉も無く動かない。いいぞ!
「高田さんよ。ここの海水はどうして熱いのだ?」
 もし言葉が出たらパンチだ。この「どうして?」は分別を引き起こしやすい絶好の引掛け言葉である。だが、本当に修行していたらこの「どうして」は過去の知識である頭に問うのではなく、今の事実その物に直接結びつかなければならない[道、法]があるのだ。ここで修行の内容が別れて出て来るのである。自己を計り出しての修行か、如法にあるかだ。
 いきなりその物に手で問うて見て曰く、
「確かに・・・!」
 と言いながら何度もうなずく。これを見て「何だそうか」と知識で理解するのではなく、何時も自分を虚にしていることが肝要なのだ。人も縁である。縁と一つになるとその人の心がそのまま伝わるので、その人の縁によって自我が振るい落とされる縁になるからである。それだけ要点がはっきりし禅定が定まる訳だ。虚とは念相観の測量を止めて見聞覚知はそのままに手放し丸裸のことである。言わば自分を根本的に放り出して死んでしまうことである。
 陰山居士夫妻が仕入れて来た飲み物に舌鼓を打つ。誰も喋らない。いや、一心に只飲んでいるばかりである。如何に隙を与えない修行をするかは自分の努力に掛かっているので人の事どころではない。人が何と思っても、海がそこに有っても無くても、どんな音がしていても、ひたすら飲むばかりなら理屈の隙入る暇はない。ここが[心意識の運転、念想観の測量]を止めたところである。

 そぞろに大正公園(城山)へ上がる。ここは忠海のシンボルであり、黒滝山と共にずっと愛されて来た処だ。塩風に適当に鍛えられた沢山の見事な松はすっかり姿を消していた。我が師、義光老師の揮毫になる[忠魂碑]が、毅然と蒼穹に立たずんで私たちを迎えてくれたのだが、そこにはあの豊な詩情も床しさもなく、そこかしこに切り倒された枯松は如何にも荒廃感をそそる。真ん中の少しの広場で腰をかがめながらゲートボールに興じている御年寄りの姿が何故か痛々しい。少なくても生命が躍動してのスポーツしている人には見えない。私たちはそんな彼等に気を使って、遠巻に足音を忍ばせるように歩いて海に面した突端に出た。
 風雅な松越に見たここからの海と島々の望観は、遥かなる時の旅人となってしまっていた。立たずむと色々な音色の松風があって、それを聞き分けようと耳を澄ませるのが楽しい癖であった。今は、心和む安定したリズムの舟の音だけが自然の奏者である。松と松風は往年のものとなっているが、その外の瀬戸の眺望は限りなく美しい。

「高田さんよ。或る俳人が、松島やああ松島や松島や、と詠んだ。その意分かるか?」
「うーん。全くですね。それだけですものね、言葉にするとしたら」
 彼は言葉以前の素直な自然体になっていたのだ。「あの島を取って来い」と言ったら高田居士でも多分無理であろう。まだまだ心の染みは深い。
 反対側から降りる。もう少しという処に目通り直径三十センチ程のウバメガシの古木があった。ついぞ私には記憶に無い代物である。
「ほう。これはこれは」
 と言って両手で撫でたら、吉田居士が、
「大変大きいですね、何ですか?」
 とやった。間髪を入れずジロリと睨み付けたら、それでその念は切れた。しかし、それ以上の気付きは無かった。皆無言でゆっくり歩く。百メートルも行った頃、吉田居士が、
「さっき言った事は余分なことで間違ってました。只見るだけでなければいけなかったのですね」
 と気付きを述べた。今度は微笑みながらチラリと彼を見たら、満足げな真剣な顔があった。町中を通って海蔵寺へ上がる。町へ出るのはまだ乱れる危険があるのでその気は無かったのだが、私が居れば何時でも調整が出来ると思ってそうした。それに一人ではないのでどうということはなく着いた。陰山居士夫妻以外は初めてで、恵照君と正式な挨拶を交わしていた。
 帰りの道中のこともあり、飯田老大師の『無門関鑽鎚 趙州狗子の話』を読んで聞かし、菩提心と着眼の重大さを叩き込む。何の心配もなく単調に帰る。全く町を外れた道に出た。そこに有った車を差して高田居士に問う。
「車と言わずして何と言う?」
 彼の答えに私は満足した。彼の歩く後ろ姿が透き通って見えた。もう毎日のあの質問は卒業した筈だ。今、日常での疑団そのものがなくなって益々単調になって来たということである。

 昼食後高田居士が、「寝坐禅はどうしたらよいのか」と問うて来た。今更彼がこんな事を聞くなんて考えられない事である。が、叱り飛ばすより教えよう。その方が確かであるから。
「正座してみなさい」
 すぐ坐る。
「心境は?」
「何も有りません」
「一呼吸の即念にちゃんと有るね?」
「はい」
「足を前に投げ出しなさい」
 ゆっくり明確に動作する。これなら只寝て、只一呼吸出来る筈なのに、何処までも真面目で師の方法のみを遂行して行こうとする態度が美しい。文句なしに修行者として実に立派である。だから向上が綺麗で早いのだ。
「即念は?」
「ちゃんと」
「寝なさい」
 寝た。
「どうだ? どこか、何か変った事でも起こったか?」
「いえ、何も」
「坐禅と何処が違うのだ?」
「同じです」
「当たり前だ。寝ても座っても一呼吸は一呼吸だ。即念は即念だ。心念紛飛が治れば何をしていても、姿勢がどうであっても拘わらないのだ。この急所がはっきりした今、何時でも何処ででも坐禅が出来る。これを正念と言いこれを相続するのが修行じゃ。分かったか!」
「はい!」
「よし! 私は今からちょいと昼寝だ。君も寝坐禅して体を休めてやりなさい」

 昼から現れた永岡居士はずっと禅堂であった。御でこ殿と夕食の支度をしていたら彼が出て来た。一緒に食事をする時、
「彼が『参禅記』の永岡さんです」
 と紹介したら、頼みもしないのに工夫の具体的な細かい要点を説き始めた。陰山居士の如何にもしがみついた苦しい坐禅の様が気になったらしく、彼のために楽な着眼があることを一生懸命説く。今丁度必要なところを詳細に説けるのは彼の力ではあるが、さっき彼に一杯飲ませたせいもあって、次第にくどいくどい回りくどい永岡節が留まる事なく続く。くどさの程度が分からないのが彼の弱点である。折角の心境を鈍らせてくれては大変困るのだ。
「永岡さん、貴方はしっかり坐禅しなければいかん。何を何時までもつまらん話ばかりするのだ。もう皆にそんな話は無用だということがどうして分からんのだ。皆の今の単調さが壊れるでわないか。それが見えんのか!
一瞬の参究を怠っている証拠だ。分かったか!」
「はい! 済みませんでした!」
 用事も差し迫っていたのだが、彼は脱兎の如く遁走した。誰もがこう成る落とし穴がある。何がこうさせるかと言うと、最大の原因は、自分は大したことない、という程度の自覚が全く無いからである。だから反省が伴わない。自己の内を追求していない限り、一念は相手に向っているからぺらぺらと言葉になってしまうのだ。道元禅師様は[須く回光返照の退歩を学すべし]と仰せられた。念が出て来たら即、「この念、一体何処から出て来るのか?」とその念の起こる本に着目するのである。一瞬の念の参究が禅修行である。これが修行者の日常でなければならぬ。少なくてもそう努力しておらねば修行者ではない。この努力が抜けると、念は外に向かって走り、見聞覚知の対象である縁の方へ取られていく。つまり、相手が立って即隔てとなる。そのことは心に持ち込み認めてしまうということである。そこから動きが取れなくなり無縄自縛と成る。
 永岡居士の場合もそうであるが、自ら体験した実力というものは自分をも見えるが相手も良く見える。自然後輩には優越感が伴い勝ちとなるものだ。つい偉そうに言いたくなってしまう。彼自身にはそれはなくても、過去の法を持つとそれが武器となり隔てとなって相手取ってしまう人間の業があるのだ。ところがである。ここに器と言うか菩提心というか求道心というか、全く一つ念が丸反対に作用する方向の違いが起こる。
 体験と実力とは不離一体であるが、自分の至らなさを恥かしいと思い、何とかしなければと努力心を抱いていると、後輩を見るのも我が身を見ると同様に、道の前で苦しむお互いは崇高な気持ちで愛の助言となるものだ。自分の体験を語るにしても、心に反省があり激励があり努力心があり道を思う切なるものが己を小さくし、自然相手と同化させてくれるのである。
「皆さん今が一番辛くて大変な時です。御見受けすればちゃんと今に着眼されて、隙なくおやりになっているので、そのまま迷わず一心に遣って下さい。とにかく師を信じ切って、素直に指示の通りに努力することが一番楽で早いのです。道は今そのものです。自分自身です。今していることに余念なく、只やって下さい。それが禅修行なのです」
 日頃自分がしていることを静かに謙虚に語ればいいのだ。こういう激励が何故出来ぬ。己がそうしていないからだ。今度このような恥かしい事をしたら、息の根が止るほど私の筋金入りの警策をぶっ食らわせてやるから覚悟しろ!
「すぐ禅堂へ行きなさい!」
 命令に何倍もの力が入っていた。

五月四日
「高田さん、聞くことは?」
「ありません」
「吉田さん、心安らかに一心に一呼吸をして下さい。もう雑念なしに只出来るでしょう?」
「出来ます」
「その外、何にも思ったり詮索したりしてはいけませんよ」
「陰山さん、一呼吸にすぐ帰る事が出来ますか?」
「それはもう出来ます。でも、すぐ何処かへ行ってしまいます」
「貴方は自分で心を単純化することが出来る力を培わなければならないので、妄像に振り回されているのを早く発見し、早く一呼吸に帰ることです。妄像と雑念との違いを無理に付けるとしたら、念を次々と発展させて空想虚像することを妄像とし、一呼吸に居るのに取り留めの無い単発の念が飛び交うものを雑念と思ったらよい。妄像している間は一瞬への焦点は定まらぬ。拡散が治って来ると最初の一念が見えるようになり、一呼吸の一瞬が定まって来る。こうなると自然に単純化され整理されて静になる。本当に坐禅すれば後天的心病は皆治る。心とはそうした働きをするようになっているのだ」

 これが朝の説法であった。皆進んで来ただけ響きも深い。聞くだけで禅定が深まっていく。陰山居士は数日前から自発的に薬を用いていない。そのことは単純化が出来るようになっただけ、苦しみが切り落とせるようになって、大幅に不安から開放されて来た証拠である。それだけ自信のような力も沸き始めて来たと取るのは少し早いかな。

 午後、隣の話声で目が醒める。陰山夫妻である。朝昼晩と続けている例の体操をしながら、御でこ殿が主人に説法していたのだ。
「貴方ね、坐禅に拘る必要は全く無いのよ。呼吸は誰でも初めからしているでしょう。何処ででも。それを只一呼吸だけ素直にやっていればいいのよ。貴方、もうそんなこと分かるでしょう」
「そうだね」
「そうなのよ。それしか無いのよ。こうしている時は素直に動くに任せていれば、何にも考える暇は無いのよ。分かるでしょう」
「そうだね。でこの言う通りだね」
 奥さんに頼り切っているご主人の口調は何時も穏やかで、奥さんの三分の一の語勢しかない。彼はまだまだ不十分なこんな状態の中にあっても、育ちの良さと言うか紳士の気品を漂わせているのが不思議である。奥さんはこの彼に微塵の不平不足を持っていなくて、ひたすら彼の回復のために愛情の総てを尽くしているようである。
「一瞬の注意を抜くと、貴方はすぐあれこれ考えて仕舞う癖があるから苦しくなるのよ。何もかも心配してそれを思い続けるからいけないのよ。そんなつまらん思いは止めて、素直にこうしていればいいの!」
 体操しながらの話である。
「貴方ね、本当に感心するわ、禅堂にしがみついて頑張っているの見ると。そんな事していたら地獄よ。貴方は今体も大変なんだから、疲れたらさっさと帰って来て寝たらいいのよ。横になって一呼吸していたら自然に心が軽くなり融けて行くんだから。何で皆禅堂で死物狂いになって一呼吸をするのか分からんわ。そんな事に拘ることないのに。今一心にその事に成っていればいいのにね・・・ 本当に」
 少々の心境など男児といえども御でこ殿に鵜のみにされてしまっている。
「タバコを吸う時には、自分の今していることにちゃんと心が有ればいいのよ。灰皿に行った時はそこへちゃんと一つの念があれば心は拡散しないし、その事が明確になっている、それが道でしょう。何もしない時は目線を何かに置いて、そこで一呼吸をして御覧なさいよ。とにかくね、この所ぐんぐん良くなっているわよ。顔色も白く澄んできたし、目も昨日よりずっと自然だし、体も随分柔らかくなって来たじゃない。貴方、あんなに頑張っているんですもの。もうすぐ治るわよ」

 何と! 不熱心で求道心も無い彼女が、一番大事な急所を一番気楽にやって、かくも
的確に摘み喰いしていたとは! それに彼へのアドバイスの適切な事。本当は真面目で、私の言う事を正しく聞き取り、燃え上がるほどの気迫ではなく、静かに隙なくやっていたのであろう。彼女をもっとずっと向上させて遣りたいものだ。まだ時間はある。何処まで行くかが楽しみだ。
「何と何と。立派な御説教をするじゃないか。一番不熱心な御でこ殿が。総て間違っていなかったよ。貴女の適切な助力でご主人は必ず救われます。医者ではご主人のその時の今の心の状態が貴女の様に適切には見て取れない。貴女に来て貰って一緒に参禅してもらった甲斐が有った。心境が進むとご主人がとてもよく見えるでしょう?」
「本当に不思議ですね。そうなんです。お蔭様で不安や疑問がすっかり無くなり安心できました。先生のお陰です。有難うございました」
「本当に有難うございました」
 とご主人。二人はこれから先何度と無くさり気なしにこんなお礼を述べる。
「あなた方の努力があったからですよ。奥さん、でも私から見たら貴女は熱心だとはとても見えないぞ。努力心の無い者は嫌いなのだ。そんな素晴らしい資質を兼ね具えていてやらないなんてどうかしてるぞ。本真剣になってやりなさい。分かったか!」
 あっと言う間に着物袴を着つけて禅堂へ入って行った。たまには命懸けでやってみろ! 思わぬ拾い物をするものだ。しかも自分のことじゃないか! そうだろう、御でこ殿。私のこの願いと祈りが通じない君だとは思いたくないのだ!

五月五日
 何処までも優等生の高田居士は、陰山居士や御でこ殿にはとても良い励みになっていたようだ。禅堂にあっては作法の手本であり、動中の隙なく堂々とした工夫の姿は目に入るだけで身が引き締まっていたと言う。しかし、吉田居士にしてみれば同日に入山し年は自分の方が上、乱高下する自分にとっては悔しい思いに駆られた存在であったらしい。
 そこに個人の器量と人格のようなものが左右して来る。道だけを見て己の個人感情の入る隙の無いことが、進歩を如何に早いものにするか思うべしである。向上の秘訣は言うまでもなく、自分の欠点を発見し修正することであり、無用なものは切り捨てることにある。そして大事なのは他の長所を手本にし取り入れることである。そのためにはどうしても自分を持ち出して対立させるような、けつの穴の小さい者は駄目だし、長所に対して敬愛出来る美しく純な心でなければ取り入れる事は出来ない。

 すっかり質問もなく、淡々とやっている高田居士には今は言う事はない。吉田居士は時折袴から背広に着替えて海岸へ出て行く。今尚、安らかに一呼吸に只居られないのだろう。だが、余分な心の動きがすっかり減少した感がする。無駄な言葉が出て来ないということはそれだけ念相観が無くなったということであり、それだけ心静かになったということである。修行底から言うと、今自分上に居て、向うへ行っていないということである。本格的な修行になって来たのだ。

 昼食の時、陰山居士が、
「人が経行したりすると気になって・・・」
 と積極的に坐禅中の心の様子を語った。初めてである。夫人の言が振るっていた。
「貴方ね、見て見なければいいじゃない。聞こえても聞かなければいいじゃない。一呼吸に一心の時はそうの筈よ。だから気にならないのよ。そうでしょ。貴方ね、自分の一瞬を離して相手に念を持って行くから拡散するのよ。だから乱れて苦しむのよ」
 一同粛としてうなずくばかり。言ってしまえば小憎い口宣であった。天性の資質は計り知れないものがある。何時の間に彼女はそこまでに・・・
「見るとか、聞くとかの念が起こるということは、その物から離れている証しだ。一呼吸以外に何ものをも認めてはならぬ。無念の念だけを守りなさい。さすれば見聞覚知のまま成仏していることがうなづくけるから。
御でこ殿、今日の御飯の味は?」
 淡々とかみしめる。
「何にでも変化するが、ちっとも変らない今の一点を何処までも守りなさい」
「はい」

 誰か居るなと思えばそれは何時も御でこ殿である。どうも彼女は坐禅によって道を得るなどと思っていないようである。道は今、自分のしている事で、坐禅はただ坐禅、歩行はただ歩行、炊事の時はただ炊事、疲れた時は疲れた時で、それは休むのが最も自然であり道だと明快にけりを付けているようである。坐禅に尊厳を置くとしたら総てにそうなってしまうが、それでは自分が窮屈である。だからその時それに同じ尊厳を置いて比較をしないので、彼女にしてみれば坐禅も一服するのも価値観としてはそんなに違ってはいないのである。

 夕方、それは自然の摂理として最も落ち着き工夫も一番乗りやすい時である。彼女は最も眠りやすい時なのだろうか、皆禅堂で頑張っている時、出て来て何時も体操する部屋で喫煙していた。ただの喫煙でないところが普通でない彼女の所以である。ちゃんと真剣に工夫しているのだ。喫煙禅というのがあるか無いか知らぬが、とにかく動作に隙を見せぬ一瞬の姿は単そのものであった。禅堂で妄想しているより余程如法である。
 この前数冊の論語や老子のような本を読むよう渡した。ところが、老尼の『信心銘提唱』を読んで聞かせたら、「この本はとてもよく分かる。理屈で書いたもので無いので辛どくないし只読める本だから、この方がよっぽどいい」と言って、貸した前の本を返して来た。老尼のあの本が「理屈がなくてよく分かるし只読める」なんて言った者は少ない。
 一服済んだら体操していたので、原稿を読んで聞かせたり法話をしたりした因み、
「火は何故冷たいのか?」
 と現成公案をぶっかけた。そう簡単なものではないし熱心でない彼女が手の就く代物ではない。しかし、手元を明確にさせて来た今までの指導は、着眼として皆目暗中模索という筈はない。彼女の解答など初めから求めていないし当てにしていないから、私の話は先へ進んで行った。ところが彼女はそこに有ったライターで自らの手の平をあぶって、或る事を確認していた。
 それが何かというと[そのものがそのものだ]ということである。私はそれを見つけるや、
「今、何をした?」
「火が何故冷たいのか、どうしてなのか確かめて見ました」
「どうだった?」
「はい」
 と言って先っきの通りをして見せて、(これです)と言わんばかりに私を見て、小憎いかな自信の微笑みを添え大きくうなずいた。
「おお。いよいよ手元がはっきりしたね。それだけ自分がよく見えるようになったのだよ。総て答えは手元にあり、その物自体だからね。今の君だったらそれでいいのだが、答えは無限に有るのだよ。
 今言うと迷わすから言わぬぞ。君の様に大して努力もしない者がそんな手元にまで簡単に漕ぎつけたら、先輩が歯痒がるからな」
「どうして一つ事に無限の解答が有るんですか?」
 それがそれである事の自覚は、万事に通じているしその事の表現も又無限である事の法理を少し話ただけで、何時もの通り急所だけは簡単に納得してしまった。そんな事で得意になったり傲慢になってしまう器では無い。けれどもさすがにそれが分かった自分が嬉しかったと見え、拳を握り締めて全身で「やった!」と言うポーズをした。それだけではなかった。拳を振り回しながら、
「先生! お願いですから高田さんにも同じ問答をして見て下さい!
 彼がどうするか是非見て見たい! 絶対して下さい!」
 見せた事の無い闘志と自信と好奇心を彼にもろにぶっつけていた。その切なる願いの姿は少女の様に無邪気でしかも輝いていた。彼が「火が何故冷たいのか?」なんて考えた事は無いで有ろうけれども、「これがこれだ、これしか無い」という処まで如法に成っている事から、ちゃんとした答え方が出来ると言う自信はあった。もし、彼がとんちんかんな答えとか、分かりませんと言う事になってしまったら、「こんな事が分からないなんて、禅堂で無駄な事に死物狂いになってやるからだ。それを一生懸命やらす指導者なんて、先生もどうかしている」ということにも成り兼ぬ。
 もしその時を迎えても、ほんに僅かなヒントであっさり分かる筈だし、充分に心境を確かめておかねばならない事なのだ。
 夕食、陰山居士もかなり手元へ迫って来た。幻聴幻覚もかなり整理が付けられる筈だ。潜在している不安感は、自分に自信を取り戻さない限り解消できるものではない。その根本は外から見聞覚知としてもたらされる外境との境を付ける事である。縁を縁のままに手付かずに放っておくことである。そうする力は過去にも未来にも拘わらない本当の今にのみ只あることである。何時も言うごとく自然にただあるよう努力して、そうならなければならない。禅堂にあっては一呼吸であり、食事にあってはただ食べる事である。
 吉田居士もすっかり落ち着いて来た。楽に動作し流れに任せている。実にいい調子である。食事も終わった。
「御でこ殿、一服したいので持って来て下さらんか」
「はい」
 それが何を意味しているかは御でこ殿しか分らない。すぐに手元へたばことライターと灰皿が届けられた。私は徐にたばこを取り出し火を付けて灰皿に置く。
「高田さん、火は何故冷たいのかね?」
 私は自然体で大芝居を打つ。御でこ殿を初め一同きゅっと緊張が高まったが、彼女は一段の興味深々たる様子で席に付いた。
 どうだ? 高田居士よ!
 高田居士は難なく透過した。それでなくては可笑しいのだ。
「御でこ殿、これで練りの程が分ったか。本当に練っておればこんな事は自然に分るものだよ」
「はい」
 やっぱり、と言った表情は真剣そのものだあった。
 皆は禅堂へ、高田居士は勲章の後片付けと相成って夜も耽けて行った。

五月六日
 今夜の夜行にて帰る高田居士、明日は全員下山なので、黙々と掃除やシーツの洗濯などに専念して余念が無い。陰山居士には相当のハンディーをやらねばらないが、そうすれば皆な目標点に達したことになる。私としては少しではない大いに不満の出来栄えであるが、これ以上には現実性としてはとても無理と言わねばならないだろう。高田居士と御でこ殿の仕上りは此のたび限りで言えば上等である。

 忠海には一際異色の名所がある。四国と本土とを繋ぐための世界第二番目という高い送電塔があるが、その塔はほんに小高いリアス式海岸の突端の上に立っている。その真下、海面よりは何がしか上がったあたりの処をくりぬいて作られている[岩風呂]が、ことの外体に良く、テレビなどに再々とり沙汰されているためもあって、素朴な自然にも誘われて結構遠方からも浴りに訪れている。家内の兄弟を伴って大いに気に入られたが、「日本一気持ちのいい風呂だが、日本一汚い風呂だ」と評していた。ここが異色の名所たる所以である。
 汚いと言うのは毎日相当量の松の葉の付いている小枝を、これまたきっぷの良い主人が担ぎ込んで、岩穴深き処の岩全体を火炎で加熱するのだ。勿論不粋な黒煙は穴蔵の岩膚を撫で回しながら、美しいリアスの海岸の朝の空へと消えて行く。だから岩穴の風呂場は真っ黒になって当たり前なのだ。
 充分に燃え尽きた熱いその中へ、年がら年中裸で入ってまだ火のある灰を出し、むしろを敷き、その上に藻葉(海草)を敷いて人が入れる準備をする。そもそもが美しいものではないのである。立てだちはしかし何もかも新鮮でからりとしていて、先ずは気持ちの良い一時である。その分だけ僅かに料金が加算されているところが公平らしく思えるのだ。人数が増すに連れてぐしょぐしょになり、ちょっとだけ安くなると言う具合である。
 風呂と言えばドボンと入れる物をさしずめ想像する。日本人ならば当然である。ところがここは風呂とは言えそんなロマンチックなものでは決してない。初めての者は脱衣所から先ず脱帽するだろう。男も女も隠すべき処こそ隠してはいるものの、誰憚る事無くそこらにごろごろしていて、凡そ上品と言う概念はかけらも当てはまらない。そこが実に小気味のいいところなのである。人が自分のために気を遣ってくれるだろうという甘えや、自分をああだとかこうだとか思って見て居るだろうな、などの自意識過剰は全く瞬時にして解消させられてしまうから面白いのだ。
 進んだ現代の生活文化かから見る限り、ここで誰をも憚らず辺り構わず「どでっ」と裸で寝ている光景はまさに異様な感がする筈である。人間の体臭を改めて生々しく嗅ぎ、゛ざーます〃と御上品ぶる連中もどうにもならないと断念し諦めるであろう。脱衣所休息所は風呂場からトンネルで隔たってはいるが、もろに汗の臭いと言うか体臭そのものが何処の部屋も強烈である。驚きを通り越して圧感となる。或る種の救いを感ずるとしたら、人間は何処かに無神経になりたい心があって、人の事などかまっちゃ居られないとばかり、全体を無視して裸でごろごろすることに痛快さを感ずるのかもしれない。とにかく海水浴の時のあの解放感とは又違った心地好いずうずうしさに浸れるのである。
 トンネルを抜けて、湿度の高いむっとする風呂のある部屋へ入ると、煙が通過する処であるから何処を見ても黒々としているのは述べた通りである。[熱い]のと[ぬるい]のとに別れた風呂と称する穴蔵に入るのであるが、しっかりごつい木のドアを開けて入らねばならない。こいつが多少の力が要るのだ。開けた途端、バンと来るのが飛び切り癖の強い臭いと熱気で、初めての者は甚だ躊躇してしまう関門である。熱い方は湿度も少なく原始サウナそのままであり、熱さに自信の有るものならともかくも、いきなりこいつへ飛びつくのは考えものだ。ぬるい方は湿度が高くて汗もやわらかくどっと出るので、気持ちよく長く入って居れる。どちらも同じ様に出来ている入り口は腰をしっかり落として頭を低くしないと、痛さとコブと恥かしさのおまけが付く。偉そうにしたくてそれも覚悟済みならしかたがないが、そうでない普通がいい者は気を付けた方が得だ。本当にまま見かけるが気の毒を絵に描いた様な、同情の笑いを堪えねばならないことがある。
 とにかく無事に中に入る。いたるところ青山あり、と言う心境は初めてではちと無理であろう。中はほんにローソクに近い裸電球が片隅に一つ。ご婦人も御老体も全くハンディー無く、早い者勝で勝手放題にごろりごろり。偶々美女の隣にごろりが出来たら日頃の行いに感謝すべきである。熱い方は良く乾燥しているが、ぬるい方は大抵びちゃびちゃで、それが明かに人の汗であるから何とも言えない一入の感がする。綺麗なパンツなどは可成り汚れるのは海草の色であるから心配には及ばぬ。
 今にも岩が崩れてあわや生埋めになりはしないであろうか、などと真っ黒な天井を眺めながら寝ていると、初めての者は大抵そんな怖い妄想をする。そうした安全を保障する感のものは何一つ無いし、時折ぱらぱらと小砂が降って来るから、そんな考えを起こしても至極当然なのだ。それやこれやで坐禅の心得の有る者は自然に一呼吸に注意深くなる。汗はサウナどころではなく、たらりたらりガマの脂汗ではないが吹き出てくれるから後で爽快感と成る訳だ。
 少し入り慣れた者は確かにぬるくて、もう一押し欲しいと思うだろう。そうなのだ。そういう人のために親切にも天狗のうちわが用意されているのだ。これまた親切な人がちゃんと居て、寝た人なら寝たままふわりふわりと天井に向かってあおいでくれる。間もなく念の入った熱風がいきなり汗の膚に吹きかかる。それまでやっと我慢していた初心者は、「すわ、たまらぬ!」と慌てて逃げ出して行く。ドアの処が何故か一番熱いのだ。堪り兼ねて出ようとそこまで来て、ちょいと押すがそれが素直に開かないと来ている。さっと出たくても、とじ込められた焦りが瞬間的にはしり、「これは大変だ!」と慌てる人も居る。気の毒になるので、これまた親切な人が「思いきり押して!」と指示を出す。体当り的にダンと押すと難無く開く。ぱっと外の明りと新鮮な空気に触れていよいよすがすがしく思うのだ。
 そこから先は冷凍物のブリかカジキマグロの様に「どてっ」と寝て休息を取れば人生生き返った感にしばし耽ける事が出来る寸法である。
 こうした繰り返しを二、三回すると本当に疲れが取れて行く。上がり湯をたっぷりとかける前に、素っ裸ですぐ傍にある塩風呂(海水の風呂)に入っておくとよい。
 何時までも吹き出る汗を拭きながら、足の下に内海のせせらぐ音を聞きき、遠くに近くに行き交う舟を夕暮越しに見ると、この素朴な岩風呂のもたらせてくれる心の所産する処のものは実に大きいことを実感する。
 私は敬愛する人を実に偏見的に無理に連れて来る。そして帰る時、新しいドラマに浸りながら、人生には矢張り休息が必要なのだなと深く思うのである。ゆとりある視点から対応し語れる時は、皆道に叶い素晴らしく人格が輝くからだ。
 人生の休息とは過去と言う着物を洗濯する事であり、未来の時節を見る今の目の輝きだと言う事である。

 つい自分の生まれ育った忠海の一画を語ったが、夕方にはまだ間があるので、心境試しと、頑張った褒美と、土産話しの多目的を秘めて皆を連れて行くことにした。勿論心的効果あらしめるべく急所の話はしてある。
 大抵越中ふんどしの仕方をしらない。玉の方から当ててしまうから裏表反対だ。これだけは臨床指導に越した事はないから自分がして見せる。そのままでいいのに慌てて反対に仕直す。総て予想通りに事は運び、何とか中へ入る。
「どうだ、おしっこ臭いだろう」と言うと、
「そんなでもないですよ」と反って来る。それでよし。
 何度も出たり入ったりして疲れも取れた頃である。そろそろ上がろうかなと辺りを見渡す。誰これなしに素っ裸になってざあざあかけ湯をしている雑踏の中で、ちょこんと腰掛けて静かに一人夕暮の彼方でも眺めているような美女が居た。御でこ殿であった。脱落の無心ではないが完全に外境と離れた無心状態であった。目は美しく安らかに安定しているし、何の気も無くリラックスした完全なる自然体である。
「御でこ殿」
 はっとして私を見た。
「悟ったみたいに無心じゃないか!」
「ああ、とってもいい気持ちでした! 何にも有りませんでした!」
「そのようだね。今のが禅定だよ。これを練っておれば間違い無く悟りに突き当るのだ。何にも無かったということは、自分も無くなっていたということなのだよ。その事は修行も無くその手段も何もかも無いということなのだ」
「本当に素晴らしい事が何でも無い事だなんて・・・」
 この女性一体どうなって行くのだ。

 頃よく帰山して今晩の激励と別れの宴は準備から始った。寒さから開放されようとしている時節。つわ者連は沸き上がる躍動感に浸っているようにも見える。勢ぞろいして例の事が例のごとく始って行った。私も進歩の無い人間か、同じ様な事しか出来ない昆虫的習性が有るみたいに、乾杯の後に聞く事は一つ。
「今の心境は?」
 高田居士は
「はい、大切な急所をつかむことが出来まして本当に楽になりました。有難うございました」
 吉田居士は
「御老師のお陰ですっかり楽になりました。帰りましても迷う事なく、今の一点に着目してしっかりやります。有難うございました」
 陰山居士は
「方丈さんのお陰でノイローゼが直せそうな、そんな気持ちに達することが出来ました。皆さんに大変ご迷惑をお掛けして申し訳け有りませんでした」
 御でこ殿は
「高田さん、有難うございました。方丈様、有難うございました。私は今、感謝しかありません」
 と言って深々と下げる頭には爽やかな威厳があった。高田居士の存在が如何に彼女にとって大きかったかが伺える。話は辛かったことから恐ろしかった事、殴られた事など、人それぞれの短い参禅体験記はアルコールの量と共に次第に象徴的に語られていく。
 授業を終えて駆けつけた書人の角田先生も加わり座は更に華ぎと深まりを見せて行った。
「無礼講ですか?」
 と念を押して、笑いながら私の何でも無い質問をかわして行く高田居士。師の言葉が何時も何か重大な示唆を与えていた事を痛感する。これは反って私の言葉に対して構えとなったりする危険がある。素直に単調にもっていくために色々投げかける言葉が、余分な計らいを生む事になるとは余程気を付けなければ。
 御でこ殿の岩風呂の話が出た。勿論法の事からであるから心境に就いてである。
「あそこは大変よかったです。自分を試すには持って来いでした。現実目に入っていて本当に無心に只見る事が体験できました。本当に何の感情も念も無く、大体自分というものが無ければ当然そうなんですよね。あれでまたウロコが落ちて一段とはっきりしたし楽になりました」
 となった。そこで昨日高田居士に「火は何故冷たいのか」の質問の件りを話て聞かせたら、
「そうだったんですか、悔しい。自分は何年も一体何のために苦しんで来たのだ!」
 と言う高田居士の微笑みは好敵手に送る賛辞であったと同時に、御でこ殿の実力を目の当たりに見せ付けられて少々ショックだったふうである。その筈でる。あの様に懸命に努力して到達した自分とは対照的に、いとも楽々と解決付けて来た御でこ殿だ。それは羨望というより驚異であろう。この話は後々まで古参仲間の話題となった。
「火は何故冷たいのか、なんていきなり聞かれたら、こっちはどうしようも無かった。先生の指導の念がいって来たせいなのか、たった一冊の本で坐禅しようとして此処まで来るような人だけあって本質的な器が違うのか、恐ろしくなってしまった」
 と語る小積居士には、新参とは言っても到底心境に於いて侮れる人たちでは無いと感じたようであった。確かに指導の綿密さもあるかも知れないが、何よりも根本は求道心をそそる精神文化の要求する処が高いということである。それが勝縁の性として見れば、その心が生じるだけの精神の内容が培われたか、持って生まれたかである。だから薄い求道心の者はその資質に於いて恐れるのである。
 夜十一時四十分、西谷啓拙居士の車は高田居士を乗せて一路三原に向かい、少林はそれから又、暫く禅談に花咲いて菩提心を駆り立てた。

     角 田 大 姉  篇

五月二十一日
 午後一時半、角田明子(法号・慈光大姉、書道の号・明舟)さん、誓った如く参禅のために海蔵寺へ上山して来る。何時ものあの魅惑的な美しい微笑は微塵も無い。真剣さが緊張の塊りとなって、反ってやつれを感じさせていた。顔の艶が無いばかりか可成りの疲れが見える。
 一時間ばかり法話をしながら、大阪からの来客を待った。これも又『参禅記』が縁である。坐禅に就いての法話を聞きたいとの事。角田大姉は聞きたい事、聞くべき事、知りたい事などが未だ明確に自己分析がなされていない。ために質問自体が別に無い。たった一冊の大した事を書いてある訳でも無い本に依って、わざわざここまで来ようとする者は、聞きたい事、知りたい事、聞くべき事などがはっきりしていればこそである。

 現れたのは四名、内一人は若くて美しい女性である。この社長(実は会長であった)は社員をこのような心の世界にまで踏込ませ、人生観や境涯辺まで語り合うほどの人間関係を展開しているとは大変な人物だ。本日は日曜日であって、此処まで一緒に来るということは社長とか社員の関係を越えて、一人間として人生観・価値観の共鳴とか旺盛な向上心とが無ければ出来る事ではない。
 こうした方々との出会いを角田大姉にしてもらい、読もうとさえしない人から、読んだらじっとして居られず仲間を作って遠くまで光りを求めてやって来て、一杯の質問をして次々に納得し心を整理して行く人まで、本という一つの縁に対して各も様々居る事を実感して欲しかったのだ。

 凡そ二時間半、社長の急所に迫る多くの質問に私は満足した。二週間の後の角田大姉の変り様を確かめて見たかったら来たらどうかと案内の約束をし、写真を撮って彼等は帰り、我等は少林窟道場へ向かう。寺は又々留守。
 お決りの定食メニューではないが、一応の献立通りに運ぶ。幾度か足を入れているとは言え、当人になってその人として扱われるとなると、繊細な角田大姉はいよいよ神妙になるのも道理だ。
 着物に袴を付けると、何故か皆いい男、いい女になる。それはどうも真剣な目の輝きと表情と気合いの篭った態度からであろう。世間の男どもなら誰でも惚れてしまうであろう彼女の充分な美しさが、凛々しさに包まれると急に壊れ物の様に透明感をかもしだす。軽薄な世俗の念が消失した途端、或る事に向かうあの一大決心が強烈感を与える。そうであろう、百人に近い生徒を二週間もほったらかして坐禅するとなると、大変な決断と勇気と段取が必要であった筈だ。軽い気持ちであろう筈が無いのだ。
「はい」「はい」で事は進み、
「では、後は隙なく、ひと呼吸に成り切りなさい。只一息だけですよ!」
「はい」
 と言うのを聞いて禅堂から出た。外の言葉が有ったようには思えない。「はい」は受諾と謙遜と決心と・・・、とにかく素直の代表者である。高尚に言えば無我である。万事に素直に「はい」の一言で済ませる程心が透明になったら相当進んでいる証拠である。
 坐禅もしないうちから進んでいるなんて、そんな馬鹿な事は無いと普通思うだろう。自然法爾とか無心とかの本質は素直の極を言い表したもので、我見の無い事である。我見が無ければ心は透明なので、それだけ引っ掛かりがなく、それだけその時は救われているのだ。いずれにしても直に分かる事なのだ。

 夕食は手元へ注意を仕向けるために色々言うので、無言の長い食事となる。心境はそんなに心念紛飛が激しくないような事を言う。仮名書道の作品作り等では、穂先へ相当の集中力が要求されるだろうし、その勉強に長年月を掛けて来たとすると、拡散して帰着点が分らなくなって苦しむと言う事は、本人の言う通り無いかも知れない。
「今の心境は? と聞いて欲しかった」
 と言うので聞いたらそう言うことであった。(そんなに辛い事でも苦しい事でもないじゃないですか、一呼吸はちゃんと出来ますよ)と言いたい節があったので、
「この一両日の心境なんて当てになんかなるものか!」
 と掻き消しておいた。初日というものは気負いというか気合いが入っているのと、精神的な疲れが無いのとで、少し一心を一点に置く事が出来る者は「あれっ」と思うほど調子がいい。九十五パーセントの人がその様である。しかし決してそれが向上を意味しているものではない。逆に何時もいらいらの生活をしている者はいきなり目茶目茶な目に合う事になる。何れにしてもどちらも取るに足らぬものであることが殆どである。数日で様変わりするからだ。食事が終わるや、
「一呼吸だけを真剣にやるんだ!」
「はい!」
 澱みの無い素直な返事と共に、様になった歩き振りで禅堂へ向かって行った。角田大姉の部屋は薄暗い侘しい処で、一人完全に隔離されている。禅堂の電気を消して部屋に戻るほんに僅かな時間ではあるが、不気味さは不安を誘わない訳が無い。今夜は殆ど眠られない筈である。連日の寝不足で私は十時に寝入っていた。

二十二日
 取り替えられた二ヵ所のサッシは、鋭く柔らかい金属音を立てる。禅堂に居ると誰しもその開け閉めが聞え、その人の即今への注意深さが読める。初めての夜はいきなりぐっすり寝込むなど難しい。少ししか眠っていないだろう。それでも角田大姉は六時前に、総ての音を消す注意深さでサッシが開かれ、内緒事でもするかのようにそっと閉めて坐禅に入って来た。いきなり調子を上げたな!
 この所よく雨が降り、昨夜も少し降ったので、薄暗い朝はしっとりとしている。霧が立ち込めているせいか、鴬が思い切り近くに来て朗々と名手の奏でりを添え、坐禅に精魂を込めるの人を愛でる。時は将に好し。

 食堂へ近づく気配には全く隙が無い。ポーズだけであろうか? 静かに廊下へ坐り、ゆっくり開けられる戸には自然さがある。中へ入り、又坐って戸は品よく閉められた。そして賀数居士同様に合掌低頭して挨拶をする。それから数歩歩いて膳に付いた。
「心境は?」
「昨日と同じです」
「一呼吸がちゃんと出来ますか?」
「はい。でも、雑念に持って行かれますけど直に帰れます。その事は昨日と同じですが、段々楽になっています」
「いいですか、特別なことをするのではなく、一呼吸の今になるだけですよ。一心不乱にそのものばかりになればいいのですよ」
 ゆっくりと動作するから自然隙はない。とにかく始まったばかりであり、今からつつくのは少し酷である。夕方まで用向きで広島へ行かねばならないことを告げて出た。

 予定通り夕方五時帰窟した。直に呼び出しを掛ける。朝と全く同様に静かに現れた。お茶を飲みながら心境を点検する。昨日と同じだと言う。一呼吸には至って簡単に帰る事が出来るという。今ごろ大抵は雑念妄想で七転八倒し地獄の真っ最中である筈なのに。
「昨日は寝ていない筈だ。短距離はいいが三日や四日で精魂尽きては何にもならないから、体の叫びを聞いてやり無理しすぎては駄目ですよ。真剣な時はぐうたら寝る者は居ないから安心して寝なさい」
「眠ようにも寝られないし・・・ それより写経でもした方が為になると思いまして・・・」
 書家だけあってそれらの道具を携えて来ているらしく、そんなことで貴重な時間を費やしたらしい。何を勘違いして居るのだ。
「この身は法の入れ物だ。それを軽々しく扱い、草臥れて壊してしまったらどうやって法を得るのだ? 休むべき時、休むのが自然であり法だろう。お経を幾ら写し取ってみたところで解脱を得る事は出来ぬ。
 眠っていれば修行していないと思うのは全く凡夫の思う事だし、写経のようなそれらしげな事をしていれば修行だと思うのも、形しか見えない世俗の目だ。そんな裟婆心にへつらう様な事をして、この身をいとうべき道を無視するとは何たる事だ。修行を勘違いするな。とにかく私の言う通りを真剣にやりなさい!」
 すっかりしょげ返り首をうな垂れて、力なく、
「はい、よく分りました」
 と言って禅堂へ行った。これだから目が離せられないのだ。忠実である積りでも、本質が見えない内は私の意が充分通じていないのである。どんなに真剣でも信じていても心が通じていなければ自分の考えで進むので、過ちも誤解も生じて行く。本人はそれで精一杯で、それ以外に内容が無いのでどうしようもないのある。どれ程の古参でも法が浅いとこちらの心がどうしても伝わらないのだ。自信を持って勘違いのままそれを良しとして堂々とやってくれると、私も困るが他の学人を甚だしく傷つけて修行の妨げとなる。中には後輩と見ると偉そうにしたがる古参も居るから油断がならないのだ。時間が経っただけで、法の無い者を古参とは言わないのだが。

 道の人とは、今、我見を捨てて単調に只あるよう努力している人の事である。相手と対立する余分なものがないので、何時でも誰とでも隔てなく気持ちよく抵抗無くさらさらとやれる。無我の働きである。
 ところが自己を立ててしまうと、同時に相手が出現する。こんな心では既に構えて対立しているので、外見では結構な修行者に見えても絶対に本来の坐禅修行にはならないし、人が気になって「あいつはこうだ、こいつはああだ」と心は自己中心に騒ぎ回るものだ。こういう者は法の人ではない。早く向上させるか切り捨てるかしないと、獅子身中の虫となって災いを引き起こす面倒な人物なのだ。

 晩に二本ほど電話が入った。昨日の大阪の矢崎氏と南井白巌師であった。矢崎氏は、皆ウロコが落たようだと、帰りの新幹線の間中感激の話でしたと言い、六月十一日から一週間、自分ともう一人の参禅会を開いて欲しいとの願いであった。『参禅記』の責任上と道のためにやれるだけやらねばならぬ。南井さんはこの二十六日に本の作成相談に来ると言うのである。
 その事を海蔵寺へ電話したら小積居士が居たので、
「角田大姉は矢張り今まで芸術上、長年苦しんで一瞬に集中するこつをどうも体得しているみたいだ。真剣にやりだしたら念が余り飛び回らないらしく、苦痛は無く楽になるばかりらしいぞ!」
「ええ! そんな! いきなりそれじゃいかんのですがね、あの地獄を体験してもらわねば・・・」
 別に苦しむ用は無い。楽で早いに越した事はないのだ。小積居士の冗談は、「矢張り大した女性だった、良かった」と素直に喜ぶ気持ちと、少しばかりの悔しさが見える。悔しかったらやれ! 人の事をどうこう言って居れる時ではない!

 角田大姉、さすがに参ったらしく十時に禅堂の明りが消えた。それでいいのだ。一心に眠る時、それは眠りの単である。それ自体如法であり道である。私は一時に床へ入った。頻りに降る雨は止みそうも無い。

五月二十三日
 このところ全山毛虫だらけだ。とにかく台所といわず食卓といわず天井といわず、何処からともなく入って来る。前代未問である。夜禅堂から帰る時、外の廊下で毛虫をふんずけたら、「きゃ!」なんて言うかもしれぬし、足を拭く為に難義をするだろうな。常々そう思っているので、朝禅堂へ向かう時、よくよく注意をして見るが今のところその気配はない。朝、その事に就いて聞いて見ると、
「どうしてですか? そうならないようにコンタクトを入れて、注意深く見て歩くのですから踏む事は無いでしょう」
 こういう事になると俄然理屈っぽくなるのが悪い癖だ。つまらん事にむきになるのは概ね女性が多い。女性の分からない習癖の一つである。
「はい、これからもそうならない様に良く注意します」とさらり爽やかに行かぬものか。そう言えばそれを取る為に私の処へ来ているのだから、私が愚痴るのは可笑しい。そろそろ親切心を発揮するとするか。
「今、何をしている?」
「食事をいただいています」
「どんな味だ?」
「どんな味って・・・言われても・・・」
「すぐ頭へ持ち込み、言葉で解答を求めようとする。それが我見なんだ。理屈なんだよ。理屈を取り我見を取って、拘り無く自由で豊な本来の自分になるための修行だから、妄念を切って本来である手元へ帰らなければならぬ」
「???」
「味はどっから来る?」
「???」
「静かに口へ入れて御覧」
 運ばれた御粥をゆっくり噛む。深く確かめている。
「それがその味だ。考えて味が味わえるものでもなく、知識があって初めて分るものでもない。口に入れば自然にその味がある。味とは舌と食べ物との縁なのだよ。その時限りのそれでしかないのだ。その外に何にもないだろう。その事実に本当に一体になって言葉を忘れ自分を忘れて行くのが修行だから、それを実行しているか居ないかを確かめているだけだ。
いいか、本当に修行しているかどうかを確かめているのだ。今している事以外に知るべきものは何も無いのだから、自分のしている事から心を離してはならぬ」
「これでいいんですか?」
 と噛んで確かにある味を、口では語る事が出来ない瞬間の事実だけだという事を示す。いきなり手元へ来たとは上等だ。
「疑問とは念相観であり、その物以外の有りもしない空想の世界に向かって他に何か別の尊いものが有りそうに思う事から始るのだ。つまり、今瞬間の事実自体から離れている事が原因なのだ。根本に在ればそれがそれだという事に疑問などは持てないのだ。
分るか!」
「今、自分のしているこれだけしか無いということは良く分ります」
「ね、それ自体には理屈を挿む余地は無いだろう。一心に只する、これしか修行は無いのだ」
「はい!」

 昼食の呼出しを掛ける。初日からそうであるが、いきなりきちっと動作して隙が無い。私の前だけのポーズであったら、体は板に就いていても目の動き、手の動き、常の立ち振舞い、食事の全般、言葉の速度から間合いに至るその人の全体に於いて、付焼刃で一貫させるということは大変な事だ。むしろ私の目をかいくぐることは不可能なのだ。既に自己の全般に渡って心が離れなくなっている程、即今底に着眼し如法に動作している。なかなか大した者だ。
 食堂へ入って食卓に向かう時、
「今、何をしている?」
 歩きながら私をしっかと見つめる。それは「これです」という挨拶と返事替りである。手元がしっかりして来たから、こんな質問は何でも無いのだ。道は常に道だ。道と一体となって初めて自己を越える事が出来る。道はようやく入ればようやく深しと古人も言えり。ここらで容易く認めたり流してしまうから物に成らぬ。
「歩いている者は何者だ?」
「自分です」
 と来るであろうと思ったら案の定だ。
「自分とは何者だ?」
「・・・」
「自分という特別な存在が別に在るのか?」
「・・・」
「満身歩行その物になっておる時、そのもの以外に自分とすべきものがあるのか?」
「・・・」
「その様な理屈が出て迷わすのは歩行そのものになっていないからだ!
歩く時、歩く以外にまだ自分があるのか!」
「・・・ありません・・・」
 張り詰めた神経がびんびんと伝わって来る。私に対して相当の恐怖を抱いている様である。これで師の言われた事が分らなかったら、その後何が自分の上に襲いかかって来るか分らない不安もある筈だ。心的圧縮度が更に上がって行く。
 何時もそうであるが、食事を前にしてそれどころではない突破しなければ此処で生きて行けない程の関門が次々と襲いかかる。心の内では「早く分ってくれ!」と叫けびつつ、耐え難い難問の濁流を投げかける自分には、決して自責などという世俗の気持ちは微塵も無い。あったらその方が、向上を求めて入門して来た求道者に対して器量の侮辱でなくて何であろう。自分で言うほどの馬鹿男ではあるが、私は愛情豊な人間である。心を込め祈りを込めて煩悩の本拠地に突撃を敢行している総帥者である。そこには、紛れも無く本来人が救出を待っているのだから、救出に手加減は禁物なのだ。凡情が消えてかなり深く一点上に帰納して来ている。
「歩いている者は何者だ!」
 私の言葉に呼応して静かに歩を進めた。一歩、又一歩。人間の体の中に歩行が潜んでいるのでもなく、歩行させる主体があるのでもない。体自体が起居動作歩行走行見聞覚知の機能を具え持っている。その時その縁に従ってそれぞれの作用が自然に発露するだけである。理屈を捨て縁に任せると、心無くさらさらと只さらさらと流れて行くのは、本来こうした自然の機能であり脱落しているからだ。
 何処に自分がある。歩行自体が、自分が歩いているなどと思っている筈が無いのに、理屈ではそうとしか考えて居らぬものだ。こんな理屈を理屈で納得させることよりも、その物自体になって理屈の無い事が本当だということを知れば、無駄な理屈は自然に治りが付く。ここが大切な急所である。どうしても修行しなければならないところがここである。頭で生きる学者がどうにもならないのは、根源的にずれているからであり、自分の理屈が処理できないからである。
 彼等が気の毒なのは、学の世界として禅を取り立てる事は止むを得ないとしても、禅を語るに只管も知らない程、禅の生命というか禅の本領から外れたところでしか扱えない事である。だからほんのちょっと雑念が収まった程度を、恐れも無く見性と称したり悟りだなどと言う。こんな程度で坐禅を語るから、本当の禅定家から全く問題にされないのもしかたがない事なのである。正師の元で正修行したなら、方向だけでも的を得る事ができるのだが。

 角田大姉の着眼がそれだけ定まって行ったのだ。とにかく、その物には元来理屈はないのだ。逆説すれば、理屈が取れればその物と親しく一体になって隔てが無くなるのである。どちらから説いても、要はその物と同化して我と言う煩悩の元が脱落することだけである。その物に我が本来無いのであるから、その物によって同化させられて只在れば良いだけだ。とにもかくにも[只]が総ての根源である。

 昼からのこと、静かに私の前に現れた。随分軽くなった自分に対して悪い気はしてない筈である。何を言い出すのかと思ったら、
「先生、私はコンタクトをはめていますので、ビンタはコンタクトに支障の無いようにお願いします」
 私がじんわり攻め込み、次第に追究が厳しくなって行き出したので、自分にもそろそろビンタぐらいは覚悟しなければならないと思ったのであろう。誰でも彼でもぶん殴っている訳ではない。急所に来させるために最も多くやってきたが、そこへ早く気が付いてぴったり修行が出来るようになっていれば、何も殴る必要はない。私はとても心根の優しい暖かくて思い遣り深い禅僧であることを自負している男だ。無暗に殴ったりする訳が無いではないか。話はまだ続きがあった。
「こちらに入る前から緊張が高まっていた性でしょうか、ずっと便秘でして・・・」
「じゃあ、未だに一度も?」
「はい」
「だから食事が細かったのか。腹具合がおかしいと眠りも浅いだろうし、それはいかんな。何とか手を打たねば。しかし、糞ぐらいは遠慮無く出したらよさそうなものを。何でそんな物を何時までも腹の中へしまって置くんだ?」
「はい」
 これらに対して全く理屈が無かったのは上出来であった。素直に淡々と聞いて終わっていたのだ。練る事だけは真剣に実行して来たのであろうと思うと、気の毒さが髴として来る。しかし、食も細くコンタクトに便秘ときたら、聞いただけで心配が先に立つ。だから何処をひっぱたいてやろうかなんて考える事はないではないか。とんだ防備論を持ち出してきたものだが、これから先がある。何とかしてやらねば。美女の便秘は後々まで話題になりそうでもあり、陰山夫人の神経と足して二で割れば案配としたら調度いいように思うが、時としてこういうアンバランスがあるから人生面白いのだ。
「私はこちらへ来させて頂いて、益々快食、快眠、快便です」
 と言ったあの陰山夫人の快活なる笑いを思い出すと、かくも繊細で華麗な神経は聊か難義をするだけ損なことである。取り急ぎ薬を購入し、私が牛乳に弱くて冷たいのをやると忽ち下痢となるので、それも一案として買って来た。ところがそれを使ったデザートを角田大姉が作って食べさせてくれたまでは良かったが、本命の角田大姉ではなく、恐ろしい事に私がそのために三度も下痢をすることになってしまったのだ。どうも話は巧い具合にはいかないものである。
 これから先、この便秘論は華麗に語る者と、全く無神経に汚く語る者との一大関心事としてずっと続いた。こちらにしてみると、着眼工夫のための現成公案として、これまた実に好材料となっただけは功徳と言えば言えるものであった。

五月二十四日
 そんなこんな状態ながら、便所と食事以外は禅堂である。とにかく無駄な努力かしょっちゅうトイレに通っている。顔を見ればそれが皆空打ちである事はすぐ分る。かなりげっそりした感じがして来だした。取り上げて言うならそれらが特別なことだけで、総て綿密にいよいよ慎重になり、心騒ぐ物は落ちて行っている。
 午後、買物をして帰って来たら、
「出ました」
 と壮快な笑みを洩して私に訴えた。
「何が?」
 分り切っている事柄が問題なのである。どのように表現してもいいが、より理屈を離れ即今底その物にあることが肝心なのだ。この「何が?」からどんな妄想を起こすか、それとも如法にあるかが修行者の問われるところである。こちらはそれの仕掛け人であり、常に点検して居らなければならない中心である。返答次第で大変な事になっていく訳だ。
 少し腰を落として、
「うううん」
 と臭い奴を落とした。理屈は何処にも無い。その物それだ。
「よかったね」
「ご心配をお掛けしました」
「どんなやつ?」
「びちびち」
「どのくらい?」
「びちびち、びちびち、びちびち。まだ多少は残っていますけど」
「楽しみがあっていいね」
「はい」
 美女と禅僧との臭い話ではあるが、この間、女も男も糞も何もないところが如法の世界の美しい処である。後は本人の爽快感がそのまま私の心を軽くした。さらりとここまで心境を高めていたとは大したものだ。

 遅い夕食の時、
「先生の今まで仰った事が本当に良く分ります。本当に不思議ですね」
 それからは少々難しい高度な法話をして、大法の尊さを説いた。角田大姉の人生がそれ程長かったものではなかったにしても、生きて来た人生を尊いものであったという自覚が持てた事は素晴らしい事である。そして、これからの人生が更に尊いものであるという生きる価値観の向上は、知らずして人生を豊なものにして行くであろう。

五月二十五日
 朝、私はまだ寝床に居た。相当早くから禅堂で頑張ったのだろう。ドアがノックされて私は慌てて飛び出して行った。何時もの姿ではあったが、目に涙を浮かべていた。吉か凶か。
「私は間違っていました」
 感極ったか、なかなかそれ以上を語ろうとしない。色々聞いて見るのだが、
「そんなんじゃありません」
 を繰り返すので、次第に照準が上がっていく。
「一呼吸を今まではしていたのですが、それが間違っていたのです。一呼吸は何もする事ではなかったのです」
 これは吉だ。いよいよ本当にただ呼吸が出来だしたのだ。よく顔を見ると喜びでもあり自信でもあった。
「まあ座りなさい」
 と言ってお茶を出して、
「手を用いずにこのお茶を飲んでみなさい」
 無心に手を出して極普通に飲んだ。
「その心は何だ?」
「言葉に用が無くなり引っ掛からなくなって・・・ 自由にやれるだけです。これは別に手ではないんです。これだけです。そんな言葉もいらないんです」
「そうだ。心念紛飛が治って来ると、自然に過去の束縛である観念が切れて来る。そうすると現実の真理が丸見えになるのだから不思議だろう。今は何も無いでしょう、だからさらさらやれるんだ。表現のしようが無い楽さでしょう?」
「はい。本当に」
「ここが只管ですよ。これを正しい念、正念として何処までも相続し練って行くのですよ。外に何もしてはいけません。何も無いこの念で生活して行けばいいのです。縁が熟してその物と本当に融合し我を忘れ切って初めて本当の空が体得できるのです」
「はい!」
 たったの五日目の出来事であった。二十年間、書道に打ち込んで来た、たった一つ事への執念が、一つ事をしているうちに余念を払い除けて、心を治める道を自然に会得していたのだろう。そうでなければこんなに早くここまで来られるものではない。こうなって来ると本人の天分というか資質というか、性格がかなり影響しているようにも思われるが、一瞬の心を治めるという課題と努力は皆一つ事であるから、結果としては皆同じである。
 だがもし、もっと早くこの法を聞いていたとしたら、心の治めをポイントにして学習したであろうから、人生の活路がぐんと開かれていた筈である。

 禅とはかくも手近で生活そのものなのだが、どうして難しく特殊な人のみがするものと思われる様な説き方ばかりしているのだろうか。思えば不思議でありもったいない事をしているものだ。内容と涙があったら人を迷わすような事は出来ぬ筈だ。
 非常に複雑な世の中になって、生れ落ちるや自然な育ち方さえ見失われてしまった。親や教師に依って、教育という美名に躍らされ、確かな本人の中身が育つ教育ではなく、調教と飼育のようなシステム体制では、きらきら輝いた心が育つ事は絶対にない。根本が人間的成長を疎外され、結果として生じている幾多の問題。このことに気が付かないことに対して、大変な将来になっていく事を恐れるのである。これは愚痴。

 この晩、私は実に心地好く晩酌をした。角田大姉はほんの一口の酒をなめるようにして飲んでいた。心境の爽やかさは話を弾ませた。が、調子に乗ってつい口にした言葉の幾つかが角田大姉の心を次第に崩壊させていったのである。初めは勿論、どんな言葉であっても言葉ではなく只の音に過ぎなかった。今の心境なら当然そうである。この力を私は信じていた。
「良かった。こんな事が淡々と音として心静かに聞いておられるなんて・・・」
 と言っていた。自分でもそんな静かな様子に改めて感動していた。しかし、過去の事であったとは言え、角田大姉をして飛び交った言葉は人格をずたずたにしてしまう最高級のひどいものであっただけに、前後際断のまま一瞬の音では済まされ切れなかったのである。

 人間性に関する物事は自己存在の根底から、つまり感性、徳性、知性、信条、意地、批判、決断、などありとあらゆる精神行為が取られていく。感情が恨みつらみの方向へ働き出して行くと憎しみや怒りへと及んで行くものである。知性とか理性とかのデーター処理部門というものは感情が大きく振幅し始めてしまうと、忽ち蜃気楼的に砂上の楼閣と化して、心の安定と質を保障するほどの力はとても無いのである。感情とは最も美しく輝くダイヤであると同時に、我見という炭素である限り簡単に燃えて消失すると全く同じである。
 これらを何処で解消出来ているかがその人の人格であり教養である。角田大姉がどこまでも自分の事とせず、その時の音の縁のみで淡々としていたら、本格的に修行者の本分を全うしていた事になるし、ここまで如法に出来るとしたら早晩ぶち抜くこと間違い無い。ところが、相手立てる自我が生きている限り、自分の人間性を目茶目茶に言われたら当然恐ろしい感情が騒ぎ出して行く。悲しいかな目の前で崩れて行く様子を見ながら、過信していた自分を呪うが如く後悔した。
「そんな事もあったのですか。今思えば可笑しな事でしたね! ははは!」
 と笑いが出て来て、現実の素晴らしい人間関係を心地好く嬉しく再認識してくれるものだと、愚かにも期待していたのだ。

 朝になった。角田大姉の状態は更に悪化していた。態度こそ冷静であったが、目には涙でその打撃を物語っていた。こうなると少しばかりの禅定など[へ]の役にも立たない。
「その心、何処から起こって来るかに着目しろ! 今は修行中だ! くだらん過去の人の言葉などに気を取られている時ではない!」
 などと、修行の本分へ戻そうと努力するのだが、悪い方へ悪い方へと意識も連鎖して落ちて行くのだ。
「どうして私にそんな事を聞かせたのですか!」
 と何度も攻められた時、本人の心底には、もう此処へは居られないというぎりぎりの気持ちが見えた。母の事も頻りに口にし、
「こんな気持ちでは坐禅どころではない」
 と悲しい葛藤渦巻く心底を持て余していた。勿論体調としてその後も、あの有難いものが出ていない不快感などが伏線的にあったことも原因の一端になっていたであろう。こうなると忽ち回復の妙手段が無い。そのまま空気はどんどん不吉へと向かい、いよいよ何かが飽和状態である。投げかける言葉も次第に世俗的になってしまった。
 最悪は諦めと挫折であるが、二十年前結婚に失敗して、死と書道とを天秤に掛けて書を選んだ人生を経ている人間が、どん底に見せる開き直りの気力を、私は最後の法縁として信じていた。

 午後、小積居士が現れた。角田大姉の部屋が少し開いていて、荷物も整理され挨拶をするばかりの帰る様子であるようだと私に告げた。私はそれは体調が極めて悪いからだと説明しておいた。
 一頻り話て帰る彼を玄関に送った時、角田大姉の履き物は何事もなくそこに有ったのを見て、禅堂に行った事を確認した。部屋は確かに整理されていた。が、小積居士の出現で俄かに本来の自尊心が挑戦欲を刺激したのであろう。今までの経緯から、私はそれこそ当人らしいと思った。

 三時間は頑張ったであろう夕食の支度に現れた気配を感じて、仕事を中断して出て見ると果せるかな角田大姉であったが、それは既に別人であった。
「大変ご心配をお掛け致しました。もう大丈夫ですから。これからも頑張りますから宜しくお願い致します」
 台所での立ち姿には、淡々とした切れの良さがあり、今まで以上に手元には慎重であった。乱高下は誰にもある。それも度々ある。こうして危なく取り留めたが、この程度の目的意識は、本当の本来に向かって胆から生じた菩提心でないところに脆さがある。こうした参禅者は殆どがここ止りというのが相場で、少しばかりの古参が古参風を吹かしたがるのも、自己自身の本来に向かって究め来たり究め去る本当の目的意識でないからである。人が目に立ち、人の言葉で参禅自体が崩壊していくような軟弱さでは絶対にこの大法を得る事は有り得ないのだ。つまり、自我を破る事は不可能なのである。
 折角立ち直った者にこの様な言いぶりは無情であるけれども、道を道とし、法を法として守っていくためには人情の余地が有ってはならないのだ。かと言って角田大姉がつまらないとは決して思っては居ない。それどころか、参禅入門僅かにしてこれ程の向上を得て、例え乱高下したにせよ、見事に立ち直ったということは掛値なしに賛嘆に価するのである。この事は又、私をも救われた感がして、素直に大変嬉しく思っているのだ。

五月二十八日
 何時の間にか角田大姉が食事を作って片付けていたことに初めて気が付いた。何時も母に作って頂いているので、自分は一切した事が無いと聞かされていた私は、すっかりその気になっていた。どうしてどうして、無駄も派手さもない。出来上がりには品も有り味は合格点であった。感心すると、
「そんな・・・ まぐれの出来合いですから・・・」と恥かしそうに顔を俯けて、(こらえて下さい)という風に手を振って否定する。大した材料も無いのに(これでは修行中とは言えないな)と思える程の物ばかりであるから、餌的感覚の私から見れば感心続きである。別にその微笑が見たくて感心している訳ではないが、何とも謙虚と品とが役者とも絵とも成っている。実に得な女性である。そう言えば二回目の蘊蓄を傾けたと漏らしていたから、気分も体調も絶好調なのかも知れない。

 無論心境は一層充実して極めて如法である。もたらされる自然の環境は最も適温適湿にして、鴬もおまけつきののど自慢に酔うている感じさえする。そんな好時節の昼下がりもやや過ぎた頃、小積居士と嵩居士が、作務衣姿もさることながら隙を見せぬ歩きぶりで坐禅に現れた。このところ小積居士は、
「忙しさに流されっぱなしで・・・ いかんですわ。忙しい中でこそ坐禅しなけりゃ」 と言って昼前とか昼過ぎとかに禅堂へ来ている。あの忙しい中に於いて少しでも坐禅しようとする菩提心は、長くは続かないにせよ大変な努力である。(これが主原因ではないであろうが心臓を悪くしてしまった。彼の忙しさは尋常ではないのである。道場へ来ての坐禅は禁止し、家で寝坐禅を勧めた)
 嵩居士は殆ど毎夜坐っている。この二人が昼間揃って現れたのは珍しい。角田大姉の様子伺に違いない。私は直に本人を呼んで引合わせた。
 すっきりしている角田大姉を見て安心したようだ。着物に袴姿、その上無心に凛とし、自信に満ちた話が、ある脈を打って行き来すると心境が高く安定しているだけ角田大姉に分が有って当然で、彼等は素直に敬意を表して行った。
「どんな事でも仰って下さい。ただ音として聞けますから・・・」
 と笑顔を乗り出すようにして、尋ねてくれた法友の真情に何処までも素直に応じていた。
「いえいえ、とんでもないことを。角田先生が今まで取り組んで来られた書道で培われた一つ事に成り切る力は、私の様にばたばたした毎日とは違って、心を治める深さが違いますから・・・」
「どうぞ仰って下さい・・・ 私、本当に諦めて帰ろうと思った日もありましたが、頑張って良かったと思っています」
「本当によく頑張られましたね。私たちにも大変励みになりました。どうぞこれからも頑張って下さい」
 こんな会話を取りにして、彼等は音もなく去り、角田大姉は何時までも合掌して、五月の終わりの窓越しに、法友二人の下山を無心に見送っていた。努力を愛でる二人の紳士が一層角田大姉を啓発した結果となり、彼等の来訪が意外に心底を穿ったようであった。

五月三十一日
 午後三時過ぎ、浅田居士遂に出家の志を抱いて上山して来た。よくぞよくぞ。家族の説得は大変だったであろうに。彼は確かに求める根本が違うようだ。決死の空気が少林窟道場を包み込んだかに見えたら、角田大姉は抜き身の刀の様に研ぎ澄まされて冷たく動く。丸で蝋人形である。それでいいのだ。一度は徹底木石にならなければ本当の今に生まれられぬのだ。
「やはり一人よりも誰か居らした方が気合いが入って益々いいです」
 とのこと。今一つ決定的でなければと、ビンタのようなものをと案じていた時だけに、彼の出現はことの外良質の刺激になり励みになった。この所、昼も夜も時を盗むようにして少林にて坐禅している小積居士。夜坐が終わって嵩居士と共に食堂へ集まった。浅田居士の固い決心の態度と、角田大姉の透き通った無心の表情が今の少林窟道場を象徴している。
 五人は言葉少なく、尊敬の念だけは捨てられず光る。そんな時がしばし流れ、法友が二人増えた少林の五月の最後の夜は厳かに深まって行った。
 十時も過ぎた頃、大阪から急遽帰ったと言う大築産業の大井手社長と弟さんが現れ、座は一段と花やぎはしたが空気は少し俗化した。とは言っても決して話も内容も低俗化して行く人は誰も居ない。ただ凛として背筋が自然に延びているあの少林窟道場特有の心地好い緊張感が無いと言うだけである。
「海蔵寺の幽霊ですが」
 とにかく前触れ無くしてひょっこり夜の寺に出現する女は、さしずめ幽霊ということにしてあるので、このまえ夜の海蔵寺へ現れた時、
「貴女は海蔵寺の幽霊じゃ。前触れなしに突如夜現れる女じゃから」
 と言われたのが痛く気に入ったとかで、自ら幽霊を名乗ってお倦怠で夜の道場へ現れた。大井手さんの到来で、純粋で歯切れの良い快男児たちと久しぶりで語らう。夜も二時を迎え、下山した時には眠気も通り越して浅田居士は禅堂にて四時近くまで坐禅していた。角田大姉は、
「本当に有難うございました」
 と、手をついて自然ながら完璧な挨拶。心からの感激と自信が[のし]を付けたように重厚であった。
「いやー、本当にそうなんですね。ただ無心に居ると何にも思う事も無くて・・・ それが又、お話される皆さんの心の様子が丸見えなんで驚いてしまいました。安心と何とも言えない充実感、本当に素晴らしいですね。
 この様にまで導いて下さいまして・・・ 本当に、どうも有難うございました」
 と言って又挨拶。以前はきらりとした持物が在って妙な存在観があったが、すっかり消失していた。目の前に居る角田大姉は、限りなく自然であった。とても嬉しそうな様子は決して悪い感じではない。しかし、これが大変な落とし穴でもあるので、私もうっかり嬉しがっては居られないところである。
「以前でしたら、自分の出番が来るまで待っていた黙り方でした。自分の思いをお喋りしたくて・・・ そんなんじゃないんですね。何も無く、満足の今、只それだけです。ところが、皆さんの気持ちが直に伝わって来て、それがとっても嬉しくて・・・ 今、本当に幸せです。心から感謝しています」
 もったいない程の充足感だ、と言いたい様子の角田大姉の夜明けの近い挨拶であった。しかし、根本が切れて脱落していない限り、自己が立っているから縁に触れるとすぐに禅定が壊れ、心念紛飛して心の静けさが無くなって行く。修行の仕方である脱落のための確かな方法が手に入ったに過ぎない今の様子である。これだけでも実は大変な事なのであるが、これからの修行としての継続が果たして出来るかどうかが最も重要なのである。

六月一日
 順調に向上して行く姿を見るのは何物にも替え難い。天気もこのところ窮めて良好にして、日中も夜も打坐には最高である。浅田居士の出現により、道場は早朝から厳しい緊張感で始った。
 この前の浅田居士は「僕は料理は全然駄目」と宣言して一向にしようとしなかったが、僧となり弟子となってはそうもいくまい。角田大姉の結構なる炊事当番で、私はすっかり台所から開放されているものの、実践の工夫の要点が確立するまではと、皆と同様に出来るだけ手伝う様なふうをしながら付いていなければならない。抜かりはまま有るが、無言で慎重に動作する。至って淡々と流れに任せられるようになっている。見事だ。
「これ、何の臭いだね?」
 浅田居士にもこれをぶっかけたら、
「カレーライスです。」
「ばかもん!」
 と相成ったが、直に手元へ帰り、臭いそのものを出してきた。
 高田居士はさすがに実地で練っていたから軽薄な詐欺行為には引っ掛からなかった。 御でこ殿はあっさりつまずいて「ぱっ」と分ってすぐに手元へ帰った。こうなると、我が少林窟道場の参禅は気の毒ながら、台所まで師が付いていて即今底を試されっぱしだから、大男も次第に小さくなって行くのも道理である。考えて見れば学人は大変である。けれどもこの実地での着眼が定まらなかったら、どの道日常底では坐禅も工夫も、やる気が有っても何にも出来ないということなのだ。さればこのくらい徹底した有難い指導は無いと思って欲しいものである。
 角田大姉は既に十日以上我が元で研参しているし、手元は元々自覚症状なしにすでに或る線を会得していたから、ここらにぶっかける質問としては丁度ころ合いのものである。別に先輩たちのこうした成功例や失敗談を聞かした訳でもないから真正に本人の修行の内容が出て来るものである。こう言う時のこちらの気持ちというものは特別計らっての事ではなく、修行者として本当に「今、その事にただ在るかどうか、雑念に遊んで居るか居ないか」を点検しているに過ぎない。性格的に自己顕示欲が強くて、少しの向上でも直に自信にするような器量の小さい者には、程度の低さや甘さを知らしめなければならないので、「それ見ろ、自惚れておるから手元が抜けてこんな事が分からんのだ。自分を忘れて一心に只やれ!」と教示する動機のために失敗の期待をすることがある。勿論その逆もあって、何れも向上に必要な手を打っている事には違いない。今は本質的な点検以外の何物でもない。

 角田大姉はすんなり私の期待を満たした。油断なく一瞬に工夫をしていた事がこうした時に現れる。事実に自分を預けてその物に成り切り成り切りの努力をしていれば、参禅の要点はそれしかないので、必ず或る一つ事実に突き当りそれがそれを動かしめてそうさせるものがあるのだ。頭で修行している積りの者はどうにも手が付かない世界だし、想像すら出来ない代物故に、すぐ本物か偽物かばれるのである。

 現成公案というものは、参禅の内容を充分に確かめ、そこに未だ隔てがあったり余分な計らいや念が添ったりして、自己流の修行をして居ないかどうかを微細に見て、確かな着眼へ導くためにどうしても必要な道具なのである。
 曹洞禅では[只管打坐、只管活動]が総てである。誰もが言うこの言葉は道元禅師の生命であり仏道の根幹であって、決して単に参禅の手段で言われたものではない。只管打坐、只管活動は仏祖の行履であり修証の全体である。拡散さえも治められぬ時には念の起こりも裁断することも切れた様子も分らないから、只管がどんな様子のものであるかなんて分り得る筈はないし、ましてやいきなり只管打坐、只管活動が出来る訳は絶対に無い。問題はそんな大事な[只管]を、今日どの程度会得して使っているかと言うことになると、甚だおぼつかないのが現実である。信じて就いて行く学人にしてみれば、これは大変な事だ。
 今日では単に形を整えて無目的に坐って居るのが、曹洞禅の只管打坐だと言う事になっているらしい。宗祖も泣くに泣かれぬ心境であろう。身にも心にも為す事なしの本当の無目的であるなら誠にもって賞すべしであるが、心念紛飛しているままの内にこれが出来ることはあり得ない。出来たら心念紛飛などとっくにけりが付いていなければ成らないからだ。
 菩提心もなく求道心もなく目的意識もなくして、心念紛飛し雑念するままに体だけが坐禅の形を何時までしてみたところで、諸仏祖師の念諾を得るものは聊かもない。つまり、救われる事は絶対に無い。単に坐って居れば良いとして、即念に工夫をしない参禅は悪戯に稲を植えて実も藁も求めないのと同じで、塩に辛さ無く砂糖に甘み無きに等しく何の意味も効もない。却って法の人として尊敬を受けるので名聞利養の好材料である。そうでなく真剣にしたとしても菩提心なければ時間の無駄遣いとなり殺生罪に当る。地獄に落ちて長時の苦を免れぬ。恐るべし、恐るべし。
 但し、若干の落ち着き程度はもたらされる、がその程度のものは何事であっても一生懸命すれば心身の統一が取れてすっきりするものだ。このことは知情意の分裂状態が統合一致した安定状態になった様子である。では、何故そうなるのか。人間の持つ機能は測り知れない程ある。殊に精神作用は無限大であるから学として見ているところのものはほんに僅かである。普通ある目的に対して一生懸命に打ち込めば、人間の機能は根幹から末端に至るまで一連一体化して初めて高い精度の働きに達する。この時肉体と精神とは渾然一体となり、知情意の勝手な混濁作用を来す野党的な心的操作が起こりにくい。まことに美しく健全な状態である。これが一般現状で到達し得る最高の様子であろう。
 しかし、これは仏法でもなく禅でもない。只一時の安定状態に過ぎない。况や解脱の法門としての禅とは全く関係が無いのである。
 坐禅が仏法の総府と呼ばれて来たのは、真に解脱をもたらすからであり、無上道にして無二無三の真実であるからだ。古則公案も現成公案も只管打坐、只管活動も解脱の法門として一連のものであり何れも無視する事は許されない。
 公案が何を意味するものか、現成公案とは如何なる目的に使うのかは真に参究した宗師の働きに依っているもので、志もなく弁道もしていない者には初めから手も足も出せないし取りつく島が無いものである。如何に禅理に通じていても所詮一字不説である。言葉の外の大きな様子である。ここに師と弟子との厳しい相伝の絵巻がある。その元は、ただ求道者の高い志によって起こされる真に人間苦悩の開放と、人間大好きの底知れない深い愛に促され、求めて止まない純粋なる熱意のほとばしる姿が、色々な禅問答となるのである。分からぬ者が自ら分からぬだけである。

 角田大姉の御馳走で餓鬼道になっているところへ、再び陰山居士が単身で現れた。思っていたよりしっかりしていたので安心したのだが、目がえらく血走っている。まだまだ心の休まる時が無いのであろう。どんなにかせっぱ詰まった息苦しい切ない毎日であったろう。可愛そうに。
 午後三時、浅田居士の断髪式をすることになった。一同威儀を整えて仏間に集まる。着物に袴は勿論の事、裟婆的な雰囲気は全く無い。清潔清楚の心そのままに身を包む。灯明と線香の香が六月の好時節を一層荘厳にしていた。角田大姉の介添えで、買って来たばかりのバリカンは見る見る裟婆の象徴を切り落として行く。彼の骨相は異相である。禅骨充分の未来は、彼の菩提心と重ねると計り知れないものが伺える。箱に取った未練無き髪は仏壇に具えられ、愈々仏界への不惜の身と成る事を誓う。

 私は慌てて彼のために一句を拈弄した。頌して曰く、
仰冀三宝伏垂照鑑。上来拈香謹諷経般若心経集処消息。有浅田昌弘居士今此処欲頓断世縁凡情。即剃髪而帰依三宝。奉供養大恩教主釈迦牟尼仏諸天善神諸仏諸菩薩仰広大慈恩祈大法成就。是之発菩提心而四六時中只向無理会処窮来窮去可。為如法他事不可教在。是仏道之亀鑑而少林之宗風也。更何有楽。誓打破生死根塵頓了得無性真空妙智而度無辺衆生。
  維時平成元年六月一日
                              少林 元光 謹曰

 末語に及んで涙を禁じ得ず。此処に一人の法材を得、仏界に送らんとするの時、彼の身の上に健康と道心堅固を祈らずには居られなかった事は言うまでも無い。禅堂にて聖尊に礼拝し、我が師の玉座に挨拶する因み、
「此処にお姿は見えないが、我が師の常に居られる処である。私の残りの一点のけりが付かなければ師も安心して居られないので、何時も此処に居られて私を見守っていて下さるのだ。私は師に激励され叱咤されて頑張っている。君も見えざる師を感得し、十方に祖師を見るの心の眼を具し、道を思い古道を慕いなさい。この時諸天善神諸仏諸菩薩はそのような道人を養護し守ってくれるのだ。この事を深く信ずる消息が、山雲海月これ祖師の心印と現成する時節である。夢、古仏の座する処、軽率であってはならぬ」
 彼は徹底聴受し徹底得心した。

 次いで老尼の居間にて礼拝。そして湯を立てて彼を一番に入らしめ、晩餐は角田大姉の肝いりになる豪華な料理で祝杯を上げた。彼一人の出現がどれ程の法縁をもたらしめるか、前途への思いは熱く重い。角田大姉も陰山居士もこの法縁に会いしことを事の外一大事因縁として喜んだ。人生を掛けた一人の男の出家の厳粛な儀式はこうして終わった。
 調度その時、嵩居士が坐禅に現れ彼と挨拶するに、無言で浅田居士の手を握り、その堅い堅い握手は激励と祝福を兼ねていた。頭髪の無い全身から出ている気迫と真剣味は最も美しく尊いと同時に、その道狂は道心の無い者には気味悪い変人と映るであろう。嵩居士の無言の姿は何時もながら素晴らしい。言葉少なく、目は深く確認し合った乾杯が再び行われ、嵩居士と共に皆は大河の様に空気の様に禅堂へ向かって行った。
 時は既に十時を過ぎている。少林窟道場には[今]は有っても時間に拘束を受ける事はない。道と菩提心しか用は無いのである。禅堂の火が消えたのは果たして何時であったか私は知らない。確かに一時過ぎまでは仕事をして見守っていたのだが。
 貧しくみすぼらしい道場ながら、時の過ごし方は仏祖に恥無きを得ている。

六月二日
 朝の四時から禅堂に灯りが付く。浅田居士であろう。無理をすると揺れ戻しが大きいからと、朝食の時注意をする。彼は今、あらん限りの努力心で即念を練っていく事しか無いであろう。極限状態の沸点である。そのためにここまで来たのだ。少々の消極的な忠告は水を差すようにしか響かぬ筈だ。
 角田大姉はじんわり向上して、さしずめ工夫に苦労するという様な事は全く無い。一点が定まれば皆そう成るものだ。後は誰もがそうであるように、この正念を相続して他事に落ちないように努力する事しかない。凡情が尽きた時、自然にその物と親しくなって、その物に依って脱落せしめられる時節が来るのだ。だから[今、自分のしている事を離さず捕らわれず、単調にただしておる]ことが解脱への最短距離なのである。着眼がはっきりした程度の今の心境は手立てに過ぎなくて、人生を手のひらに乗せて自由にすることなんてとても出来るものではない。とにかく、努力の仕方が分っただけであることをよく知るべきである。ところが、この事を骨身に沁み込ませ、細胞にまで浸透させたくても、どうしてもそれが出来ない。じゃによって皆そこらあたりでうろつく者ばかりである。私の指導力も全くもって大した事はないようである。

 静かに時は流れる。何にも流れていないのは流れのままにある今の只の様子だけである。時とともに食事も昼食となり、のどかな午後は道場をひっそりとさせていた。浅田居士の猛然たる勢は今日の自然とは裏腹の感がする。彼にとっては一際美しいここの鴬の声も食事のメニューもそこはかの立木の如く路傍の石に等しかろう。しかし、この様な一途にして一途なる真剣味はそう続くものではない。もし、これを真に継続する事が出来れば間違いなく祖師のごとく成る。そうなるためにはどうしても突き破る一徹なるエネルギーが根底に無ければ成らぬ。本来そうした資質に生まれていれば問題ではないが、大概はそうではない。そこで自らそのエネルギーを供給して行くのが菩提心である。願望と行動、即ち修行の継続である。彼にそれを促し続けて行く事が私の最大の使命なのだがそれには、
 第一に純度を保持していくための雑物混入を防がなければならない。これは特に人が問題である。
 第二にに叱咤激励である。本人直接のものであるが、二十七才という年代は二十才前後のような向う見ずで何時も沸点に近いものからは、要領の案配を大所高所から計ろうとする対応性がかなり身についている年になっている。ここらに充分納得いく説得が大変で、気持ちの穂先をぴたり合せられるか否かが決め手となる。これを思えば自分の器量不足をいやという程見せ付けられているので気が遠くなって来る。こんな師を選んだ人こそ不憫と言わねばならない。

 角田大姉が明日下山するに当たり、今夜激励の宴を催す事になっていたので、夕方に掛けてあちこちから供養の品々が搬入される。殆どが小積居士と嵩居士による供養で、彼等が又この事を法悦としてしてくれる事を誇りに思っている。人に供養するということは出来るようでなかなか出来る事ではない。物に執着が有ったら心に必ず問題を起こして来るから続かなくなるのだ。
 私が風呂を湯立て、出家人になった浅田居士を先に、次いで角田大姉を入れる。私は彼等の健闘を祝福する最大の贈物として、こうした主客転倒に見える形ではあるが心からそうしている。
 例に依って角田大姉の手際良さが台所で光る。準備の整うに従って人が集まり始めた。嵩居士が迎えに行って彼女の母上が到着し、十楽居士、大阪から再びわざわざ角田大姉を自分の目で確かめ激励するためにと、ハイセンス(現在フェリシモ)の会長と幹部一人が到着する。それに続いて次々に現れ、久々にここでの宴が開かれた。
 ほんの少ししか飲めない事も知っていたので「飲み物は何が好きか」と言う私の問い掛けで、角田大姉の細やかな希望として仏通寺ワイン白の所望があった。一口宣の後に上げる乾杯は盛大だけではなかった。それは浅田居士が出家したことと、陰山居士がぐんと良くなり初めた事も、大阪からの特別な二客人と家内も娘も参加した、かつて無い内容であったからかも知れない。
 殆ど性癖になっているこんな宴の主役に問い掛ける言葉は一つ、
「角田さん、今の心境は?」
「何もありません。今は只これだけです」
 と言って例のごとく彼女らしい丁寧な合掌低頭を皮切りに、互いに爽やかなアルコールの勧め合いに従って、話は又々例のごとく急速に盛り上がっていく。
 たかだかこのくらいの心境は取るに足らない事なのであるが、このまま熟させれば確かに素晴らしい解脱の世界が有るということを確認させることが出来たということは大変な事なのである。この世に於いて解脱し、煩悩を菩提にすることが出来る道があることの尊さを知るべきであるし、我見の激突が国家の命令となると殺し合いも正当と成ってしまう人間世界のエゴを、本当に浄化して人相助け合い敬愛し合って行く精神の根本自覚をもたらすことが出来るのは将にこの道だけである。これを大乗の法門と言う。
 釈尊の出現によって仏法が発見され、人類が根源的に救われる道を示して下さったということを、法悦と共に報恩を禁じ得ないのである。本当に人類を救い、この地球と言う星を救えるのは、この解脱の道を行じて後の話である。
 話は弾み、私はビールの虜になって十一時すぎ、すんなり床の人となっていた。

六月三日
 朝、うすらぼけた顔をして出て見ると、同類も居たが皆しっかり坐禅していた。昨夜の角田大姉の宴は何時になく話が地球規模の危機感と救済論に発展し、程良い私のビールの量とがこれまたつい口から何時もの理想論が飛出していて、それが矢崎居士の何かをひどく刺激したようであった。
 朝食後、矢崎会長の幸福論を聞かされた。実現性、具体性が極めて豊富にあったこともさることながら、綿密に図式化し体形化してあったのにはびっくりしてしまった。自由社会の構造から起こっている今日の生活環境条件に対して、ここまで考えて幸福ということを掘り下げた論理を見た事がない。只、論理をどこまで掘り下げて行っても、人間の持つ自己絶対他否定の生命維持本能から脱却していない原始形の精神構造である限り、条件整備による幸福観は、限りなく人間性を頽廃させる危険性をも高くしていくのである。勿論衣食住が極限的に不自由すぎてしまうと、教育が行届いている我が国では批判力も切れがいいために不公平意識や惨めさも又比例して大きい。がために人間性も開き直り的に破壊されてしまうのである。

 人間のみならず生物は生命維持本能が根底に強く働いている。原則的な要求である。生きるということである。これだけの要求であるなら人間動物としてその日その日食べて満腹したら満足感に浸れて安らかに眠りに就くであろう。ところが、自意識とか他との比較分析とか自尊心とか勝他の念とか要求とか恥とか惨めさとか、自己を苦しめる思いが連鎖式につのっていく処に、知恵あるが故に苦しむ人間の哀れさがある。
 又、文化や文明の発達を促して来た物もこれらであるし、人間は条件を改革して生き方の改良をはかって行こうとする発想力を元々持っている。欲望と言えばそれまてであるが、それらを豊に持っている事が結局は文明を発達させて来たと言えるのである。

 矢崎居士の提唱する幸福学こそ、現実の社会にはまさしく適応した優れたものではあるが、限りの無い欲望からの条件追究は結局は苦しみの種に過ぎない。釈尊の申された「知足安住の力」を培う事こそ本当の安楽であり幸福感を満足させてくれるものなのである。知足安住とは因果に成り切る事であり、今に徹する事であり、自己を超越する事である。それはただ、他を見ずに自己の分に安住し感謝と報恩の心に満たされた者のみが味合うことのできる宇宙一体の充足観である。これ以上に満たされ活力溢れる人生は絶対に無いのである。

 矢崎居士の途方も無い人柄は、こんな私を驚かせたり喜ばせたりした。彼の幸福観は確かに精神に帰納していて、最後の決着は当然ながら解脱することにあると決定したように見えた。この男、本当に禅を世界の平和のために役立てるかもしれない。
 フランスにはエッフェル男爵の所有であった城を持っていてその敷地は二万坪もあり、そこへ禅堂を建てようと言い出した。そして、『参禅記』を英仏訳して具体的な坐禅の方法を世界に知らしめる必要があると言った矢崎居士の言葉は、私の気持ちとぴったり一致していたので、瞬間的にこの事は矢崎居士の思うようにしてもらうことを告げた。

 邂逅は運命でもある。将来この出会いがどのように成って行くかは誰にも分らない。あると言うとすれば、信頼と情熱と地球に注ぐ愛であろうか。これがたった一冊の本の取り持ったドラマの始りであろう。成る成らぬは結果である。確かに禅と地球救済のホラのドラマの一ページは、早々と開かれたのだ。難しい定義など何処までも無用であった。
 何故にいきなり信頼できるのかは、彼が大事な問題を確実に認識していた事と、人並外れた情熱と行動力と心根が大変美しいこと、そして子供の様な無邪気さが体から滲み出ているからだ。大事な問題とは、本当に解脱の道があり、『参禅記』の如く誰でもその本通りへ出られ得るものなのかどうか、自分が真っ先に体験し確かめて見るということである。
 この月、六月十一日に「この三木常務と共に入門致します」と誓った。決して一時の思いつきからではない。角田大姉、浅田居士、陰山居士に実に念の入った挨拶をして昼手前に下山した。

 身辺の整理を綿密に済ませて、角田大姉は夕方には程遠い内に、作務衣袴姿のままでさっそうと車の人となった。間もなく少林は二人の燃える道場となり、餌に戻った食事は寧ろ修行者らしくさえ見えた。灯も又何時消えるともなく何時もの禅堂であった。

 角田大姉はそれからも時を作っては坐禅に現れた。作務衣もすっかり様になっていたし、参禅当所より必ずそう成ると思っていた通り、少し目が赤みを帯びていたのがすっかり消えて下山した。が、その後何時現れても綺麗であった。目が赤いのは精神が微妙に揺れて不安定な事が多い。神経が休まらないからである。勿論今も安定し切っている訳ではないが、心の折り合う処がはっきりしただけ安定しているからである。正しく坐禅すると大概目は澄んで綺麗になるものだ。
 女性に限った事では勿論無いが、美しさの最後の処は目が如何に透明感を持っているかであろう。とすれば心は目に現れる処が大きいし、禅の本質とは全く関係無いことながら、この辺のおまけの功徳もあるというものだ。かく言う自分の目はさしずめ濁れて死んだ目だ。たったこの前まではサファイヤも頭を下げて来たほど麗しかったのであるが、断然不規則寝不足なのとブラウンカンとの睨めっこで、遂にサファイヤどころか、気が付いて見たら輝きは何処にも無くなっていた。
 人間五十を越えるとサファイヤもあるまいが、目のみ成らず歯も腰も大抵がたつきが始るものだ。こうして無情は人生の隅々まで円満に満たされている。サファイヤ何ぞと競って居る暇などあろうべきか。
 しかし、目の美しい人は矢張り人間的にも美しいと感じさせられる。老尼は何時も透き通っていた。それだけに睨みも良く利いていた。法に純である人ほど暖かくて怖いものである。結局は坐の力に外ならないし、菩提心ということが結論である。大いに菩提心が鈍っている自分を恥じること頻り。

     矢 崎 勝 彦 居 士
                         篇
     三 木 久 夫 居 士

六月十一日
 矢崎居士と部下の三木居士が参禅することになっていよいよその日が来た。入門を激励しようということで小積居士・嵩居士による供養と、角田大姉の手になる料理で事は準備されて行った。修行に入る人をこの様に激励した事はかつて無いが、角田大姉の為とは言え、先般わざわざ大阪からやって来られた事に対して皆心から彼等の参禅入門を歓迎し激励したかったのである。それに『参禅記』を見て小積居士を取材させて欲しいと言う新聞記者の要望に対して、入門前に心境を直に聞いて確かめ、一週間後の様子を取材したら確かなものが記事に出来るであろうと提案して参加を促しておいた。
 入門としては初めての宴席は取材を兼ねて始って行った。時も既に昼を充分過ぎたし、小積居士の取材も有ったので矢崎居士連を待ちつつ、御馳走は口に質問は耳にと相なった。どちらかといえば、角田大姉の料理した小いわしのから揚げが事の外美味しかったので、一頻りは皆たべることに熱が入っていた。矢張り甘い話の方が話が早い。体で納得するのだから理屈がいらないだけ分りが単純明快である。ここいらに禅の着目すべき要点が明確にあるのに、とにかく暫くは理屈のお世話になろうとする悪い癖が修行を難しくしているのだ。

 取材は大変くたぶれた様である。何しろさっぱり方向がつかめて居ない者が、実に深い処を聞き出そうとするのであるから、何から聞いていいのか分らないのだ。その事が分る小積居士は、出来るだけ世間向きに分りやすくする前提として、何て余分な事を考慮して答えて行くものだから、双方何やら変てこな話ばかりするし、本命の入門者も来ていないし腹は適当になったしで、私は別室でごろりを決め込んだ。間もなく陰山夫人が現れて一服と相成り、
「御二人とも何を言っているんでしょうね?」
 と言って笑殺する。なで切りである。御でこ殿にしてみれば可笑しいだけであろうが、それを提げ回ったのでは今が死ぬる。
「彼等は彼等、一服は一服」
「はい」
 誠に明朗にして素直である。この単調さが法に一番近いのだ。間もなく入門の士が来た。四名である。女性の青木さんは福住君と共にここの様子を見て帰るつもりだったものが、「自分にもやらせて下さい」ということになり、福住君一人帰って行った。三人を浅田居士に任せて於いて、記者も角田大姉も陰山居士夫妻も大井出さんも一緒に、嵩居士と共に岩風呂へ行った。初めての角田大姉も気持ちよく入り、未だ寒い海で嵩居士陰山夫人と共に泳いでいた。

六月十二日
 一番気候の良い時である。若葉は出そろい山野の香がまことに自然観を深くさせてくれる。早朝より坐禅に励むには整いすぎた時節であろうか、油断をすると修行の緊張感もとろけて両手から流れて行きそうである。
 おもしろい事に三人が同じリズムでやってはいるものの、まだまだ心は人々ばらばらだ。本来が仲間であるから気軽さが三人を包むのと、出来すぎている時節とで、孤立した禅堂は禅堂より時として息抜きの場となりかねない。
 出てきて私の前に現れた時はもちろん謹み深く真面目そのものである。でも体は浮つき体が笑っているので、坐禅にどれ程の真剣さであったかが分る。黙っていても通じあう仲間である限り、全く他人のように見て終わってはいかないところに、この度の三人の仲間には取り除かねばならない別の要素がしっかりある。自己の内に注がなければならない努力心が、雑念となって外に向かって働き拡散している現状では、如何ともし難い。その分だけ無駄骨を折らねばならないし遅くなり苦しみを引き摺る事になる。

 木の目立ちのあの大自然の生命が限りなく躍動している時、長時間じっと座っていること自体相当の忍耐がいる。一年を通して一番体が鎮まり難い時であるし、仲間の視線が会社の延長線上のままの刺激となっている筈であるから、誰かに少しの変化があるとすぐに皆に伝播していく。今は目に見えない鎖でしっかり繋がっているのだ。これが何時切れるかは、何時本当に問題意識に集約されるかであり、本当の苦しみが始るかの時である。そのことは又指示された一呼吸を実行する事が如何に困難であるかを知る時でもある。角田大姉が、
「何ですかあれは。禅堂で楽しそうに笑いながら話をしているんですよ!」
 と禅堂から出てきて、やや目を吊り上げて真剣にそのその事を私に訴える。禅堂で話をするなんてとんでもない事である。けしからん事は誰がしてもけしらんのだ。それは誰が見てもけしからんと言って怒る筈だ。今これを許すか叱るかということになると、叱る方が常套手段であり、気合いが入り厳しいというこでは充分意義がある。許してほっておけば逆に生ぬるい道場ということになる。ここで指導者の能力と個性が別れるところだ。
 上根の者には褒めるにも叱るにも徳を以てしなければ深い暗示的示唆力にはならない。こちらが器を計っていると同様にあちらも器を計っているのだ。私が真剣に臨むべき事がらは只一つ、彼等が本来の目的に如何ほど本真剣であるかであり、本真剣に実行しているかいないかを厳しく点検指導しているだけでよいのだ。
 とにかく実体と言うか状況と言うか、様子を適格に把握しているかいないかで、つまらぬ指示をするか黙っていても本筋できちんと努力させられるかで、本来への指導性がきまってくる。

 人間の共有できる仲間意識と感情というものには、ある一定の状況が必要であり当然限界がある。戦争の様な殺しあう局限状況に於いては、敵が目前に居て、徹底助けあい励ましあいしなければ助からないという目的も手段も共通している場合は、命の頼み綱であるから徹底文句無しの信頼が基本的に出来上がってしまう。感情どうのというあまったれた事情どころではない。けれどもこの様な場合は共同で一つの目的を達成する事ではなく、意識自体の源をたずねていくことは全く個人の世界であるから、目的意識がはっきりするに連れて連鎖反応していく仲間意識の感情の鎖は自然に切れて、共通感情の連鎖は基本的に存在しなくなっていく。
 第一、目的の対象が自分自身であり内側に厄介な敵が無限に潜んでいるのであるから、この対象に真正面から向い合った時から苦闘が全面に展開され、全くの個人だけの世界へと変身するのである。とても人事どころではなくなってしまうのだ。そういうはっきりとした段階的様子があるので、何も心配するには及ばない。そもそも楽をして目的を達成できるなどと思っている連中ではないのだ。
「分った、分った。とんでもない事だ。今度そのような事態をこの私が見つけたら、警策で半殺しの目に合せてくれるわ!」と言ったら、
「えっ! そんな乱暴な事をしていいんですか?」
 と言う。人の事をとやかく言わずに坐禅しろ! ここは人の事を是非する暇のないところだということが分からんのか! と角田慈光大姉叱りつけたいところである。

 とは言うものの、やや真剣味が出始めた矢先に、三木居士が調子を取るために坐布を幾個も重ねて坐ってみたり、左右に体を振ってみたりしていたらしい。重ねるのも自由ではあるが、何と四個も重ねて、しかもその上で坐禅を組んだとは。まではよかったが、体をゆすっている間に重心を崩し、単から転げ落ちたげな。突然大きな物音がして皆注目した瞬間、鋭い矢崎居士は、
「お前は解脱ではなく、下落じゃ!」
 と、まことに当意即妙。一同大爆笑だったそうだ。これを聞いたのは既にしっかり禅定に入ってからであったから、時既に遅し。怪我も何もなくてよかったが、一見何ともけたたましい参禅者ということになる。角田大姉がそこにいたら卒倒したかもしれぬ。居なかったのが幸いであった。

 朝食も昼食も昨日の御馳走で事足りる。嵩さんが供養してくれたきつね寿司は、晩もその又明くる日も、足掛け三日あった。嵩・小積の両居士はとにかく多い目に提げてくる。無くなるまで皆で頂くは禅門の習わしである。誰が残しても残したものは皆で頂くので、決して捨てるような粗末な事はしないのだ。この道理を二人の居士はさっと感じ取ったのか何時もきれいに食べているのだが、青木大姉はほんに猫の餌ほどしか食べないで後は残す。すると次の食卓にそれらが出てくる。遂に二人の紳士は音を上げて、
「お前、いい加減に食べてくれよな!」
 などと言ったような会話が飛び交っていた様である。
「だいたい猫の飯ほどしか食べないような者はだ、猫ぐらいの仕事しか出来んのだ。これからは猫飯クラスは雇ったらつまらんですぞ。
そのくらいはたべなさい!」
 それからは無理して食べるようになった。実際、青木大姉の小食は心配で、或る簡単な運動をするようにしたら、次第に食が進みだした。胃袋が膨らまない何等かの理由、緊張とか疲れとかねじれとか可動性不全とか老化とか不快感とかがあるからだ。これを取ればすむ事である。

 まる二日になるという六月十三日、幽雪和尚と昼食の支度に掛かった直後、呼んだ訳でもないのに、体が笑っている三人が神妙な顔つきで現れた。下の勝運寺も同じ鳴らし物を使うから間違えても無理はないのだが、音に対して如何に自己を運んで定義付けして聞いていたかの立証でもある。聞くや否や、「あっ! 鳴った。食事だ!」と妄想したから行動化したのだ。最後まで静かに「只」聞くという修行本来を遂行しておれば、心が伝わらねばならないものなのだ。端くれの耳で聞くか、全身で只聞くかがこのように全然違う結果が生まれてくる。来てみて未だ支度中であり、食卓には何もないのだから、揃って出てきた意味が無い。呼んではいないのだから間違った本人たちは聊か戸惑い、「あっ! 間違いでしたか! ・・・ 何と浅ましい・・・ 私としたことが・・・」とさすがに紳士矢崎居士は格調高く静かにそう言って、一様に羞恥心でどうしたものかと、しばし立っていたが、やがて禅堂へ引き返して行った。時間にして三十秒か一分でる。
 その後ろ姿は首を垂れたかに見えるが顎を引いた引き締まった姿であった。これは身心が高次限に統一し知・情・意の分裂が収まった隙の無いもので、真剣味の乗った態度と見てよい。彼等の全身から笑いがきれいに消えていたから、仲間感情の鎖がこれで切れて、いよいよ自分の内面に向かって行くだろう。
 ここで叱ったとする。叱られてしまったという結論的要素が加わると、心的圧縮がそこで止って抜けて行く恐れがある。貴重な時間を何して遊んでおるのだと言わんばかりに無視して何等も加えぬと、失敗感が恥となり、仲間に申し訳ないとなり、俺とした事がとなり、次第に自分を責め且つ激してくる。
 下根の者は、叱られなかった事でほっとし、むしろこれぐらいはまだいいのだとなり、自己怠惰へと向かってしまう。器の分れるところだ。仲間意識はいいのだが、仲間感情の連鎖が災っていたので、これが切れる事から修行が本格化していく。これからが真剣なる面白味というか色々な問題の始りである。
 会社では頂点に立っている彼は、当然禅堂においても取りし切っている筈である。彼が動くから皆付いて動くのである。頭の切れ具合に於いても策に於いても責任感に於いても行動力に於いてもスピード性に於いても品性に於いても、実力として絶対頂点の彼に絶対の信頼を置いて当然である。
 こうした場合、たった自分一人の失敗とは異なり、三人分と同時に頂点の格に対する面汚し料が加わるから、心的圧力は最早最高に達している筈なのだ。この心的高揚が目的意識を極度に高め、感情の連鎖性を解いたのである。大した事ではないものを大層に扱うと、本質目的を暗示的に感じ取らせる事が出来なくなる。ここ一番という時に沸点が上がらなくなってしまうのだ。所詮自分の問題であって自分で解決付けるより道はない。同じならば自分で気が付き向上する事の方が上等であり、綺麗に行き又活性化し易い。

 夕食に現れた三人は別人であった。目前の敵に気が付き他人事どころではないという、孤立無援の苦闘が始ったのである。三人は全く一人一人として独立し、自分にのみ目を向けられるようになってきた。そろそろ私の出番が来たようだ。

六月14日
 朝、気温がひどく下がった。禅堂の静寂さは極まった感がする。幽雪和尚と三人の仲間たちの真剣さは鋭くて小気味よい。しかし意外な敵に聊か戸惑っている三木居士が気になった。雑念に苦慮している上に、寒さまで敵に回って痛めつけられている様子である。どうでもいいや、と投出す寸前の危険な状態にも見えた。晩年老尼が愛用された大切なちゃんちゃんこを持ってきて、そっと掛けて出た。
 修行とは体ごと実行する事である。努力である。やる気がなければ形ばかりで実りの無い修行となってしまう。叱ったり怒ったりの調教的な圧力は、ややもすると形ばかりになりかねない。先にすべき事は本気にならせることであり、更に真剣さを増していくために目的意識を高め緊張感を与えるのが順序である。その次は精度であり密度である。着眼方法をもっと微細にもっと根源へと切り込むよう、雑念を切る法剣の狙いを研ぎ澄ませ狙い通りに確実に切らせる事だ。最後はその継続が決め手となる。実際心境を高めるポイントはここなので、継続力となる心的エネルギーの供給は非常に大切なものである。気力が低下するとこれら全体たちまち曖昧になり、方法すら分らなくなってしまうという雑念拡散とは途方もなく厄介な代物なのである。

 難しいというのは上述した如く、修行を実行するに於いて沸点の努力と着眼と継続とが一体でなければならないところにある。禅の指導とは、だからこれらを円満たらしめる事であるのだが、この内容がまた人々異なっているから、十人が十人を引っ張り上げる事がどれ程困難な事か。

 南嶽下の馬祖も黄檗下の臨済も、その初め目的意識と努力だけで坐禅すること数年。得るところ無くして空しく時を失す。着眼が違っていたのだ。後正師の悪辣なる鉗鎚に依って時節を得たのである。今時の一週間に一・二日、ないし一ヵ月に両三日の類。又充分にして得心のいく説法もなければ、最も大事な具体的工夫の要点に就いての指導が無ければ、如何に菩提心があったとしても仏法に目覚める時節はない。大法をそんなに簡単に考えてもらっては甚だ迷惑なのだ。とにかく、縁のある者しか所詮駄目ではあっても、法を求めて私の前に現れたものは、法の縁をたっぷりと与えて、何が何でも煩悩の皮をひん剥いてしまいたいのだが、それがなかなか。

 季節は既に初夏で、陽が高くなれば最高の時節である。もとゝゝ熱っぽい連中だけに、一端軌道に乗ってしまうとまっしぐらだ。矢崎居士の真剣な表情はまさに哲学が着物を着て言葉を失ってしまった感じである。

 昼食に現れた。きっちり手元へきた感じだ。小振りの青木大姉が大きく見えるし、三木居士が小さく見える。単調になると空気の様になり、間合いにゆとりがあり動きに無駄がないので、存在観も従って大きく感じるのは青木大姉である。小柄という平素のイメージから起るものであり、逆に平素大きいという上から、空気の様になると存在観が薄らぐのだろう。その中間にある矢崎居士は距離的に近い方によって大きくも小さくも見える。昼食もきっちりと充分自分のものにしてしまった。

 午後三時前、頃よしと見て青木大姉を禅堂より呼出し、玄関から外へ出るように命じた。ゆっくりと、淡々と動く。隙が無い。努力してではなく、ありのままにして隙が無い。履き物を履いて玄関の外へと出た。
「青木さん、ほら!」と言って片手をかざし、前方を見るようにとゼスチャーで指示した。透明な視線が私から、眼前に青々として迫る竹薮の景色に移った。見た途端、無心の顔面には大粒の涙が流れ、そのままじっと立ちすくんだ。これは所謂の感動ではないのだ。
「先生! ・・・ 見えます・・・ 確かに、竹も緑も・・・!」
「よかったね。頑張って」
「はい! 本当に!」と、優しくゆっくりとした口調である。そしてふらゝゝと歩くともなく歩いて、一つゝゝの言いようのない新鮮な出会いに驚いている様子は、今までの経験では歳に関係なく誰もがそうであるように、彼女もまたそうであった。又言う。
「先生。何ですか、一体これは!」手を差し出し顔を乗り出すようにして言う。その時初めて笑った、歯を見せて。
「事実にはなんにも理屈はないでしょう」
「ええ! 今まで一体何を見ていたのでしょう!」
 と言って、竹を見てうなずき、生まれたばかりの小枝の葉を見てうなずき、上を向いたり下を見たり、目を丸くして凝視したり、瞳が見えないほど目を細めたりして、辺り一面を隈無く見渡し、一人にこにこしているそのほころんだ顔は美しく自信に満ちていた。ようやく「今」に気が付いたのである。これで修行が格段に楽になりはっきりしたであろう。

 それから帰るまでの間、青木大姉は表情を失ったかの様に静まり、人の言葉に即発的に反応して揶揄とも反論とも発展的とも取れる発言とその構えがあったが、それがすっかり消えて目も涼しく計り出てていた光も消えていた。試みに草稿を見せたら、半日後に返しに来て曰く、「今、全然頭が働きません。読んでも意味が取れないと言うか、浮んでこないんです」と言う。
 念相観が休息して、概念との直接的関係が停止しているからである。つまり、修行としては大変いい状態であり、具体化し事実に密着している様子である。理屈が取れて単純化し一つに治ってきた。これを如法と言うのだ。ここをどこまでも練っておりさえすれば益々楽に、益々明るくなり、自然に熟して落ちる時節が来る。ところが大邸は障道の因縁と言ってそうはさせない色々な事柄に妨げられてしまう。だから折角ここまで漕ぎ着けても最後の解脱を得ずして終わる者ばかりである。実に惜しい事なのだ。ここで何物をも放下して大法を重くし修行する勇気と努力心と迫力が必要条件となってくる。とにかく自分を捨てて道を選ぶと言う事はそれほどに困難な事だと言える。これこそ時節因縁に待つところで、無闇にそれを勧められない問題もある。即ち、そこまでの完全解決の世界を信じていないし求めてもいない者が、これまた実に多いのが現実である。
 それはともかくとして、それからの青木大姉は禅堂への狭い渡り廊下に座り込んで、じっと、ただじっと外に目をやって時を過ごしていたり、台所で一人ぽつんとコーヒーカップに見入っていたり。
 明くる日の雨の日も廊下のそこにそうしていたり、カップを眺めていたり。計らいを入れずに単調にその時その場にただあれば、総て禅なのである。古人曰く、「行住坐臥総て是れ禅」とも「行も亦禅、坐も亦禅、語黙動静体安然」とも「喫茶喫飯悉く禅」とも申されておる。何れも単調の極の自我のない只管の様子を言うたものである。それには程遠いけれども、別に距離がある訳ではない。ただ自我の取れ切れるまでこれを練るか練らないかの違いが、天地の隔たりとなる。片方は結果を出しての上の言葉であり、一方の修行者は今そのための手段を踏んでいる段階である。

六月十五日
 最も日が長く何時までも明るい時節。青木大姉が雑念と現実の境に気が付いてから丸一日が経つ。ふと現れた三木居士の様子が私の気を引いた。外に出るように指示して私が先に出た。
 竹箒を彼に渡す前に、私がゆっくりと淡々と掃いて見せた。箒に成り切った様子を見て、見ている自分が既にそのものに成って『隔ての無い一元』の所を気付かせる瞬間である。それは分別以前の体がそのものと同化する現象でもある。宗教的には自他一如とも自他不二とも言うのだが、要するに『只単調一体』の様子である。
 はっとした新鮮さはあったが、それ以上ではなかった。けれどもそれだけという一体感には触れたようだ。彼に箒を渡して、
「ゆっくり、はっきり、初めと終わりを確認し、そこにちゃんと心があることを確認して、只掃く。たったの只一掃きだけ。
さあ、やってみなさい」
 身長一八〇センチの腕が握った竹箒は静かに地面に降りて一瞬止る。雑念が入っているかいないか、拡散していないかどうかの確認である。これが大事なのだ。そうでないと以前の生活の癖のままではその物と自分とが離れた状態にあって、その物自体に徹する事が出来ない。徹するとはその物と一体化し自分を放ち忘れる事である。その事により過去と現実との境が確立する。概念や観念の外に出る事ができ自我が自然消滅するのである。これが目的なのだ。果たして後、大自在の人となり、大乗の人となるのだ。慈悲なき宗教は明りなき太陽で救いがない。
 何物もなければそのまま只掃けばよい。こうして一掃き一掃きに徹底成り切り成り切りの努力が急所である。一呼吸がきちんと出来る一歩手前のところにまで達している彼に出来ない事はない。そこに大きく気が付くものがあるのだ。一回、二回と箒は動く。三回目に至るや、
「はあー!」と発せられた突然の感嘆詞は、その物に触れた直接の実感がもたらせる或る明白な出会いの様子である。
「はあー! これが只だったんですか! 本当に何も無いんですね!」と、ゆっくり、淡々と掃く。根本が切れていないから何物をも超越する力にはならないが、計らいなく今の純粋な事実の世界に気が付いたということは、重要なポイントを得た事を意味している。こういうふうに書くと如何にも大変な神秘体験でもした如くに思うであろうが、その様な大げさな事ではない。単純になって、自分の様子が自分で明晰に見えるようになったために、見ているその事実の様子が自分の上で行われていた事に気が付いたのである。嘗てない体験であるから驚くのは無理はないが、心境的には外に向かって能動的にああ思い、こう思いしていた想念が、自己の内側へ向ける事が出来るようになっただけである。結果として雑念が急激に減少し、且つ無視して取合わぬ力が出てくるのである。

 修行の中で最も苦しむのがこの重要なポイントを体得するまでである。何をどうしてよいのかその先が全く見えない自分に、どうしても暗中模索なるが故にもがいてしまう。もがきとして今までに読んだ事や聞いた事や教えられた事柄が救いの様に思えて、手当たり次第に自分流で在りとあらゆる事をする。つまり目的と手段を自分の考えや方法で理論化し、そこへ向かおうとする。観念の作られた世界、無い世界へ向うのだから永遠に至れるはずが無い。何十年も一歩も進んでいない者が殆どこのてあいである。

六月十六日
 嘘の様に静まりかえった二人である。深く自分を見つめ、一瞬の世界がほのかに味わえるとなると、それまで隔たっていた現実が俄かに生き生きしてきて、総てが新鮮に響く。だから自分の上で展開する、その事実に対峙していること自体で満たされていく。従って心が周りに飛び廻らないから自然体が堂々として見える。自信に満ちてうつるのだ。勿論、言うことまで違ってくるから、明らかに進んでいることが解る。矢崎居士は、
「なあ、三木、コツを教えろや」
 と素直に三木居士に尋ねる。三木居士が「今」の急所を教えようとして箒に成り切る方法を説いている。説き方もあろうが、縁が来ていなければ弾けるものが無いので、何の事だかさっぱり解らない。まだ理屈が収っていないために、一瞬への単純化が遅れているのだ。それも時間の問題である。何故なら、次第に心圧が高っているのも間違った努力をしていない証なのである。

 昼食の全般から、終わって禅堂に向う動作の隙の無さ。雑念は出ていても、事実に注意を置くことが出来、瞬間を見守れるようになっているではないか。もう坐禅は辛くはないし面白くなりかけているところだ。漸く内側へ向えるようになった。
 三時も廻った頃、三木居士が現れた。上司の矢崎居士の雰囲気が丸で違ってきたがどうしてかと言うのである。この時を待っていたのだ。
「三木さん、心の定めを付ける大事な急所が解るまでの苦しさは、そなたもよく知っているだろう。それが解った時の驚きにも似た変わりようも知っているね。今、矢崎さんがそうなるから、その瞬間の様子を見ていなさいよ」
 と言って、外が丸見えの私の隣の部屋へ残し、彼を外へ呼ぶ。殆ど言葉も落ち、意識も念も瞬間に落ちている。抜け殻であるからロボットである。ここまで落ち着くとしめたものだ。
「外へ出てきなさい。そこの私の下駄を履いて」
 言葉はない。そぞろに言われた通りをする。
「心を用いずに前方を見てごらんなさい」
 おもむろに顔を上げ、前方の竹薮を見る。何事も無い。
「静に、ゆっくり歩いてみなさい」
 私が先に歩く。後ろから足音が付いてくる。十歩も歩いたか、彼の足音が止まった。
「どうした?」
「老師! 私は本当に大地に・・・ 立っているのですね!」
 と言いつつ、改めて自分の足に地球があり、自分によって大地が輝いていることを確認していた。深く、一歩、又一歩、とそれを味わっている。
「ああー、美しいですねー。総てが・・・
私は、こんなに確かで・・・ 重々しい存在だったのですか!」
 私はそっと部屋へ返る。三木さんが神妙に一部始終を見ていたはずだ。
「よく解ったでしょう。気付く様子が」
「はあ。よかったですわ」
 小声で呟くと、行ってしまった。勿論禅堂である。

六月十七日
 矢崎居士一行の激励会ということで、又々小積龍顕居士と嵩居士とがご馳走の素材を搬入する。角田慈光大姉の一段と気合が入った支度ぶりに、安心と喜びが見える。矢崎居士は木目細かく気が付く紳士で、皆に繰り返し丁寧にお礼の挨拶をして廻る。出家してまだ間が無い幽雪禅哲を激励し、
「早く貫徹されて、私たちをお導き下さい」
 そう言って深々と低頭する。どこかが一般と違うのだ。心が暖かく深い。それだけでもない、理想が高く情熱家。それだけでもない、向上心・努力心が高い。もっと違った大きくて尊いものがある。子供以上の純粋性とやんちゃな遊び心もある。それでいて厳しいものがあってリーダーの統理能力、遂行力にも長けた才があるようである。「それがどうした」と言われても困るのだが、まあ、稀に見る人物であると言うことだ。

 例のごとく終わってはみたものの、平素三百六十五日飲むことを怠り無くしてきたはずであるから、五六日にも及ぶ禁酒のその解禁は、安堵と喜びで更に欲しいはずである。
「散歩してきます」
「今宵は気持がいいですよ。ゆっくり行ってらっしゃい」
 ほんに薄明かりの田舎の夜は、季節的にも一番気持のいい時である。
 真夜中、私はまだ画面に向ってこれを入力していた。気持ちよさそうな足どりの音ともに、気持ちよさそうな話し声がし、三人とも無事帰山した。誰であっても気持がいいことは実にいいものだ。満足そうな微醺の様子、一体どこで飲んできたのかな?

六月十八日
 下山の日がきた。新緑の山道は自然の香りで迎え入れてくれる。次第に眼下が箱庭となり、瀬戸内海の絶景が広がっていく。車の似合わない世界であるが、今日は何となくそうでもない自然な感じで白滝山へ上がった。
 何時来ても最高の自然があり、程よく整っている箱庭は美しすぎて屡々自慢してしまうのだが、連れて上がって、私の言に批判的な人は未だかつて居ない。今こそ岩がでんと座っているだけであるが、周りにはそれはそれは見事な風情の松が荘厳に飾られていて、そこに坐っても立っても口では言えない尊厳があった。目を開けていると、遠慮勝ちであろうとなかろうと、飛込むその風景自体が大自然の使者として魂に強く語りかけて来たものだが。
 それが、一本枯れ、二本と枯れていき、今では見る影もない。それでもこれだけの価値を携えた白滝山は尊い存在である。名山では決してない。寧ろ聖山・霊山と呼びたい。それなのに、単なる遊び人どもの遊び場になりつつあるのが悲しいばかりだ。このお山は心の浄化理想高揚慈悲育成根本道場なのであるぞ! 文化庁と県が大々的に手を入れて観光化を計ったので、早晩俗化が加速して私を更に悲しませるだろう。
 それでも、私は大切な友人を連れてここを訪れるだろう。大衆化も大切である。でも、単なる遊びや慰めならどこにでもいい処はあるだろうに。心の修養として是れほどの神聖さがあるお山は、神聖な霊山とし宝として、一般化は差し控えるくらいの高尚さが欲しいものである。心を磨き魂を大切にしなければ、この国もこの地球も滅亡するのだが、それはそう簡単なことではない。その大切な道場であることを知って、そして大切にしてもらいたい愛しいお山なのである。これは内緒の祈りと愚痴。

 何時もの通り、自然に気概が盛り上げる。感動と言う大きく純粋なエネルギーが加わっているからであろうか。時過ぎることいささか。しかたがなく下りる。
 このえぐられた溝だらけの道を駆け上がるのには、可成りのスピードと技がいる。そして同乗者は舌を噛まぬように、頭を天井に打ちつけないように、腹綿が飛出さないように乗る技術がいるのだが、下りる時は至って気楽な運転である。ここでは簡単に少年になれるのもこの道の功徳かも。

 お互いに手をついて、思い残すことの無い挨拶で別れた。道の努力は本当に尊いものだ。この心で処世し人生すれば、花も咲き実も成るのだが、不純汚濁の世界にあっては浸食され毒されて潰れてしまう。だからここへ来て大いに練らなければならないのかも。道中時を無駄にしないようにと、見えなくなった車に向って心で叫ぶ。新緑の臭いがむせぶほどする、禅寺の静かな初夏の庭であった。

六月二十日
 夕方、大阪の橘高説子女史より電話が入った。火急の事態特有の話方であった。
「本日、陰山さんが自殺しました。今晩方丈様にお礼のお手紙を書こうと思っていた矢先の事で、取り込んでいますのでお電話で失礼致します。詳しい事はまだ分っておりません!」
 何と言う事だ! 死ぬほどの決心をしたのら、何故私の処へ来なかった! 死ぬ事は何時でも出来るのに。どんなにか辛かったであろうけれども、奥さん娘さんのために生きなければいけなかったのだ!
 でも、それに堪えられない程辛かったのだね。可愛そうに! あの日、昼下がりの窓越に見た山の暗さの混沌は、もしかしてこの耐え難い彼の悲しい人生終焉の幕だったのか! もしかして。

 夜九時、遅い夕食、彼のために不味い不味い酒を飲む。
「ばかもの! 何故死んだ! 今までの、あの辛い努力は何だったのだ!」
 何度も何度も腹の中が叫ぶ。何時もは活力のために美味しい酒であるのに。嵩居士、角田大姉集まりて声なく、彼の追悼接心は自然発生的であった。久々の木板は皆の胸を叩く。

 今からでは何を思い返して見ても無駄な事ではあるが、今後の事もあれば一応整理して見ておく必要はある。
 彼は全くのぼんぼん育ちで無細菌飼育された培養人間的であったらしい。品性とプライドは頭の良さと一致して常に様になっていたようだ。様になっていたとはそれに似合った責任感を背負い、体勢に流されていく中で個性的にはなれなかった筈だ。「俺は今日は嫌なんだが、お前のためだからしょうがない、付き合って遣るか」というように同じ流れに処しながら、そこに自分の存在理由を明確にし、他と区分して行くことが出来なかったのであろう。だから相手に嫌な感じを与えないように、無理して笑顔で気持ちよく付き合ったに違いない。
 この事は自由社会の苛酷な競争には丸腰同然である。品性と正直と素直さ、そして人の良さだけでは、格好の便利屋さんにされてしまい、いいとこ取りされて使われ続ける羽目になる。プライドに似合った格好を付けると、結局はいい格好するために責任をどんどん持ち込んで行くことになる。一見責任感が強いように見えるが、背負い込んだことはしなければ失敗と言うことになるので無理をし続けたのだろう。プライドを保つために。
 本当に責任感が強ければ、自分の器量の内で確実に果せるラインを守る事である。彼はここが無かったために根底から破壊して行ったのだ。
 ここでは心身の回復を計っているのであるから、任せて安心して素直に言われるままにしておる事である。次第に焦点が定まって来る。そうすると苦痛なぞ全く無くなってくる。曽て味わった事の無い静けさの心地好さは、坐禅を面白く感じさせてくれるものだ。それに禅定に入ると他に思う事も無くなって坐禅しかなくなっていく。だから体が続く限り頑張る事になってしまう。自然時間なぞ関係なくなっていく。これが普通の参禅経過である。
 ところが陰山居士はこうした状態以前の、出来るだけ安定を回復しなければならない時なのである。彼は今、体がようやく柔いできて、硬直が根本的に融けかけている大事な段階なので、一定の姿勢を我慢ごっこのように継続していくことは硬直と興奮を誘う大変危険な方向へ進む事になるのである。
 私が「皆に付いてやってはいかん」と何度も指示していたのだが、皆と一緒の事をしなければ罪悪感、敗北感が伴うほど一体要求型人間というのか、自主性のない性格というのか、皆に付いてやれなかったら惨めな気持ちになったりするという、個の確立の出来てないのが実体であった。熱気に煽られて付いてやってしまったのだ。
 今は明かに治さねばならないハンデーを持っているという自覚があれば、人に付いて舞うような事にはならない筈なのだが、こうした気が小さくてプライドの高い性格は、だからそんな自分を認めようとしないのであろう。只でさえここの坐禅は大変なのだし、人の半分でも彼の今なら多すぎるぐらいなのだ。
 朝から夜の十一時まで、真剣に一点への努力をすることは並みの者でも大変なのだ。彼の状態ではどんなにしてもこの様な人たちと同様に頑張る事など出来る筈もないのに、とにかく一緒でなければならい彼のプライドがそうさせてしまったのだ。努力家は努力家であっても、結果は予測していた通りになってしまった。
 見る見る緊張が高まり、いらいらは極限に達し、幻聴幻覚に脅え出してしまった。とうとうあるぬ事を口にし始めた。
 皆に付いていけないからという理由で十四日の朝、空しく下山して行った。家庭では一人っ子の娘さんが胃痙攣を起こして既に何日も苦しんでいるという、そんな処へ帰って行く事は、まかり間違うと、今孤軍奮闘して家族を一身に守っている奥さんが参ってしまう事にもなり兼ない。結果はとんでもない最悪の事態に成ったのである。

 斯く成ってしまった今、どうしようもないことではあるがこれだけは言える。心の病を治しに来たのであるから、師を信じて師の指示通りにすることが何より大切であると言う決定的な教訓となったのである。やる気とプライドが全く重なっているために、つい本人の熱意に任せていく事になり勝であるが、何が何でも完全コントロールをしていかなければならないのだ。その管理を怠った時の危険を忘れてはいけないのだ。悲しいかな私が絶対信頼されていなかった様である。私の指示を聞いてくれなかったところをみると。
 慎んで彼の冥福を祈り弔意を呈して曰く。
「人生万般只説夢。焉知風声松月香。徹心病越涅槃時。四十二年一滴露。露。」

十月十二日。
 矢崎道然居士の発願は何とした事か、私が遠く深く願っていた遠大なる構想と殆ど一致していたので、話は面白いほど発展して行く。それはむしろ驚くべき出来事と言ってよい。忽ちは彼の持つシャトウの庭の一画に本格的な禅堂を建立して、とあいなり、『参禅記』を英仏訳の段取中と語る。遂には禅堂のオウプニングには、「少林窟道場」の白抜き頭陀袋を記念品にしようということになった。彼は、どうしても私に位置の決定の為にシャトウへ出向いて、将来の構想を練って欲しいと再三の申し出となった。禅堂が何処に有ろうとどんな建物であろうと、そんな事柄など総て問題ではない。ところが生涯をかけてヨーロッパの中心地に禅堂を作ろうとする時、いい加減で事を進める筈が無いし、同じ作るのであれば充分な検討の上で、より納得の行く物にしたいと願う事は全く自然であり当たり前のことである。
 私はこの申し出を快く承知した。薫を頼りに連れて行く事まで快諾してくれて、十四日間の総ての手配と交通ホテルの出費等何等の心配をすることなく、九月六日忠海を離れた。

 香港・ロンドン・ローマ・パリーから中世の都、ブルゴーニュ地方へ入り、ソーヌ川沿いに立つ上品な御城に入った。そこを拠点にして、大僧院を初め大変貴重な出会いと体験を得た。その僧院は百人程のベェネディクト派の僧が修行していて、とにかくそこへ入ったら一生をそこで送るのである。生涯を掛けて神の心を求める決心は、出来るようでなかなか出来るものではない。それだけに世間の事は初めから問題にしていないだけに、どの僧も清潔感で満ち溢れていた。しかもそこは秀才ばかり集っている最も名高い僧院だと後で知った。ただ、惜しむらくはちゃんとした指導者の導きによるものではなく、各人が読書と暝想とミサと、定められた仕事をして一日を終わるのであるが、混迷の社会を清浄なる心に導き、社会の光明となる修行の必要性からではなく、悪い言い方をすれば自己満足のためであり小乗であったことは大変惜しむところであった。
 自ら本当に救われて大安楽となり大歓喜地の人と成れば、どうしなくても大慈悲心が出て来て、その人の苦しみ拘りを取って安楽に導かずには居れなくなる。つまり、根本が解決すれば知らずして大乗の器になり光となるのである。どうしても正しい修行が不可欠なのだ。
 しかし、小数ではあるが解決の糸口として我流で坐禅をしている者も居た。その内の一人はずっと我々に付いて居たので、帰り際に工夫の要点と目的を示唆したら、俄かに目が輝き出したのを目の当たりにして、彼の求道心が並々ならぬものであったことを知った。生涯を掛けての求道であるだけに、如何にも要点不明の日々が哀れであった。修行には極めて大切な心得と着眼の要点がある。これを知らずに幾ら命がけで頑張っても、それはがむしゃらに過ぎず徒労に帰するのみである。
 確かに真剣な求道者がいる。それは彼等のためにも禅堂を開く意義があるということであり、確実に実を上げて行く事が出来ると言う第一段階の証明でもあるのだ。大乗の器を決して多く求めるものではない。それほど簡単な事ではないからだ。真剣な者のみが数人集まったとすれば、それは大叢林なのである。
 禅の布教とかで外国に出向いた例は今までに幾らもある。しかし、着眼すら確実に導くところまで至っていないということは、指導者自身の問題が先に提起されなければならない。でなければ、実を上げずしてただ多くを求めること自体、既に法の何たるかを知らざる者のすることであるからだ。今日までの海外禅指導の不成功の原因は、彼等の一人をも腹の底から得心させる指導が出来なかったからに過ぎない。成功するとかしないとかを論ずるとしたら、たった一人を先ず確かに救うことであり、少なくてもちゃんと工夫が出来るように指導することである。先ずそれが出来る力を備えているか居ないかである。学者が指導出来ると思っている。講義すれば指導だと思っていること自体、的外れも小笑の沙汰である。例え大勢で一日一時間や二時間の坐禅をしたからと言っても、全く何にもならないのだ。また、肝心な要点なしに二十四時間死に物狂いで坐禅しても、全く何もならない。
 言うまでも無く、確かに他民族の世界に高邁な精神文化を持ち込む事は困難な事柄には違いない。しかし、苦しんでいる時、その急所に的確な処置が執られれば即救いとなり、苦しみは即解消されて行く。それはそのまま光明であり喜びである。苦しんでいる人が救われてそれが承け入れられぬ筈がないし、その時は民族的・文化的・歴史的な違いなど全く問題ではないのである。道理や理屈や技術的な手立てでもって、相手に聞かそうとしたり引き入れようとしたりすれば、それはもう考え方とか思想とか価値観とかの問題となり、民族間の感情問題までからまって来るのは当然である。だからやたら難しい事だと言う事になってしまう。
 人間の精神は難しくすれば幾らでも難しくなり、単純になれば幾らでも単純になる、自由な価値観を持った存在であることをよくよく自覚すべきなのだ。これが先ず原則である。
 心のもつれはささたる事に拘り複雑化することである。これを解くには単純化すれば済むことである。ところが単純化するために執られる処置がいい加減な場合は、心に二重にも三重にも更に複雑な回路を持たせてしまう。だから彼等には「禅は深くて難しい」と思われて神秘主義として扱われてしまう羽目になる。今までが殆どそれである。
 矢崎道然居士の発願に端を発した禅堂建立は、既に聞えざる要求のしからしむる因縁であったのだ。決して多くを成功とせず、真実の求道者が一人でも集まればそれこそ大成功であるし、その実績こそ真実の救済であり布教なのである。
 とにかく修行実践とロジックとは別世界である。彼等にはどれ程その区別が可能であるか疑問であっても、実践修行者はひたすら自己自身に向かって弁道を確実にしていればよい。真に一箇半箇を打出しておればよいのである。やがてそこは西欧の大叢林と成っていくであろう。何となれば、政治・経済・科学・技術等の革新が極めて複雑にからみあって加速されて行く限り、精神の混迷人口は急増して行くであろうし別の社会問題となる筈である。
 本当の禅は真実の精神に目覚めることである。そのことは廃人防止策であると同時に、確実且つ最短の救済方法であり、それ以上に真の存在として解脱を得さしむる道である。それに対して、明快な具体的実践方法を持った叢林に蝟集するのは極自然であろう。


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